俺は
彼は風間城の六大武家『六川』の一つである、長谷川家の後継者だそうだ。
事前に入手してある情報によれば、長谷川昌治は商家出身らしく、一般的な武家の人間とは少し違った考えをもっているようだ。
それは俺が用意した特別製の箸に気を向けたことからも、察することができた。
前世の知識を利用し、この世界にはない箸の装飾を作ってみたかいがあったというものだ。
──そもそも、この世界で箸を使っているのが上流階級だけだっていうのが驚きだよな。
最初に聞いたときは耳を疑ったが、それほどこの世界の文化水準は低いということがわかった。
これを利用しない手はない。
俺が長谷川へと視線を向けると、彼は「いや~、美味な食事でした」と箸を置いた。
そして、ゆっくりと俺と目を合わせる。
妙な緊張感が、二人の間を走った。
その小さな動作から、これからが本題なのだということを無意識に理解してしまう。
張り詰めるようなその空気を破ったのは、長谷川からだった。
「皆本殿、それでだが……鉱石の取引について、改めて話し合いたい」
やはりかと、思った。
風間城は、潮見城が密かに行っている鉱石の売買について、勘づいたのだ。
「これまで我が風間城と潮見城長い間、良好な関係を築いてきました。だからこそ、我々はあなたたちを助けたい──
長谷川が切り出したのは、潮見城の鉱石の貿易に関する提案だった。
これまで風間城は、潮見城の資源を事実上、独占してきた。
不当に安い価格で買い取り、穀物と交換するという、一方的な取引を続けてきたのだ。
だが潮見城は、密かに他の城との貿易を始めている。
もしもそれが続けば、風間城はこれまでのように潮見城から利益を独占することができない。
それを阻止するのが、長谷川がわざわざ潮見城までやって来た本当の理由なのだろう。
長谷川は、さらに続ける。
「見たところ、城の防衛を強化しているようですね。風間城まで鉱石を運ぶ人材が足りないのでしたら、こちらか人をやりましょう」
風間城はどうしても、潮見城の鉱石を独占したいらしい。
だが、そっちがその気でも、こちらはその提案を受け入れる気はさらさらない。
俺は箸を静かに置き、ゆっくりと長谷川へと声をかける。
「風間城のご配慮、誠に嬉しい限りです」
「では皆本殿──」
「しかし、お恥ずかしいことに、我が潮見城には鉱石の蓄えはもうほとんどありません。
「鉱山の崩落、ですか……?」
長谷川が意表をつかれたような顔になった。
それもそのはず、北山鉱山は実際には崩落していない。
だからこそ、この会談が終わったあと、長谷川は北山鉱山の事実関係を確かめるだろう。
しかし、それは無駄なことだ。
第三者から見れば本当に鉱山が崩落してしまったと思うように、鉱山の外は閉鎖してある。
その実、鉱山内では密かに採掘が続いているのだが、風間城がこのことを知ることは難しい。
「北山鉱山の崩落に伴い、鉱石の産出量が大幅に減少しています」
「では、鉱山がだめでも真珠は──」
「真珠は『紅雨季』の影響で収穫量が減っています。ご存知ですよね、海には荒獣がいることを。紅雨季が近づいたことで猟師が荒獣を恐れて、漁に出ないんですよ」
もちろんそれも嘘なのだが、風間城がそれを知るすべはない。
真珠漁を営む海潮族のパールには、もし風間城の密偵が来たら、真珠漁をしていないと返答するように指示してある。
これで、風間城が無理やり貿易を行うよう提案することはなくなった。
けれども、それだけでは足りない。
俺は落ち着いた声で、長谷川へと声をかける。
「長谷川殿は、潮見城の現状を本当にご理解いただけていますか?」
「……何のことですか?」
長谷川が眉をひそめた。
警戒しているようだが、俺は構わずに続ける。
