伝助に連れられて、一人の大男が政務室に入ってくる。
パールと紹介されたその男は、全身に入れ墨を施し、上半身は裸。
城下町の民たちとは、雰囲気がまったく違っている。
その男は、政務室の主である俺に対して、強気で挨拶をしてくる。
「オレはパール。海潮族の真珠採りだ」
「無礼者! このお方が誰だと思っておる!」
パールの口ぶりに対し、すぐさま伝助が激を飛ばした。
城主である俺に対し、こんなフランクに喋ってくるのは灯里くらいなものだろう。
刀を抜こうとする伝助を、俺は手で制止する。
「いや、伝助いいんだ。急に呼びつけたのは俺のほうだからな」
「ですが、若!」
怒りを露わにする伝助をなだめながら、俺は改めてパールへ顔を向ける。
「パールさん、あなたをここに呼んだのは他でもない。『紅雨季』での経験を、俺に聞かせてもらえないだろうか」
パールは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに真摯な面持ちになった。
そして視線を上に向けて、思い出すように口を開く。
「一年前のことだ。あの日、オレは海で真珠を採っていた。だが突然、巨大な影が海面を覆ったんだ」
「巨大な影?」
「そいつの正体は肉食海亀型の荒獣(こうじゅう)だった。甲羅だけでも普通の家ほどもある化け物で、オレは命がけでそいつと戦った」
「荒獣とは、なんだ?」
初めて聞く言葉に、俺は身を乗り出す。
これまで紅雨季の脅威として耳にしていた荒魔以外にも、そんな存在がいたとは。
「荒獣とは、紅雨の影響で突然変異し、巨大化した水生生物のことだ」
荒獣という言葉を初めて耳にしたことで、俺はパールの話に引き込まれていった。
この身体の持ち主である皆本守の知識のおかげで、『紅雨季』に荒魔が襲ってくるのは知っていたが、荒獣については初耳だったからだ。
「パールさん。荒獣について、もっと詳しく教えてくれ」
「荒獣と一言に言っても、いろいろある。背中に棘の生えた巨大なヤドカリ、陸上を潜行できる巨大なサメ、触手で陸を這う毒クラゲなど、種類は様々だ」
「まるで化け物だな」
聞いただけで、恐ろしい生物だと想像できる。
陸上を潜行できる巨大なサメなんて、B級パニック映画のような状況になるとしか考えられない。
パールは続けて、俺にこう説明する。
「だが本当の化け物は別にいる。最も恐ろしいのは『融合種』と呼ばれる奴らだ」
「融合種?」
「水生生物の様々な部位が融合してできた正真正銘の化け物だ。例えば、亀の甲羅を背負った四肢を持つ巨大なサメとかだな」
ますますB級映画みたいになってきたな。
そんな化け物と戦うとか、御免でしかないぞ。
俺は深く、ため息をついた。
「それら化け物の荒獣に加えて、荒魔まで襲ってくるってわけか……」
荒魔は人口の多い富裕な都市を好んで襲うという。
潮見城は、彼らにとって良いカモなのだ。
パールの話を聞いた俺は、静かに口を閉じる。
そのせいで、パールは俺が意気消沈したと思ったのだろう。
「城主を怖がらせるつもりはなかったんだが──」
そこでパールは、言葉を止める。
そのまま静かに、俺の顔を注視してきた。
政務室にしばしの静寂が訪れる。
その重たい空気を、俺が口を開くことで破る。
「パールはその荒獣と戦ったと言っていたが、どうなったんだ?」
「もちろん、オレが討ち取りました」
「つまり荒獣は、人間に倒せる相手ということ──潮見城を守ることも不可能ではないってわけだ」
俺の言葉に、パールは目を見開いた。
そして驚きの表情を浮かべた後、ゆっくりと頷く。
「城主は若いのに、これまでの城主とは違うようだな」
パールはそう言いながら退室した。
廊下を歩く足音が遠くなったのを確認すると、すぐさま伝助が話しかけてくる。
「若! まさか荒魔だけでなく、荒獣とも戦うつもりですか?」
「そのつもりだが、それがどうした?」
「さすがにそれは、無謀というものです!」
