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そうして、翌日。眠い目をこすりながら起き出した美夜の着替えを手伝い、テーブルに誘導して美味しい朝食を出してくれた。
子猫の時もそうだったが、シャローンは母性の塊のようなひとだ。
さすがに今は十歳くらいの子供の姿なので、自分で食べることができる。フォークとスプーンを使って食事をする美夜をメイドたちが微笑ましそうに見舞っていた。
食後のお茶を楽しんでいると、あらたまった表情の侍女長が向かい合った席に座る。
「どうして突然、姿が変わってしまわれたか。ミヤさまも不思議がっておられましたね? 私共も様々な文献を調べ、眠っていらしたミヤさまを医師に診てもらったのですが、原因は不明でした」
「ふめい……」
猫から人に近い姿に変化したのは、個人的にはとても嬉しい。
不安だったのは、子猫でなくなったら、魔王に嫌われてしまうのではないかと考えたからだ。昨夜の様子から、どうやら大丈夫そうだと分かってからは、人の姿を大いに楽しんでいる。
服を着られることが、まず嬉しい。自分の手で食事ができるのも、何より誰かと会話を交わせることがとても楽しかった。
「賢者さまに相談したところ、どうやら魔力の力が強まる満月の間だけ、その姿に戻られるのではないかと推測されていらっしゃいます」
「桃色の満月、見たニャ!」
いつもの青みがかった月とは全く違う色をしていたので覚えている。
そういえば、あの月を見てから、身体がおかしくなった。
(満月を見て変身してしまうなんて、オオカミ男みたい。猫だけど)
いや、逆か。狼男は普段は人の姿なのに、満月の夜にオオカミに変身するモンスターだ。
自分の場合は普段が猫で、満月の夜に獣人の姿に変化するということだろうか。
「……んにゃ?」
ほて、と美夜は首を傾げた。満月が原因だと分かって、何となくホッとしてしまったが、侍女長は大事なことを口にしていなかったか。
(魔力の力が強まる満月の間だけ、この姿に戻るということは……)
また、子猫の姿に戻るということなのでは?
異世界でどのくらい満月の夜が続くのかは分からないが、この猫耳少女姿でいられる時期は子猫の時間よりも少ないことは確実だろう。
肩を落とす美夜を目にして、侍女長はどうやら何かを誤解したようだ。
「ミヤさま。うちの陛下が申し訳ございませんでした。……怖かったでしょう?」
申し訳なさそうに侍女長に謝られて、美夜は昨夜のことを思い出す。
そういえば、急にうなじを舐められて驚いた。匂いを嗅ぐだけならまだしも、子猫の弱点である首筋を咬もうとしたのだ。あれは酷い。
いくら猫好きだからとはいえ、人の姿の時にまで猫吸いをしようとするのは良くないと思う。
「お詫びに、ささやかですが、とっておきの贈り物を用意いたしました」
にこりと微笑む侍女長がベルを鳴らすと、ワゴンを押したメイドが部屋に入ってきた。
あっという間にテーブルいっぱいにスイーツが並べられる。
「けーき!」
「はい、ケーキもクッキーもお好きなだけ、どうぞ」
にこにこと笑いながら、侍女長がスイーツをサーブしてくれる。
ナッツとドライフルーツのパウンドケーキを食べやすくカットしてくれた物を手ずから食べさせてくれた。バターたっぷりの生地はしっとりしていて、とても美味しい。
「おいしい、ニャッ」
「うふふ。お気に召しましたか?」
「ミヤさま、こちらのシフォンケーキもどうぞ」
「まぁ、ずるいわ! 私もミヤさまに「あーん」したいです」
エルフのメイドさんたちが寄ってきて、次々と甘やかせてくれた。
生クリームを添えたシフォンケーキに焼き立てのアップルパイ、香ばしいナッツクッキーはいくらでも食べられそうなくらいに美味しい。
んまんま、と幸せそうにスイーツを堪能する少女の姿にメイドたちはメロメロだ。
猫耳尻尾付きの少女の姿になった美夜は、可愛らしいワンピースを着ている。
昨夜は魔王アーダルベルトの子供時代の服を着て眠りについた。高品質のシャツは着心地が良く、快適だったのだが、侍女長的には不本意だったようだ。
いつもより遅い時間に起きてきた美夜に笑顔でワンピースを手渡してくれた。どうも、お城のお針子さんに無理を言って、一晩で縫い上げてもらったらしい。
(いつの間にサイズを測ったのかな。さすが侍女長、抜かりがない)
魔王の秘書的な仕事もそつなくこなす有能な美女なのだ。
ちなみにワンピースは膝上丈でふんわりと裾が広がっており、とても可愛らしい。淡い紫色のワンピースドレスで、パフスリーブの袖もチャーミングで気に入っている。
襟元には金糸の刺繍入りリボンが結ばれており、鏡の前で美夜は歓声を上げてしまった。
こんなに可愛らしい服を着たのは、生まれて初めてかもしれない。
(カラーリングが何だか魔王っぽいけど、可愛いから気にしない!)