「我が潮見城は、これまでの貿易方法では『紅雨季』を生き抜くことができません。根本的な変革が必要なのです」
「変革、ですか」
「資源の枯渇、人口の減少、経済の停滞。このままでは、潮見城は『紅雨季』を乗り越えることはできません。ですから、これまでと全く同じような貿易は、難しくなるでしょう」
俺の言葉に対し、長谷川は考え込むように視線を動かした。
そして数秒後、潮見城に対する新しい提案を口にする。
「でしたら皆本殿、こういうのはどうでしょう? 『紅雨季』が理由で真珠漁ができないのであれば、その間は風間城が一ヶ月分の穀物を貸し付け、『紅雨季』が明けた後に鉱石と真珠で返済する、というのはいかがでしょう?」
「ありがたいご提案ですが、お断りさせていただきます」
その提案は、表面上は潮見城に有利に見える。
しかし実際は、風間城が潮見城の支配を継続するための策略なのだろう。
そんなの、受けるはずがない。
「長谷川殿には、お伝えしておきましょう。すでに
俺の発言を聞いた長谷川の表情が、微かに曇った。
もし俺の話が事実なら、風間城の長年の支配構造が崩壊しかねないからだ。
それでも長谷川はこの会談の風間城側の責任者。
なんとしてでも風間城に有利な条件を引き出そうと、さらなる提案を口にする。
「皆本殿──そういうことでしたら、風間城には市場価格の三割引きで鉱石と真珠を買い取る準備があります。市崎に融通するよりは、潮見城にも利があると思いますが
……?」
「三割引き、か……」
たしかに、悪くない提案だ。
さすがは商家出身の武士といえるだろう。
けれども、考えてみろ。
たとえこの長谷川が三割引きを約束したとしても、風間城の他の五家が承認する保証はない。
なにせ長谷川は、風間城の六大武家『六川』の一つである長谷川家の人間ではあるものの、まだ後継者に過ぎないからだ。
風間城を動かすだけの実権を、彼が持っているとは思えない。
「長谷川殿の話はわかりました。ですが、その話を他の五家のご重鎮方が同意するでしょうか?」
「そ、それは……」
「風間城の城主である
「………………」
これでハッキリした。
長谷川は、この会談の責任者であるものの、交渉の最終的な決定権は持っていない。
むしろ彼は、ただの風間城の伝令役に過ぎないのだ。
対して、俺は潮見城の最終決定権を持っている。
最初からこの会談は、潮見城が有利な土俵でスタートしていたのだ。
その証拠に、長谷川の顔がみるみるうちに苦悶表情へと変わっていく。
ここでもうひとつ、追撃しておこう。
「それとこの際だから、長谷川殿に申しておきましょう。我が潮見城は、もはや鉱石や真珠をそのまま販売するつもりはありません」
長谷川が目を見開いて、こちらを凝視する。
俺は口元に笑みを浮かべながら、手のひらを彼に向ける。
「今後、潮見城の鉱石は加工して金属製品として販売し、真珠も装飾品に加工したうえで競売にかけます。これは、城主としての決定事項です」
俺が言ったことは、潮見城の未来の姿だ。
これからの潮見城は単なる資源供給地ではなく、製造と交易の拠点としての地位を確立する宣言にほかならない。
それはつまり、風間城の貴族たちにとって、従来の支配方法が通用しなくなることを意味している。
予想通り、長谷川の感情は驚きに満ちていた。
落ち込んだ長谷川は、諦めて風間城に帰ってくれるはず。
そう思っていたのに、長谷川は意外な表情を浮かべた。
面白いオモチャを見つけた子供のように、パアッと笑顔のまま口を開いたのだ。
「──皆本殿の計画は、あまりにも大胆すぎる」
長谷川には、わかっているのだ。
俺が口にした計画が、ただの潮見城の変革ではない──もっと大きなモノを変えるためも、第一歩なのだと。
広間に静寂が流れた。
俺と長谷川の視線が交差し、目には見えない舌戦の闘いが続く。