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愛らしい獣の耳と尻尾を生やした少女は、たちまち魔王城に馴染んだ。
ドワーフよりも小さく、エルフよりも華奢なミヤは城で働く者たちの庇護欲を大いに誘ったらしく、メイドだけでなく、護衛の騎士や下働きの獣人たちまで彼女を可愛がるようになった。
料理長は魔王アーダルベルトよりもミヤの好みを優先した料理を作るようになったし、何よりも張り切ったのは被服担当部署である。
アーダルベルトの衣装作りを任されている腕利きの職人たちは、それはもう張り切った。
「こんなに可愛らしいお嬢さんの服作りを任されるなんて!」
「腕が鳴りますわね!」
魔王アーダルベルトは華美な服装を好まない。
しかも、未だ独身のため、夫人のドレスも作ることができない。暇を持て余していたところなので、先日シャローンが至急の仕事を頼んだ時にも、むしろ大喜びで働いてくれたほど。
「ふふ。魔王陛下は闇色の装飾の少ない服を好まれていたので、可愛らしい女の子のワンピースを縫わせていただいて、とても楽しかったのですよ」
徹夜でミヤのためのワンピースを縫ってくれた針子には、逆にお礼を言われてしまい、シャローンは大いに戸惑ったものである。
事情を聞き出して、なるほどとため息をついた。
(服など、着られればいいが口癖ですからね、アーダルベルトさまは)
せっかくの美貌の持ち主なのに、そういうところは無頓着なのだ。
シャローンやメイドたちがどうにか言いくるめて、夜会の折には威厳のある美しい王に見えるよう、着飾らせているのだ。
そんな朴念仁な魔王が「費用を惜しまずに、この少女の服を作るように」と依頼してきたのである。それはもう、大いに張り切るに決まっていた。
気持ちよく眠っていたところを起こされたミヤは目をこすりながら、あちこち採寸され、好みの色柄などを聞き出されていた。
そうして、我が魔王城の誇るドレスメーカーが作り上げたワンピースを身に纏った少女は、可憐で愛らしかった。
「とても似合っておりますよ、ミヤさま」
「お可愛らしいです!」
「こちらの服も着てみてくださいな」
着付けの手伝いにと押しかけてきたメイドたちが大喜びでミヤを着せ替え人形にしている。
「貴方たち、ほどほどにしなさい」
「まぁ、シャローンさま。そうは仰いますが、こんなに素敵な衣装がたくさんあるんですもの」
「迷ってしまいますよねぇ」
うふふ、と華やかに笑うメイドたちは、シャローンが一族から引き抜いてきただけあり、とても美しい。容貌も優れているが、皆、魔法に長けており、力自慢な獣人も一撃で昏倒させることのできる手練れを揃えている。
有事には魔王陛下を守るための盾となることも辞さない忠実なメイド部隊だが、シャローンは彼女たちに密かに守護対象の追加を告げていた。
アーダルベルトの客人である勇者、ミヤ。小さくて愛らしい子猫にメイドたちはすぐに夢中になった。皆、喜んで護衛とお世話係を請け負ってくれた。
だが、大切な客人であるだけでなく、ミヤが魔王アーダルベルトの『魂のツガイ』であることが判明したからには、より厳重な保護が必要となる。
(かつて、侯爵位の魔族のツガイが害された事件の折に、関わった小国が一晩にして滅んだ事例がありますからね……ミヤさまに何かあったらと考えると恐ろしい)
歴代最強の魔王のツガイがもしも命を落とすようなことがあれば、小国どころか、この世界が滅んでしまうのではないか。
アーダルベルトが子猫に執心する様を近くで観察していたシャローンからすれば、ありえない、とは言い切れないのが実情だ。
(子猫のミヤさまがもしも浚われたとしても、怒り狂いそうですものね……)
シャローンはあらためて、心に誓う。
子猫姿の勇者はもちろんのこと、少女の姿のミヤも全身全霊をかけて守ろう、と。
「……お腹、空いたニャ」
朝からずっと、メイドたちに付き合って服を着替えてくれていた少女が哀しそうな表情でお腹を押さえている。空色の瞳を潤ませて、メイドの袖をそっと引いた。
「か、かわいい……!」
「すぐにでもお食事をご用意いたしますわねっ!」
慌てて何人かのメイドが厨房へと向かう。まったく忙しない。
シャローンがふう、とため息をつくと、ミヤの獣の耳がぴくりと揺れた。とてとてと歩み寄ってきた少女がシャローンを見上げて、首を傾げる。
「シャローンさん、疲れた、にょ?」
どうやら心配してくれたらしい。噛んじゃった、と手で口を覆う姿が愛らしい。
猫から人の姿に変化した弊害なのか、ミヤはまだ言葉がうまく話せないようだった。彼女曰く、ナ行とマ行が難しいの、とのこと。「ニャ行」と「ミャ行」になってしまうらしい。
本人は時折、噛んでしまうことをとても恥ずかしがっているが、聞いている大人たちにとってはご褒美に他ならない。とても可愛い。むしろ、もっと聞きたい。
(アーダルベルトさまも耳にするたびに、口元を押さえて悶えてらっしゃいますもんね)
侍女長は見逃さない。職場に笑顔が増えて、いいことである。
シャローンはにこりと微笑んで、心優しい少女の頭をそっと撫でてやった。
「心配してくださって、ありがとうございます。ミヤさまと同じく、私も小腹が空いてしまっただけですので、お気になさらず」
「もう、お昼ごはんの時間だもにょ、ね?」
「うふふ。そうですわね。ランチが楽しみです」
ああ、可愛い──シャローンは叫びだしたくなる気持ちを必死に押し殺した。女の子ってこんなに愛らしいのかと感動する。二児の母である彼女の子はどちらも男子だった。男の子は男の子で愛しかったが、長男は脳筋、次男は屁理屈屋で、子育てには大変苦労した思い出しかない。
なので、まだ小さな少女に懐かれて、幸せを噛み締めていた。
(可愛くて、素直で優しい。なんて良い子なのかしら……! 撫でると喜んでくれるし、控えめに言っても最高なのでは?)
料理長が腕をふるった美味しいランチも、少女はシャローンに「いっしょに食べよ?」と愛らしく上目遣いで誘ってくれるのだ。天使。天使がここにいます。
「はい、あーん」
「まぁ……食べさせて下さるのですか? ありがとうございます、ミヤさま」
焼き立てのぶどうパンを食べさせてくれる少女の優しさにシャローンは天にも昇る気持ちで口を開けた。子猫の時に、食べさせてもらったお礼らしい。
魔王は一緒に食べないの? とミヤが不思議そうにしているが、ツガイを前にして理性を保てるか怪しいので、しばらくは接触禁止なのだ。あと二日はお仕事が忙しいので、と濁しておく。
猫耳の少女のお世話に忙しいので、魔王陛下の面倒は宰相に任せることにしよう。