「若様は、本当に良い人なんだね。あたし、若様のこと……信じるよ」
その後ろ姿には、まだ迷いが残っているように見えた。
「まったく、灯里には驚かされてばかりだな」
この時代の人間の貞操観念は、現代日本と比べると相当に緩いのだろうか。
灯里が脱ぎだしたときのことを思い出して、いまだに胸がドキドキするぞ。
「それに灯里のあの言葉……もしかして俺は、試されていたのか?」
そうであれば、よく俺の理性は耐えきったと
とにかく、これ以上誤解されないように、もっと紳士的な態度を取らないとな。
「コホン──伝助、いるか?」
灯里が別室に着替えに行ったところで、廊下に控えている伝助に声をかける。
家老である伝助が部屋に入ってくると、さっそく本題を切り出すことにした。
「それで伝助、例の件はどうなっている?」
「ははっ。若のご命令通り、
「教団や城下町の住人たちに、灯里だとバレなかったか?」
「あの“みこ”と体格が似ている女の死刑囚を用意いたしましたので、そのご心配はないかと」
灯里は教団に狙われている。
そのため、偽装工作を行ったのだ。
しかし、伝助の顔は
彼の面持ちには、深い
「若、某は心配にござります。確かに体格の似た女死囚を“みこ”の代わりに処刑することで、一時的には教団も貴族たちも騙すことができました。しかし……」
伝助の言葉の意味はわかる。
この策略は、いつまでも続くものではない。
早晩、教団は疑念を抱き、厳しい追及をしてくるだろう。
さらに気になるのは『
彼女たちが“みこ”たちで構成されることを考えると、“みこ”を探し出す独自のネットワークを持っていると考えられる。
そんな『血塗れのみこ』に、この城に灯里を匿っていることが露見すれば、何をしてくるかわかったものではない。
「分かっているさ伝助。だからこそ、急がないとならないんだ」
俺は城の窓から、外を眺める。
遠くには、街の家々から立ち上る煙が見えた。
ちょうど、食事の準備をしているのだろう。
この世界の文明は、日本でいうところの戦国時代くらいのものだ。
だからこそ、灯里の能力を活用できる可能性を俺は見出していた。
この時代には存在しない、未来の道具。
例えば、
きっと、防衛手段として大いに役立つはずだ。
「それに、灯里の“みこ”の力──
「若……」
「彼女の火焔を利用すれば、民の生活も向上するだろう」
この城の廊下は、板張りだ。
暖房もないため、朝に廊下を歩くと足の裏が寒いのだ。
けれども灯里の力を利用して、暖房を作り出すことができれば、それだけで生活は豊かになる。
俺の頭の中では、前世の知識を基にした様々なアイデアが次々と浮かんでいた。
しかし、伝助の表情は晴れない。
「ですが、若。“みこ”を匿うなど、どのような災いが降りかかることか……それに、教団の目も厄介ですぞ」
伝助の声には深い懸念が滲んでいた。
領主である俺が“みこ”を匿う行為は、民衆の強い反発を招くに違いない。
この世界での“みこ”への偏見は、想像以上に根深いものがあるようだ。
けれども、気になることもある。
伝助の言葉の端々からは、教団への不満が感じられた。
そこにつけ込める隙があると判断し、俺は作戦を変更する。
「実はな、伝助。俺が巫女を匿っているのは、ただ教団を困らせたいからなんだ」
「は?」
伝助は目を丸くした。
予想外の言葉に、彼の表情が一瞬にして変化する。
「近頃の教団は、権勢を振りかざしすぎている。国主にまで高圧的な態度を取るありさまだ。一度、痛い目に遭わせてやる必要があるだろう?」
「……確かに、おっしゃる通りかもしれません。最近の教団は、あまりにも傲慢です」
「この潮見城をまとめ上げるためにも、教団の力を削ぐことは必要だ。だから伝助、そのためにも力を貸してくれ」
