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第10話 紅雨季に備えて

俺は城内の政務室に戻り、重い溜め息をつきながら椅子に腰を下ろした。

そして家老である伝助でんすけに対して、こう命じる。


「伝助、潮見城しおみじょうに関する資料をすべて持ってきてくれ」


「この城の資料で、ござりますか?」


俺はまだこの世界に転生してきたばかり。

だからこそ、知識が足りない。

潮見城を襲うという紅雨季が始まるまでに、知らければならないことが多いのだ。


「『紅雨季こううき』を乗り越えるには、まずこの城のことを理解しなければならないからな。時間は待ってくれない、すぐに方策を練るぞ」


「はっ!」


即座に動き出した伝助は、数十分後には両手いっぱいの文書を抱えて戻ってきた。

出来る部下を持って、俺は幸運だ。


文書に目を通しながら、俺は時折伝助に確認の質問を投げかける。

伝助は、俺の疑問に対して、すぐに返事をしてくれた。

そして次第に、この潮見城の置かれた状況が見えてくる。

それは、予想以上に厳しいものだった。


一通りの説明を受けた俺は、自分の顎に手を当てながらつぶやく。


「まさか『紅雨季』の間は、民を別の場所に避難させていたとはな」


「はい。それがしが調査した結果、以前の潮見城城主は、民を風間城かざまじょうに避難させていたようでございまする」


「風間城ってのは、たしか潮見城よりも内陸に位置している城だな。でも、なんでわざわざ風間城に?」


「風間城は石垣が高く、防衛に適しているのでございます。しかも我らが潮見城よりも西側に位置していることもあり、比較的安全な場所なのでございます」


『紅雨季』は毎年やってくる。

だからこれまで、どうやって潮見城を守っていたのだろうかと思ったが、毎年3月~5月にかけての荒魔からの攻撃を避けるために、まさか民を逃がしていたとは思わなかった。


たしかに、悪くない策だ。

民の命を守るのは、城主の責任なのだから。


だが、欠点もある。

風間城へ避難している間、民たちは仕事ができない。

そのせいで、3か月間ずっと収入が得られないのだ。


「それだけではございません。避難の途中に、命を落とす民も少なくはありません」


「潮見城にいるよりは生存率が高いんじゃないか?」


「それはそうなのですが、その民の命と引き換えに誓約があるのです……」


伝助が重い口調で続ける。


「風間城への庇護料ひごりょうも馬鹿にならぬ額でして……」


「なるほど、それは潮見城にとってはかなりの痛手だな」


民たちの安全が保障される代わりに、『紅雨季』の3か月の間は潮見城の力が減るばかり。

むしろ、搾取されているといってもいい。


「そもそもこの潮見城の設立自体が、風間城へ荒魔こうまが侵入しないようにするためだったと聞いておりまする」


「俺たちは、風間城のための盾ってわけか」


それでいてこちらが金まで払わなければならないのは、さすがにやりすぎだ。

しかし、これまでそうやって潮見城はやってきていた。


その理由の一つが、先代城主たちは風間城主の部下であるということ。

主である風間城のために、潮見城は血を流し続けていたのだろう。



「問題はもう一つございます。若、こちらの書類をご覧ください」


「『紅雨季』に備えて用意した兵糧ひょうりょうについてか……これがどうかしたのか?」


「実は、兵糧が足りないのでございます」


「なんだって!?」


「実は、この潮見城は食糧不足になりやすいという欠点がございます」


「食糧不足? 海に面しているんだから、海産物が採れるだろう?」


「荒魔たちへと続いている陸橋があるせいか、漁獲量は他の場所よりも低いようです。そのため、我が潮見城の特産品を風間城に渡すことで、食糧を得ていたようです」


潮見城では、真珠しんじゅや鉱石が良く取れる。

だからそれらと食糧を交換することで、食糧不足を補っていたようだ。


「これがその取引の契約書か。随分と吹っ掛けられているな」


「こちらが強気に出られないことを知ってか、法外な契約を結ばされていたようでございますね」



食糧を得るために行われた取引は、非常に不当なものだった。

潮見城は、常に風間城に搾取されていたのだ。


──この体の持ち主であった皆本守の父親が、皆本守を潮見城へと送った本当の理由が理解できたな。


この潮見城は、他の城よりも過酷だ。

国主である父親は、皆本守をあえてそんな場所へと追放した。


皆本守と父親の関係性に、とある確信が生まれる。


「やはり国主である父は、俺のことが嫌いだったんだな……」


俺が小さくため息をつくと、伝助が「若……」と声を上げた。

伝助は、側近の部下であり、皆本守の幼馴染でもある。

だから俺のその呟きが、長年共に過ごしてきた伝助の胸を深く突き刺したようだ。


その証拠に、伝助は俺の傍らに寄り、慰めの言葉を探しているようだった。

しかし、その必要はない。

すでに伝助がこちらに近付いてきた時には、俺の気持ちは固まっていた。

俺は顔を上げ、決意に満ちた眼差しで前を見据える。


皆本守が父親から好かれていなかったのは、もう仕方のないことだ。

それに前の持ち主がどうであれ、いまは自分がこの身体の新しい主になっている。

俺は皆本守として生きるしかないのだから、無為に未来を諦めたりはしない。


だからきちんと、俺の意思表明を伝助に伝えよう。


「生き残るためにも、行動しなければならない………下を向いているひまなんて、ないんだ」


伝助の表情が微かに曇るのが見えた。

俺が何を考えているのか、理解したのだろう。

伝助はなにか達観したような目で、小さくつぶやく。


「若は、変わりましたね……」


「潮見城に追放されて、そうならないといけない状況になったからな」


「いいえ、むしろ若が“みこ”と出会ってから…………」


そう、“みこ”である灯里と出会ったことは、俺にとって光明だった。

灯里がいなければ、これから待ち受ける苦難に対して、もっと絶望していたかもしれない。


「伝助に頼みたいことがある。『紅雨季』を経験した者を連れてきてくれ」


「と、いいますと?」


「実体験者の話を聞きたい。文書だけでは分からないことがあるはずだ」


実際に『紅雨季』を経験した者から、詳しい情報を得たい。

潮見城を強化する対策は、それからだ。



それからしばらくすると、伝助が一人の男を連れてきた。


いったいどんな者が来るのかと思っていたが、開いたふすまから現れたその者の姿を見て、俺は目を見開く。


政務室へと足を踏み入れてきたのは、半裸で全身にずみを施した大男だった。

その異様な出で立ちに、全身に緊張が走る。


「伝助、その者は?」


「彼の名はパール。海潮族かいちょうぞくの真珠採りでございまする」



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