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067話 新入生歓迎「学園祭」(03)

「なんでだよ、兄ちゃん! ボクが先にネフェルを夜会に誘ったんだよ!」


 ウィンリルはテーブルに両手を叩きつけて兄に抗議した。


「そういう申し出は食事の後にするものだ。食事中ならまだしも、食事の前にするとは非常識にも程がある。よって無効だ」


「それを言うならグランダム兄さんもですよ。夜会に女性を誘うなら花束の一つでも持ってこないと失礼です。その点、僕はしっかりと花束を用意してきました。僕こそが食事の後にネフェルさんを夜会にお誘いするつもりです」


「ダメだ、ルーシファス。今回の夜会は俺がネフェルをエスコートする。兄の言うことをきけ」


「そんな、兄さん。横暴ですよ、」


「そうだよ、兄ちゃん! ずるいよ! いっつもそれじゃん! 今回の夜会はボクにとって学園で初めての夜会なんだよ! 兄ちゃんこそ弟に花を持たせてよ!」


「それに兄さんは四大公爵家序列2位のご令嬢をいつもエスコートしているじゃないですか。あの方は放っておいてよいのですか?」


「そういうお前も、いつもリリスの後を追いまわしていたではないか」


「残念ながらリリスは今回の夜会はバルバトスがエスコートすることが決まっているようなんです」


「それで仕方なくネフェルを誘うなんてルーシファス兄ちゃんも不誠実だよ! やっぱりここは僕がネフェルを誘うのが一番いいよ!」


 ウィンリルは再度両手をテーブルに叩きつけ、自らの意見を主張した。


「なんだ、騒々しい。何を三人で言い争っておる」


 部屋からのっそりと出てきたスレキアイは言い争いをしている弟たちを見渡した。


 そして誰がネフェルを夜会にエスコートするかで言い争っていたと聞くと「まったく、なんと愚かな弟たちだ……」と頭を抱えた。


「みてみよ。お前たちが自分のことで言い争っているので、ネフェルが居たたまれなくなっておるではないか」


 スレキアイが言うようにネフェルは三人が自分を巡って言い争う姿に、手を胸の前で握って震えていた。


「も、申し訳ありません。スレキアイ様……」


 震える声でネフェルが謝罪するとスレキアイは心底やれやれといった風にため息をついた。


「そなたが謝ることではない。むしろ弟たちの無作法を詫びるのはこちらの方じゃ」


 そういってスレキアイは弟たちを睨みつけてひとまず全員を席につかせた。


「誰がネフェルを夜会にエスコートするかで言い争うなど、紳士として最低である。ネフェルの困惑した様子を見てみよ」


 グランダム、ルーシファス、ウィンリルの三人はそのことにハッと気づき、素直に申し訳なく思った。


「それに夜会のパートナーを誰にするか、それを選ぶ権利はお前たちにはない。その権利があるのは女性の方だ。紳士は淑女に夜会へのエスコートを申し出ることはできるが、了承してもらえるかどうかは淑女の気持ち次第じゃ。

 嫌がる淑女を無理やりパートナーにするなど、絶対にあってはならぬことじゃぞ」


 スレキアイは厳しく弟たちを睨みつけ、この事を念入りに諭した。


「三人ともネフェルを夜会にエスコートしたいなら、誰が申し込むかを言い争うのではなく、三人とも申し込み、そしてネフェルに選んでもらえばよかろう。それだけのことじゃ」