「…………若がそこまで考えておられてとは。不肖、この津田伝助。若の力となるため、誠心誠意勤めさせていただきまする!」
その時、襖が静かに開く音がする。
灯里が部屋に戻ってきたのだ。
照れるようにうつむきながら、灯里は俺に告げる。
「若様、どうかな……?」
紅白の装束に身を包んだ灯里の姿は、前世で見た巫女そのものの姿だった。
清純そうな純白の小袖に、深く鮮やかな緋袴。
肩から垂れる灯里の赤色の髪が、白と紅の装束に生えて、炎のように煌めく。
凛とした装いは、まるで神々のような気高さを彼女に纏わせていた。
腰で結ばれた紐が、彼女の細いウェストが動くたびにかすかに揺れている。
その可憐な姿に、伝助も思わず息を呑んだようだった。
だが、灯里は落ち着かない様子で、チラチラと俺の方を見ている。
不安そうな表情には、どこか可愛らしさも感じられた。
灯里は両手を前で重ね、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「変じゃ、ない……?」
「よく似合っている。すごく可愛いと思うぞ」
「あ、ありがとう……ございます……」
褒められたことが、嬉しかったのだろう。
満更でもないといった表情をしている。
「若様。その、この服は……本当に、あたしのために……?」
灯里は上目遣いで、俺を見る。
その瞳には期待と不安が入り混じっていた。
「もちろんだ。俺が灯里にプレゼントしたものだからな」
「あたし、こんな高価なもの貰ったの、生まれて初めてだよ!」
俺の発言に対して、灯里が嬉しそうに顔をほころばせる。
灯里の機嫌が良くなったことだし、そろそろ次の計画に移ろう。
「灯里、ちょうどいいところに戻ってきた。俺に付き合ってくれ」
「つ、付き合う!? こんなに豪華な物を贈ってくるくらいだし、もしかしてあたしを、若様の恋人に……」
「このまま実験場へ行こう」
「……え、実験……場?」
ポカンとした灯里の表情が、妙に目に焼き付いてしまう。
状況を把握できていない灯里のために、俺は最初から説明することにする。
「灯里の“みこ”の力は、決して邪悪なものじゃない。むしろ、世のため人のために使われるべきものなんだ」
「それと実験に、なんの関係があるの?」
「昨日、灯里が炎の力をコントロールしたことは覚えているだろう? あの続きをするんだ
俺は城の外れに火に強い実験場を設けることにした。
石造りの建物の中に、耐火性の高い材料を使って作業台を設置し、様々な実験器具も用意してある。
ここで彼女の火焔の力を研究し、その可能性を探るのだ。
俺が実験について意気揚々に語り終えると、なぜか灯りが肩を落としてシュンとしていた。
自分の胸に両手を重ねて、自信なさげにつぶやく。
「あたし、これでも村では綺麗なほうだって言われていたけど……もしかして違ったのかな?」
「ないボソボソとひとり言をつぶやいているんだ。早く行くぞ」
「あ……若様、待って!」
灯里に巫女装束をプレゼントしたからだろうか。
俺の言う通り、灯里は従順な態度を取りながら実験に付き合ってくれた。
それから俺と灯里による、“みこ”の力の研究が始まった。
俺たちの研究は順調に進んでいた。
灯里の火焔は、温度も強さも驚くほど自在にコントロールできることが分かってきた。
これなら、俺が考えている計画も実現可能かもしれない。
そうして一週間が経過した頃。
俺が灯里の火焔の研究に没頭していた時、突然の報せが届いた。
「若、大変でございます!」
駆け込んできた伝助の声は切迫していた。
その表情には、ただならぬ緊迫感が浮かんでいる。
「伝助、いったいなにがあった?」
「民衆が……城内の民衆が、領主官邸に押し寄せております!」
伝助は、息を切らしながら続ける。
「みな、こう申しております──灯里殿を、引き渡せと」