ほんのり青みを帯びた白銀の髪色との相性も悪くないワンピースだ。
ちなみに、この城の主たる魔王アーダルベルトは現在、侍女長のお仕置きを受けて反省中らしい。
執務室に監禁されており、山盛りの書類が片付くまで美夜への接触禁止令が出されているのだとか。宰相自らが見張りについていると聞いた。
そんなにも侍女長が怒りを見せたのには訳がある。
魔王が急に美夜を襲ってきたのにも理由があるのだ、と丁寧に説明をしてくれた。
「人族のような、万年発情……失礼。いつでも子作りのできる種族と違い、魔族や獣人族などは恋のシーズンが決まっております。そして、彼らには『魂のツガイ』という運命の相手がいるのですよ。理性が消し飛ぶほどに本能を刺激する存在なため、どうしても惹かれてしまうのです」
「そうなんニャ……」
「だから、アーダルベルトさまがミヤさまに無体を働こうとしたのも、本能なのです。強い魔力を持つ者ほど、本能に縛られるらしいですわ」
本能関連なら、仕方なかったのかな、と美夜は首を傾げた。少しだけ魔王が気の毒になる。
美夜を魔王の魔の手から救い出すために、侍女長の素晴らしい美脚が目にも止まらぬ速さで魔王の後頭部にヒットし、昏倒させたのだ。あれは、ものすごく痛そうだった。
だが、侍女長はきっぱりと首を横に振った。
「ミヤさまが同情されることでもありませんよ。あれは自業自得です。あのくらいの攻撃を入れねば、こんなに愛らしいミヤさまですもの。魔王にぺろりと食べられていましたよ?」
食べられるという表現に、美夜はビクッと肩を揺らした。
このニュアンスはもちろん、ご飯としてではない方の意味なのだろうけれど。
「え? でも、わたしネコだし、こんニャだけど、異世界生まれのニンゲンだし……?」
「関係ありませんわよ。性別も種族も。ツガイとは、魂に惹かれるものですから」
「そ、そうニャの……」
それはともかくとして、年齢に関しては考慮して欲しいと、しみじみ思う。
(精神年齢はともかく、誰がどう見ても子供な私にプロポーズとか、どうかと思うの!)
犯罪だ。異世界ではどうか知らないが、少なくとも美夜にとってはありえない。
「ミヤさまは勇者召喚に巻き込まれて、この世界に飛ばされてきたという話でしたが、これも運命というものでしょうか」
ほうっ、と侍女長がため息を吐く。
「あれでも魔国一の色男。地位も財産も、もちろん力もあります。大切な者には一途な、優しい子でもありますのよ。ツガイとして、おすすめなのですが、ご一考いただけませんか?」
「にゃっ? そ、そんニャこと、急に言われても困るニャ」
「アーダルベルトさまのこと、お嫌いですか?」
「き、嫌いじゃ、ニャイ。優しいのは、知っているにゃ……?」
それはもう、子猫の時にしっかり身をもって。
「執着した相手には多少、その、偏執的にはなるかもしれませんが。悪い子ではないのです」
それも嫌と言うほど理解しています、子猫の時に。
「…………」
困ったことに、嫌いにはなれないのだ、あの魔王のことを。
すぐにツガイに! とはまだ思えないけれど。一緒にいて、いちばん安心する相手だとは思う。
「あらあら、うふふ」
黙りこくった美夜の様子に何かを感じ取ったらしい侍女長が、それは良い笑顔になった。
「では、あらためて。よろしくお願いしますわね、ミヤさま?」
にこりと微笑む美しき侍女長の手の平の上で踊らされている気がした美夜は、猫耳をぺたりと寝かせて、小さくにゃあと鳴いた。