 そう言ってスレキアイは「早く済ませろ」と言わんばかりに手をひらひらと振った。


 しかし、その決定にネフェルは喉の奥で「ひッ!」と引きつったような悲鳴を上げて硬直した。


 そのような責任重大で、尚且つ恐れ多い決定を自分に委ねられても困ると率直にネフェルは思ったのだ。


 相手は魔界の公爵家の中でも特に強大な4つの公爵家───その一翼を担うアスタロッド家の令息だ。

 この内、誰か一人でさえ夜会にエスコートしていただけるなら、何を差し出しても構わないと考える令嬢が魔界中に大勢いる。

 そんな魔界にあって、その三人に同時に夜会へのエスコートを申し込まれ、誰か一人を選ばなくてはならないなんて、そんな恐れ多い事を、ネフェルにはできるはずがなかった。


 しかし、そんなネフェルの困惑をよそに、グランダム、ルーシファス、ウィンリルの三人はネフェルの前に片膝をついて膝まづくと手を差し伸べ、そして夜会へのエスコートの申し出を行った。


 まずは三人の中で最も年長のグランダムだった。


「ネフェル。お前にとっては学園で初めての夜会だ。記念すべきその瞬間をアスタロッド家次男、このグランダムが責任を持ってエスコートしよう。今日の夜会でそなたが一番の淑女となるよう、ふさわしい花道を俺が切り拓く。さあ、我が手をとるのだ」


 そう言ってグランダムは伏し目がちに頭を下げた。

 公爵家の令息が自分の前に跪き、手を差し伸べて頭を垂れる姿に、ネフェルは恐れ多くて硬直した。


 しかし事はもちろんそれだけでは終わらなかった。

 次はルーシファスだった。


「ネフェル譲、どうかこの花束をお受け取り下さい。これは僕の誠意のあらわれです。アスタロッド家三男、このルーシファスが今宵、夜会で貴女を守る騎士となります。

 我が誠実の盾が、いかなる害悪からも貴女を守ります。どうか僕の手をとり、貴女は何の憂いもなく、自らの魅力を夜会で開花させて下さい」


 そういって差し出された花束は本当に美しく、こんな花を差し出されて拒むことができる令嬢は魔界中探しても只の一人さえいるはずがないと思える程だった。

 その為、ネフェルはますます硬直してしまった。

 自らの緊張で、自身を絞め殺してしまいそうになったが、これにさらにウィンリルが続いた。


「ネフェル。今日はボクとキミにとってこの学園での初めての夜会だよね。お互い初めての者同士、記念すべきこの夜会を一緒に楽しもうよ。ボクは兄ちゃんたちに比べたら、確かにまだまだ頼りないかもだけど、キミにふさわしいパートナーとしてしっかり役目を果たすよ。お願いだからボクの手をとって」


 子犬のように潤んだつぶらな瞳でウィンリルは訴えてきた。

 その姿は同情心を刺激するのに十分で、また心から欲している誠実さも滲み出ていた。

 正直に言うと、ネフェルは三人の中で最も感情に訴えかける申し出だと思ってしまった。


「「「さあ、どうか我が手をお取りください、ネフェル譲」」」


 三人にそう詰め寄られ、耐えられなくなったネフェルはついに膝が崩れ、両手を床についてしまった。


「ほ、本当に───本当に恐れ多い事でございます……。

 ここにおられる皆さんのその手は、いずれか一つであっても魔界中の令嬢が渇望してやまないこの上ない栄誉です。皆さんに手を差し伸べていただけるなら、何を差し出しても構わない───。魔界中の令嬢がそう恋焦がれております」


 ネフェルがそう前置きする間も三人は手を差し伸べた姿勢でじっと待った。


「それはもちろん私も同じです。華やかな貴族の令息に見初められ、嫁入りできればと何度夢見た事か───。

 …………ですが……だからこそ、だからこそです。

 今、ここでどなたか一人を選ぶことができません。申し訳ありません。これは私の臆病です。どなたか一人を選ぶということはどなたかお二人を選ばないということです。魔界中の令嬢が渇望する最高の栄誉を二つも選ばないという選択が、今の私では到底できないのです。

