潮見城から離れたとある場所に、高い壁に囲まれた家があった。
その家は、武装した武士により常に厳重な警備がなされている。
ここは俺が灯里のために作った隠れ家であり、そして“みこ”の研究所のような場所だ。
今日はその隠れ家に新たに建造した焼成室で、とある事件をしている。
俺は焼成室の裏庭に立ち、最初のセメントが完成するのを今か今かと待っていた。
だが、内心では焦りが渦巻いている。
なぜならこの灼熱の温度を誇る
「
この焼成室の中に、灯里が入っている。
焼成室は、長さ約十五メートル、幅四メートル。
前門は材料の搬入用に広く造られ、後門は灯里が密かに出入りするための通路となっている。
焼成室をこのような構造にしたのは、灯里の存在を隠し、また彼女が力を使う姿が人々の目に触れて恐怖を与えないようにするためだ。
そして、灯里がここにいることは極秘事項。
現在、灯里のことを知っているのは俺と伝助、それに伝助が選んだ数名の忠実な武士たちだけ。
安全のため、焼成室の後方には囲いを設け、信頼できる武士たちに警戒を命じている。
けれどもここにいるのは俺と、そして焼成室の中にいる灯里だけ。
だというのに、いまの俺ができることは何もない。
外で待機している俺は、ただ灯里を待つことしかできないのだ。
風の音と、焼成室から漏れ出る灼熱の空気だけが、この静寂を破っていた。
そんな緊張感ある空気の中、俺はこれからの展望をつぶやく。
「これでセメントさえできれば……」
潮見城を守る秘策。
そのうちの一つが、セメントの製造だ。
日本では土木建築としてセメントが使われることは常識だったが、この異世界では違う。
セメントという存在そのものが、特に普及しているわけではないようだった。
そもそもセメントとは、コンクリートを作るための材料のひとつだ。
セメントを製造することができれば、モルタルやコンクリートとして使用できる。
そのセメントのおもな原料は石灰石だ。
作り方を簡単に説明すると、石灰岩など材料を細かく粉砕し、それを高温で焼くだけ。
一見単純に思えるセメントの生産だが、最も重要なのは焼成時の温度管理だ。
セメントを作るための炎の温度が、鉄の溶解点に近い温度が必要なことは知っていた。
しかし、この世界では炉の温度を正確に測る術がない。
そのため、灯里の“みこ”の力──火焔に頼るしかなかった。
これは潮見城を守るための第一歩だ。
もしもセメントができなければ、石垣を築く計画すら立てられない。
伝助はセメントが本当に作れるのか疑念を抱いているようだったが、俺は「セメントの配合は蒼霞国首都の修験者組合から学んだものだ」と嘘をついて取り繕った。
少し疑っているようではあったが、現物を見せればあの堅物の伝助も納得してくれるだろう。
とはいえ、セメントをこの手で作るのは初めて。
だから焼成室の外で灯里を見守っているだけのこの時間は、不安をより多くした。
そんな途方もなく長く感じる時間も、ついに終わりがやってくる。
「……ついに、きたか!」
窓の外で炎が徐々に消えていくのが見えた。
そして、灯里が焼成室から姿を現す。
「灯里!」
俺は即座に灯里へと駆け寄る。
けれども、はっとして足を止めた。
彼女の全身が、視界に入ったからだ。
「灯里……なんで裸、なんだ?」
「え? あ…………きゃあ!」
あまりの高温に耐えきれなかったのだろう、灯里の全身の服が焼け落ちていたのだ。
自分の状況に気が付いた灯里は、恥ずかしそうに身を縮める。
俺はとっさに上着を脱いで、灯里の肩にかけてやる。
「わ、悪い! これを使ってくれ」
「若様、ありがとう……」
灯里は照れくさそうに微笑みながら、上着を身にまとう。
彼女の頬が赤く染まっているのが見え、その艶のある表情に俺は思わず目を逸らす。
なぜか変な空気になってしまった。
なんとか普段通りの態度で接しようと、俺は気を取り直して尋ねる。
「その様子だと、もしかして上手くいったのか?」
「うん! 頑張って燃やしてみたけど、これで大丈夫?」
灯里の報告に、俺は我を忘れて焼成室に飛び込んだ。
まだ残っている灼熱の空気に、思わず息を飲む。
焼成室の中には、確かに灰色の小さな塊が広がっていた。
「良し、しっかりクリンカができてる!」
「くりんか……?」
灯里が不思議そうに尋ねてきた。
そういえば、細かいことはまだ説明していなかったな。
「クリンカはセメントになる前の物質だな。これを冷やしたあとに粉砕すれば、セメントの完成だ」
他にも細かい行程があるのだが、ここまでできれば問題ないだろう。
セメントさえできれば、計画は次の段階へと移行できる。
「そもそも若様がセメントってのを作りたいのはわかったけど、そんな石ころをどうするの?」
「ただの石ころじゃない。まだセメントになってないからこんな形をしているけど、セメントはいろいろと使い道がある」
「使い道?」
「たとえばセメントに水を混ぜれば、セメントペーストになる。この状態になれば接着剤のような役割を果たして、いろいろと使用用途があるな」
「せめんとぺえすと……?」
一般的に、セメントといってイメージするのがこのセメントペーストのことだ。
セメントは粉状のものをいうから、これに水を加えることで様々な材料として使用される。
「他にも、セメントに水と砂を混ぜればモルタルになるし、それにさらに砂利を混ぜればコンクリートになる」
「もるたるにこんくりーと? そんなのが荒魔や荒獣の役に立つの?」
「役に立つさ。なにせ、城壁などの建物が強化できるんだからな」
セメントがあるだけで、建築の幅が広がる。
潮見城の防御力を上げるためにも、このセメントは大活躍してくれるに違いない。
「全部、灯里のおかげだ」
「……別に、あたしは炎を出しただけだから」
「そんな謙遜しなくていい。これは灯里にしかできないことなんだからな。」
「…………なら遠慮なく、その言葉を受け取ってこうかなっ!」
どうやら灯里も満更でもなさそうだ。
嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべる灯里の頭を、ぽんぽんと優しく叩く。
これで、セメントを量産することができる。
俺は見張りとして外で警備をしていた兵士を呼んで、こう命じる。
「人を呼んできてくれ。みんなでクリンカ砕く」
手が空いている人員を使い、クリンカを砕いて粉状にする。
そして仕上げに石膏を加えて、セメントが完成した。
ここまでできれば、次の段階へ移行できるだろう。
手伝いにきていた伝助に向けて、俺はこう命じる。
「伝助! 水と砂を用意してくれ。モルタルを作るぞ」