目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第39話 兵農分離と機械の力

紗夜さやが政務室を後にした後、俺は窓の外を眺めていた。

潮見しおみ城の城下町が眼下に広がり、石垣を建設する音が響いている。


街の人々は忙しなく生活し、表面上は平和そのものにしか見えない。

だが、俺は知っている。

この平和が、いかに脆いものかを。


「若、お邪魔いたしまする」


家老の伝助でんすけが、政務室に入ってくる。

振り返ると、伝助は両手に分厚い帳簿を抱えていた。


「伝助、随分と重そうだけど、どうしたんだ?」


「潮見城の財政状況のご報告にござりまする」


そう言うや否や、伝助は帳簿を机の上に広げ、丁寧に説明を始めた。


「貿易の自由化に伴い、市崎いちさき町との取引が安定し始めました。おかげで潮見城への資金流入は以前より増加しております。しかし……まだ楽観できる状況ではありませぬな」


「そうだな。今後の出費のことを考えると、まだ安心はできない」


俺は帳簿の数字を眺めながら、伝助の言葉を肯定した。

確かに状況は少し改善されつつあるが、城の防衛強化、石垣の建設、そして今後必要となる対策を考えれば、さらなる出費が避けられないのは明白だった。


「問題は、来るべき『紅雨季こううき』だ」


窓の外に広がる青空を見上げる。

今は穏やかだが、近い将来この空は赤い雨に染まる。

そして、荒魔こうまが来る。


「伝助、戦力はどうだ? 現状で荒獣こうじゅうに対抗できる兵はどれほどいる?」


「武士を合わせても、満足いく数は揃えられそうにはありません……」


「やっぱり足りないか。なら、集めるだけだな」


これまで潮見城における防衛戦力は、限られた武士に頼るしかなかった。

しかし、荒獣の脅威に対抗するためには、単なる烏合の衆ではなく、統率の取れた戦闘部隊が必要となる。


「伝助、命令だ。潮見城の安全を確保するため、領民の中から精鋭を選び、荒獣との戦闘に備えた部隊を編制する」


さらには一定の条件を満たす者を選抜し、集中的な訓練を施すことを命じた。

だが、それだけではまだ足りない。


革鎧かわよろいと槍を配備する計画を立てろ。彼らを正式な兵士として扱うんだ」


この取り組みは、異世界版の『兵農分離へいのうぶんり』だ。


そもそも『兵農分離へいのうぶんり』とは、日本の戦国時代末期に実際に行われた政策だ。

俺はその政策を、この異世界で行うつもりでいる。


将来的には戦闘に従事する者と、農業や生産に従事する者を完全に分け、この民兵たちを本格的な職業軍人へと転換していくことが目標である。


けれども『兵農分離へいのうぶんり』は、この異世界ではまだ誰も行っていない未知の政策でもあった。


だからだろう、伝助は明らかに困惑していた。

平民たちは戦闘の主力ではなく、あくまで補助的な存在。

彼らは武士の戦場を支える足軽あしがるや兵站要員であり、実際に荒獣と戦うことなど想定されていなかったからだ。


「ですが若、それは前代未聞では……」


「伝助」


俺はきっぱりと、伝助の言葉を遮った。


「訓練された部隊は、無秩序な集団よりもはるかに強い。これは潮見城を守るためなんだ」


その信念のもと、俺は潮見城の防衛戦略を変革させようとしている。

伝助は黙って俺を見つめた後、深くため息をついた。


「承知いたしました。選抜の条件はいかがいたしますか?」


「そうだな……罪人でない男性で、十八歳以上四十歳以下であり、身体に障害のない者だ。その条件で選べ」


「かしこまりました」


伝助が退室しようとしたとき、俺は「待て」と呼び止める。


「伝助、もう一つ命令がある。北山鉱区に蒸気機関を導入するぞ」


「蒸気機関というと、若が作っていたあれでございますか?」


「そうだ、鉱山での採掘作業を効率化する機械を配備する」


これまで鉱山の採掘作業は、人力と家畜に頼るしかなく、生産効率は極めて

低かった。

しかし、蒸気機関が鉱山の採掘に革命をもたらすことを、俺は信じている。


「蒸気機関を使えば、鉱石の運搬や岩石の粉砕を機械化し、作業効率を飛躍的に向上させることができるはずだ」


「人の力を使わずに、鉱石の運搬や粉砕ができるのでございますか?」


「それが、機械きかいの力だ」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?