伝助の声には切迫感があった。
どれだけ俺が、無茶なことを言ったのかよく理解できるほどに
「若ひとりであれば、いつでも風間城にお逃げになれます。風間城の城主も、若のお立場を考えれば、手厚くもてなして下さるはずでございまする」
確かに、伝助の言う通りだった。
俺のような身分の者が、わざわざ命を危険に晒す必要はない。
しかし──。
「伝助」
俺はゆっくりと、決意を込めて発する。
「俺はこの潮見城の城主だ。俺がこの城を守らないで、誰が守るっていうんだ」
「わ、若……」
「それにこれは、俺自身のためだけじゃない。この城に住む民のためでもある」
「では、どうやって守るというのです?」
「まずは、高い石垣が欲しいな」
「石垣ですか? 今の潮見城には低くて簡易な石垣と、木の柵があるだけです」
「なら、作ればいいじゃないか」
俺は椅子から立ち上がる。
そして、窓の外から城下町を見下ろした。
「紅雨季が来るまでの三ヶ月で、潮見城に石垣を築き上げる。首都のように高いものは無理でも、荒獣を防ぐには十分なものを」
「そんな急に、申されましても……」
「伝助の心配していることもわかる。もし石垣が間に合わなければ、城の民を風間城に避難させ、安全を保証する。それでいいか?」
「そういうことでしたら、某も安心でございまする」
「なら、決まりだな」
今後の潮見城の方針が決まった。
あとは、計画に移すのみ。
だがその前に、他の計画の様子を伺いに行くことにする。
俺は灯里の住む、郊外の隠れ家に向かった。
その隠れ家には、白っぽい小さな石が山積みになっていた。
鉱山から掘り出された石灰石(せっかいせき)だ。
石灰石の山の中を歩きながら、隠れ家の中を進んでいると、突然背後から肩を叩かれる。
振り返ると、巫女装束の灯里が立っていた。
灯里は俺の顔を見ると、満面の笑みを浮かべながらこう言う。
「頼まれていたこと、できたよ!」
──ボゥッ。
灯里の手のひらに、小さな炎が現れる。
「ほら若様、よ~く見てて!」
ここは室内だ。
だから風なんてあるはずないのに、炎は灯里の意志に従うように左右に揺れ、大きくなったり小さくなったりしている。
「灯里、すごいぞっ! こんなにも早く、“みこ”の力をコントロールできるようになるなんて!」
「そ、そう?」
「ああ、灯里は天才だ」
「えへへ、それほどでも……かなぁ?」
気のせいだろうか。
灯里の顔が、妙に赤くなっている。
いったいなぜと思ったところで、気が付いた。
感激のあまり、思わず俺は彼女の手を握りしめていたのだ。
「あ、悪い」
「い、いえっ……」
慌てて手を離すと、灯里も申し訳なさそうな表情をしていた。
彼女の額には汗が滲み、白い服には汗の跡が残っている。
よく見てみると、顔色もあまりよくない。
疲れが出ているのだ。
これほどの精密な火の操縦を実現するために、どれほどの努力を重ねたのだろうか。
俺は心からの賞賛を灯里に贈る。
「よく頑張ったな。偉いぞ灯里」
「若様の期待に、応えたかっただけですから……」
「疲れているだろう。休んでもらっても構わないが、もしそうでないなら頼みたいことがある」
「若様のお願いなら、なんでもきくよ! あたしは若様のために働くって契約をしたんだから!」
さきほどまでの疲れが吹き飛んだかのように、灯里の言葉には強い気迫が籠っていた。
これなら、任せても大丈夫だろう。
「じゃあ次は、もう一段階上の訓練に移ろう。今度は鉄を溶かすくらいの高温を出せるようになってもらいたい」
「鉄を……うん、やってみる!」
灯里の瞳に強い意志が宿るのを見て、俺は確信する。
紅雨季までの三ヶ月、決して長くはない時間だ。
けれども灯里の力があれば、必ず潮見城を守り抜けるはず。
そのためにも、まずは灯里の“みこ”の能力を最大限に引き出さねばならない。
夕暮れの空が赤く染まる中、俺たちは新たな訓練へと踏み出していった。