暴徒と化した民衆が、大声をあげながら押し寄せている。
なぜこんな大騒動が起きているのか。
それは灯里が生きているのが、バレてしまったからだ。
せっかく用意した偽装工作だったが、一週間しか持たなかったようだ。
伝助をはじめとする武士たちが必死に秩序を保とうとしているが、民衆の怒りは収まる気配がない。
彼らは武士たちの警戒線に向かって次々と突進してくる。
その時、群衆の前方に見覚えのある姿を見つけた。
「あれは……あの時の僧侶か」
この世界に転生した直後、灯里の処刑を急かしていた教団の僧侶だ。
だが、なぜ僧侶があんなところにいる?
もしかして、この暴動は教団が引き起こしたことなのか?
「伝助、命令だ。あの僧侶を連れてきてくれ」
すぐさま伝助により、教団の僧侶が領主官邸へと連れてくる。
袈裟を見に包んだ、坊主頭の男。
この世界の僧侶の格好は、日本で目にしたお坊さんとよく似ていた。
俺はわざと恭しく僧侶に礼をしながら、口を開く。
「お願いがございます。民衆の怒りを鎮めていただけませんでしょうか?」
そう俺が発現すると、僧侶は得意げな表情を浮かべた。
俺が降伏したと思い込んだのだろう。
僧侶はこちらを見下すように、こう宣言してくる。
「“みこ”を
「一万貫、だって……? 小さな城が一つ建つくらいの金額だぞ」
「
僧侶は、あくまで教団の正義なのだと主張している。
けれども俺はその言葉を聞き流しながら、傍らの武士の刀を抜き、僧侶の首筋に突きつけた。
「教団の僧侶でありながら、民衆を煽動して反乱を引き起こした。これは重罪だ」
場は水を打ったように静まり返った。
俺の突然の行動に、みな驚きを隠せないでいるようだ。
続けて、俺は聴衆にも聞こえるように大声で発する。
「民の
僧侶の顔から血の気が引いていく。
ここは
城主である俺のほうが、立場は上だ。
「本来なら即刻処刑だが、これまでの貢献を考慮し、一時的に投獄して処遇を待つことにしよう」
ここが教団であれば、こうはいかない。
けれども、俺は国主の息子であり、この城の城主だ。
俺の言葉に、誰も異を唱えることができない。
僧侶は抵抗使用するが、生粋の武人である武士たちには敵わない。
部下である武士たちによって、僧侶が縄にかけられた。
監獄へ連行される途中、僧侶は大声で叫ぶ。
「
──紅雨季。
その言葉を聞いて、俺はこの肉体の持ち主である記憶を思い出す。
紅雨季は毎年3月から5月にかけて発生する異常気象で、赤い雨が大陸全体に降り注ぐ減少である。
ちょうど紅雨季の時期になると、大陸の東にある海の潮が引き、三つの陸橋が現れる。
その陸橋を通じて、荒魔と呼ばれる怪物が人間の領域に襲来するのだ。
そして運の悪いことに、潮見城はその陸橋の一つの終点に位置している。
必然的に、この城は荒魔の攻撃対象となるというわけだ。
しかし、いくら荒魔の脅威があるといっても、教団の好きにさせるわけにはいかない。
連行される僧侶に対して、俺はこう告げる。
「もうすぐ荒魔が襲ってくるとしても、それらの危機はいつか対処するべきことだ。だから逃げるよりもあえて立ち向かうことこそ、正しいんだと思う」
そのためにも、“みこ”である灯里の力が必要だ。
だから、教団に灯里を奪われるわけにはいかない。
──そうだ、灯里の力があれば、きっと何とかなる。
この危機を乗り越えることこそ、自分がこの世界に転移してきた理由なのかもしれない。
こんな異世界に転生してしまった俺だが、潮見城を救うことで自身の価値が証明できるかもしれない。
この城を襲う危機を防ぐことができれば、皆本守というこの肉体に憑依してしまった俺の存在が、認められる気がする。
そう、考えることができた。
思い立ったが
すぐさま、俺は領主官邸の前まで移動した。
そして暴徒と化していた民衆の前に、
「お前たち、よ~く聞けぇえ!!」
俺がそう叫ぶと、一人、また一人と民たちがこちらへと視線を移す。
次第に、「若様だ」「若様が来たぞ」と、声が上がった。
「もうすぐ紅雨季がやってくる。つまりまた、荒魔が襲撃してくるってわけだ」
俺の言葉を聞いた民衆が、ピタリと黙った。
紅雨季と荒魔という生命を脅かす単語によって、現実に引き戻されたかのように冷静になったようだ。
「でも、安心して欲しい。俺が潮見城の城主となったからには、荒魔たちの好きにはさせない」
そうは言ったものの、民衆の顔は不安に満ちていた。
いくら城主の発言だとしても、彼らは毎年のように生命の危機に脅かされていた。
それだけ荒魔というのは、人間にとって恐ろしい存在なのだ。
「みんなが不安になる気持ちはわかる。けど、安心して欲しい。俺に秘策がある」
聴衆となっていた民の一人が、不思議そうに尋ねてくる。
「秘策、ですか……?」
「その秘策こそが、こないだ捕えた“みこ”だ! みんなには嘘をついて悪かったと思うが、それには理由がある。みんなを心配させたくなかったからなんだ」
「若様……」
民衆の表情が、怒りから安堵へと移り変わっていく。
城主である俺が、なぜ“みこ”を匿ったのか。
その理由を知ることができて、とりあえず納得してくれたようだ。
だが、それで終わりにはしない。
潮見城を一つにまとめ上げるためにも、きちんと宣言する。
「俺はこの潮見城を率いて、紅雨季を乗り越えてみせる! それだけじゃない、“みこ”と荒魔に関する教団の嘘も、必ず証明してみせよう!」
教団は、何か嘘をついている。
けれども、その嘘を暴いて民衆の洗脳を解くことは、まだできない。
だからこうやって、布石を打っていく。
無事に紅雨季を乗り越えて、俺が潮見城とその民を守り抜くことができれば、きっと彼らも俺の言葉を信じ始めてくれるはずだ。
俺の宣言によって、民衆たちの暴動は完全に収束した。
領主官邸へと押しかけていた民衆は、波が引くように街へと戻っていく。
僧侶の企ては、完全に防ぐことができた。
傍らで俺のことを見守っていた伝助が、ぽつりと呟く。
「この騒動を治めるなんて、若は凄い……」
「これから忙しくなる。伝助、そしてお前たち、よろしく頼むぞ」
「ははっ!」
部下たちが一斉に返答する。
その様子を眺めながら、俺は街へと戻る民衆へと視線を移した。
◇ ◇ ◇
城へと押し寄せる民衆たちの様子を、一人の少女が見つめていた。
フードを被ったその少女は人混みから抜け出し、遠くを眺めている。
潮見城の城主である皆本守の演説は、予想以上の効果を上げた。
あれだけ怒り狂っていた民たちが、完全に静まったのだ。
街に戻るためにぞろぞろと移動する民衆の後方で、彼女は皆本守を視界に捉える。
遠くからでもわかるほど、皆本守の表情には自信が満ちていた。
彼女は腰に隠した短刀をそっと握りしめる。
次の瞬間、彼女は群衆の影の中に紛れ込んで、姿を消した。