背後には、現在建設中の石垣がそびえ立ち、目の前には果てしない荒海が広がっている。
波の音が響くなか、潮見城主である皆本守は、民兵たちに指示を飛ばす。
「列を組んで立て。そして、休め」
単純な指示だったが、新之助はすぐに気づいた。
この砂地は、立つには最も適さない場所だ。
足元はぬかるみ、長時間同じ姿勢を維持するのは難しい。
そんななか、
「そこのお前、横にズレすぎだ。そっちは前に寄りすぎ。隊列を崩さないよう、全員が意識して列を保て! たかが隊列と思うかもしれないが、訓練では一切の妥協は許さない!」
城主である皆本守の命令に、背けるはずがない。
民兵たちは真面目に、隊列を保とうとする。
それでも新之助は、次第に足に疲労を感じ始めていた。
「立つだけで、こんなにきついのか……?」
皆本守の命令は、『隊列を崩さないようにすること』という、単純なものだった。
しかし足場が悪い砂浜で長時間立ったままとなると、想像以上に難しい。
「ここで倒れたら、なんのために民兵に志願したんだかわからない……なんとか耐えてみせるぞ!」
この訓練の後には昼食が待っている。
訓練を耐え抜いた者には「ゆで卵が一つ追加される」と皆本守が告げていた。
卵好きの新之助にとって、その言葉がなによりも励みになる。
新之助は、ただその一つの卵のために、全身汗だくになりながらも必死に耐えた。
そしてやっと休憩時間が訪れ、じばしの休息を挟む。
新之助が疲れを癒やしていると、皆本守が新たな指令を出す。
「次の訓練は、全員が微動だにせず立ち続ける。もし一人でも脱落したら、全員の卵を没収する!」
その瞬間、場の空気が張り詰めた。
新之助は、周囲の者たちがゴクリと唾を飲み込むのを聞く。
みんな、訓練後の卵を楽しみにしていたのだ。
新之助は、悟る。
「これが、貴族のやり口か……」
貴族は食べ物をエサにして、民を動かす。
それは今まで散々見せつけられてきたやり方だった。
しかし、それでも新之助は、卵のために耐えることを決める。
「やってやる……卵を口に放り込むまで、なんだって耐えてみせるぞ!」
◇
──この訓練方法は、正しいのだろうか?
伝助は、皆本守のやり方に疑問を抱いていた。
彼の家は、代々の武士家系であり、独自の戦闘訓練法を持っていた。
その訓練法では、個の力を鍛え、剣術や体術を徹底的に磨くことが重視されている。
しかし、皆本守の方法は、まるで違った。
皆本守が求めているのは、「個々の強さ」ではなく「集団としての規律と統率力」だったからだ。
「若は、組織された軍隊の戦い方を目指しておられるのか」
そのためにも、まず民兵たちに「個人ではなく、集団として動くことの重要性」を
叩き込もうとしているのだろう。
だがそれが、伝助には理解できない。
「若は民兵たちを、どうするおつもりなのだろう……」
伝助は自分の主である皆本守へと目を向ける。
その時、一瞬だが伝助と皆本守の視線が交差した。
しかし、皆本守の目は揺るがない。
「……若は本当に、潮見城を変えようとしているのだな」
この日、潮見城に新たな戦術の概念が生まれた。
『個々の剛勇ではなく、秩序と団結による戦い』
皆本守の意図は明確だった。
潮見城の民兵は、武士のように一騎当千を求められるのではなく、統制の取れた軍隊として機能することが重要だと宣言したのだ。
この日から、潮見城の兵士たちは、まったく新しい訓練を受け始めることと
なる。
それが戦乱の世を覆す新時代の幕開けだということに、まだ伝助は気が付いていない。