 ……ですので───ですのでどうか今は……どうか今はお許しください」


 そう言ってネフェルはその場にひれ伏してしまった。


 しばらく部屋に沈黙が続いたが、見かねたスレキアイが助け舟を出した。


「よし。ではこの話は一旦、ここまでじゃ。全員席に着け。そしてまずは昼食にするのじゃ」


 スレキアイにそう言われ、グランダム、ルーシファス、ウィンリル、そしてネフェルも席についた。

 そして言われた通り、昼食を食べ始めた。


 しかし場の空気は重く、誰も一言もしゃべらず、ただ黙々と食事が口に運ばれるだけだった。

 皿の上をナイフとフォークが踊るカチャカチャという音だけが虚しく響いた。


 スレキアイはナイフとフォークを置いて、ため息をついた。


「場の空気が重苦しいではないか。これではせっかくの昼食が台無しだ」


 スレキアイの怒気を察し、責任を感じたネフェルはビクリと体をこわばらせた。


「よし、わかった。ではこの問題はわしが解決する」


 スレキアイがそう宣言すると「「「兄貴・兄上・お兄ちゃんが?」」」と弟たち三人は揃って驚きの声をあげた。


「いったい兄貴がどうやって解決するというのか?」


「なに、簡単なことじゃ。今夜の夜会じゃが、ネフェルはわしがエスコートする。ネフェル嬢は今宵、我がパートナーじゃ。何人たりともネフェル嬢に手出しをすることまかりならん」


「「「ええー!?」」」


 弟たちは驚きの声をあげた。


「兄貴がネフェルをエスコートするだと!?」


「いや、しかし、先ほど誰をパートナーにするか決めるのは淑女だと仰ったのは兄上ではありませんか!?」


「確かにそうじゃが、今のこの状況を解決するのはそれしかなかろう」


「しかし兄貴! 兄貴が夜会に参加するということは……!」


「そ、そうですよ。また魔界中が大混乱に───いえ、魔界が滅亡の危機にさらされてしまいます」


「えっ? な、なにっ? どういうこと? グランダム兄ちゃんも、ルーシファス兄ちゃんも必死すぎて怖いんだけど、これって凄く良くない事なの?」


 取り乱して大騒ぎする弟たちをスレキアイは手をあげて制した。


「これはアスタロッド家長男スレキアイ・バアル・アスタロッドの決定である。

 まさかお前たち……このわしの決定が不服だとでも申すのか?」


 そういってスレキアイは弟たちを睨みつけた。


 いつになく真面目な様子のスレキアイにグランダム、ルーシファス、ウィンリルの三人は瞬時に黙った。

 それは幼少期より何度も植え付けられた畏敬の念によるものだった。

 スレキアイは自分たちの兄で、自分たちはスレキアイの弟であるという覆しようのない絶対的な立場の違い。

 それは単にスレキアイが自分達より数年早く生まれたからという年の差だけではない。

 何においても自分たちが到底敵わない圧倒的な力の差によるものだった。


 ふだんスレキアイはそんなそぶりを全く見せないので、ついつい忘れがちになってしまうが、絶対に誤ってはいけない事実───それは自分たちが所詮は小さなネズミで、スレキアイは雄々しい獅子であるという力の差だった。

 その気になれば自分たちなど指先一つで八つ裂きにされてしまう力をスレキアイは有している。その事を忘れ、兄に対して不敬を働いたり、意向に逆らったりしては絶対にならないということを弟たちは思い出した。


 グランダム、ルーシファス、ウィンリルの三人は静かに立ち上がった。

 そして胸に手を当てると恭しく頭を垂れた。


「「「 かしこまりました 」」」


「「「 兄貴・兄上・兄ちゃんの仰せのままに 」」」


 ネフェルはその光景に目を奪われた。

 かしずく三人の弟たちの中心にあって、スレキアイの威風堂々たる姿勢は後光が差しているかのようだった。

 それはこの場の主が誰であるかをネフェルに知らしめるのに十分だった。

 ネフェルも自然と席を立つとスカートの裾を摘み、深々と膝を折ってスレキアイにカーテシーを捧げた。


「今宵の夜会でのお導きエスコート───スレキアイ様、どうぞ宜しくお願い申し上げます」

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