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第44話 俺が天塩を買う理由

俺は政務室で一人、今後の戦略を練っていた。

紅雨季こううき』が近づくにつれ、潮見しおみ城には緊張感が漂い始めていたからだ。


荒魔こうま荒獣こうじゅうに対抗するための戦力として民兵の訓練を開始していたが、潮見城を襲うのは人間ではない。

相手は、人外の化け物たちだ。

つまり、従来の軍事訓練だけでは不十分だろう。


「荒獣は知能が低く、単純な突撃を繰り返す傾向があるらしい。でもその巨体から発せられる怪力は常人の想像を超えており、通常の武器では致命傷を与えるのも困難なのか」


政務室に集められた荒獣の資料を読みながら、俺は打開策を言葉にする。


「なら、次元の違う武器が必要だな」


刀や弓矢が荒獣に効かないなら、もっと強い武器を使えばいい。

それこそ従来の武器よりも、一つ次元が上の物を。


「やはり、『火薬かやく』が欲しいな」


火薬があれば、その破壊力は弓矢などとは比べ物にならない。

荒獣にも通用するはずだ。


「問題は、硝石しょうせきをどうするかだな。一応、この世界にも存在しているみたいだけど……」


火薬の原料となる硝石は、一応この戦国風の世界にもあるらしい。

しかし実戦レベルの火銃はまだ開発されていなかった。


「火銃がないのなら、日本に伝来した火縄銃ひなわじゅう──種子島たねがしまを参考にして製造すれば、銃を作ることも不可能じゃないけど……それは却下だな」


理由は単純。

種子島と呼ばれる火縄銃は、湿気に極端に弱い。


『紅雨季』の間、潮見城は三ヶ月間ほぼ連続して降る雨の中で戦うことになる。

火縄銃のような火縄を点火する方式の銃器では、実戦での運用がほぼ不可能だった。


「それなら、燧発式すいはつしきにするしかないか」


近世以降に確立された燧発式銃フリントロックであれば、『紅雨季』でも十分に運用可能だろう。


燧発式銃とは、いわゆるマスケット銃などが当てはまる。

この銃は、火縄を使わず、火打石フリントと金属の摩擦によって発火するため、湿気の影響を受けにくい。


燧発式銃フリントロックなら、『紅雨季』の間も戦えるはずだ。でもそうなると、やっぱり火薬がネックになるな」


燧発銃の製造には、火薬の安定供給が不可欠。

密かに硝石の購入を進めていたが、まだ十分ではない。


硝石の輸入量を確認しようと書類に目を通した瞬間、突然背後から声がかかる。



「最近、大量の天塩あましおを買い込んでいるようだが……何に使うつもりだ?」


振り返ると、紫色のショートヘアの少女──紗夜さやと目が合う。

紗夜が現れるときは、いつもこうだ。心臓に悪い。


「またお前は、勝手に政務室に忍び込んで……」


「それより皆本守、なぜ天塩を大量に買い込む必要がある?」


天塩──つまり、硝石のことについて、紗夜は気になっているらしい。

さすがは忍者のようにいろんな情報を入手している影の"みこ"だ。

俺が考えている銃の発明についても、もう目をつけられてしまった。


「俺が天塩を買う理由…………それは」


紗夜がごくりと息を呑むのを見計らって、俺は高らかに宣言する。


「しめさばを作るためだ!」


「…………しめさば」


「そうだ、じめさばは旨いんだぞ?」


「………………そう、皆本みなもとまもるはしめさばが、好きなのだな」


紗夜は俺の説明に納得したわけではなさそうだったが、それ以上は何も言ってはこなかった。

むしろ、紗夜は天塩についてではなく、俺自身に興味があるようだった。


──なんだか、いつもの様子と違うな。


せっかくの機会だ。

この際、紗夜のことについて探ってみよう。


「紗夜は好きな食べ物とかないのか? 『血塗ちぬれのみこ』では、そういった物は供給されないのか?」


「私が好きな食べ物? そんなこと、今まで考えたこともなかった……」


「どうやら『血塗れのみこ』には、俺みたいな人間はいないみたいだな。前から気になっていたんだが、『血塗れのみこ』はどんなところなんだ? 紗夜はいつから、そこに?」


俺の質問に対して、紗夜はゆっくりと時間をかけてから答える。


「五年前まで、別の場所で過ごしていた。それまでは……ある人物に仕えていた」


紗夜の口調は淡々としていたが、「仕えていた」という表現から察するに、過去に何らかの主従関係があったのだろう。

紗夜の雰囲気からしても、それは納得のいく答えだった。


「仕えていたって、どんな人に──」


「邪魔をした。私は帰る」


俺の質問から逃げるように、紗夜はいそいそと席を立って、政務室を後にした。


誰にでも、聞かれたくないことというのがある。

紗夜にとって、俺が質問したことはそういう話だったのだろう。



「紗夜がいないと、静かだな」


政務室には、俺しかいない。

秘密の作業を進めるにはちょうど良いが、紗夜のように話し相手がいないのも寂しいものだ。


「……さてと、作業に戻るとするか」


書類を広げて、設計作業を進める。


燧発銃は、すでに歴史上で長期間運用され、その有効性が証明された兵器だった。

一発ごとに弾丸と火薬を込める必要はあるものの、射速は1分間に3発程度であり、荒獣に対しては十分な戦力となり得る。


「でも、問題はどうやってそれを作るかだな。金属加工ができる職人がいるかどうか……」


燧発銃を製造するには、複雑な金属加工技術が必要だ。


「最大の問題は、『銃身バレル』だな」


銃身は長く、かつ内部を均一に滑らかにする必要があるため、従来の手工業では非常に時間がかかる。


「でも…………もし、蒸気機関で鋼鉄のドリルを回転させれば、銃身の穴を短時間で開けることができるんじゃないか?」


通常、銃身の製造には、鉄の棒を鍛造して穴を貫通させるか、鉄板を巻いて溶接する方法が用いられていた。

しかし、この工程は高度な技術を要し、工匠の熟練度に依存する部分が大きい。


蒸気機関を使った穴あけの技術──ドリリング技術を応用すれば、短期間で銃身の大量生産が可能になるはずだ。


「燧発銃が完成すれば、潮見城の防衛戦術は大きく変わるぞ!」


接近戦を回避し、遠距離から荒獣を迎撃できる。

統制の取れた銃隊を編制すれば、数十名でも大軍に匹敵する火力を発揮できるだろう。


戦士の個人技能に依存せず、一定の訓練で実戦投入が可能となる。


「民兵たちをただの『足軽』から、『銃兵』に成長させることも夢じゃないぞ!」


しかし、そのためには準備が必要となる。


「蒸気機関を活用した銃身加工技術、安定した火薬の製造と弾丸の確保、射撃訓練を行って実戦レベルの部隊を編制すること──道のりは長いな」


それでも、燧発銃の開発は単なる兵器の導入ではなく、潮見城の軍事技術そのものを変革する可能性を秘めていた。


「燧発銃までのロードマップは長いが、それでもやる価値がある」


もし実現すれば、それこそ世界が変わるだろう。


「技術の進歩は、戦いの形を変える。新たな兵器を持つ者こそが、次の時代を支配することは、歴史が証明している」


そのためにも、さらなる改良が必要だ。


俺は設計図に墨を入れながら、ロウソクに火を灯す。

今晩は、寝ずの作業になるだろう。


「みんなを守るためには、やるしかない…………なら、やってみせるしかないなッ!」


『紅雨季』まで、残された時間はわずか。

新たな時代の幕開けを、この潮見城から、俺自身の手で切り開いてみせる!

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