■ 第九章 魔法を覚えよう
異世界に勇者として召喚されたばかりの頃の美夜は、子猫生活を大いに満喫していたが、満月の夜に人の姿に変化した。それも、猫耳と猫尻尾が生えた人の姿で。
(つまりは獣人ってことなのかな、今の私は?)
この国でいちばん物知りな賢者さんが言うには、この猫獣人姿なのは、満月の間だけらしい。一ヶ月のうち、たったの三日の期間限定。せっかく人の姿に戻れたと思ったのに。
(でも、猫の獣人姿だし、なぜか十歳の外見なのよねー……)
がっかりだ。どうして若返ったのか、謎すぎる。
年齢はステータス画面で確認した。生後一ヶ月から十歳に年齢欄が変化していたので、この肉体は十歳なのだろう。実年齢は二十歳なのだが、なぜ十歳。
よくよく考えてみたのだが、子猫と自分が混じっている状態なので、両方の年齢を足して二で割った数なのでは、と睨んでいる。
まぁ、そんなことは些細な問題だ。子猫の時にはできなかったことが、十歳の少女へと変化した今、存分にできることは良かったと思う。
まず、何よりも嬉しかったのは自分で食事をとれることだろうか。
「ミヤさま、本日のランチでございます」
「わぁ……! おいしそう、にゃ!」
エルフのメイドさんたちがワゴンで運んでくれた食事は、相変わらず豪華だ。
(子猫の時はハチミツ入りのホットミルクや、ほぐしたお肉とかお魚ばっかりだったけど、今はちゃんと固形! 嬉しい! パンもあるー!)
提供される食事の内容は魔王アーダルベルトと同じメニューらしい。
ランチなのだが、ほぼコース料理だ。一皿ずつ、もったいぶって出されるのではなく、同時に持ってきてくれるので目移りしそうだった。
前菜のオードブルにスープ、魚料理に肉料理、間にソルベを挟んでパンにサラダ、チーズやケーキ、フルーツの皿がテーブルに置かれていく。
一人前の量は控えめに盛られているので、これなら少しずつ色々な種類のご馳走を楽しめるだろう。料理長の気遣いが、とても嬉しい。
(物語内の異世界って、食事がまずい設定が多いけれど、ここはご飯が美味しくて幸せ……)
むしろ、元の世界での美夜の食事の方がよほど貧相だったかもしれない。
バイトに明け暮れていた苦学生なので、職場はとにかく賄いが付いている飲食店を選んだ。
大手のチェーン店は賄い制度が制限されていることが多かったので、美夜は個人で経営している飲食店でバイトをしていた。たっぷりと賄いを食べさせてくれたり、余った料理を持ち帰らせてくれる職場の方が、賃金よりも大事なチョイスポイントだった。
目に見えて削りやすい経費は食費だが、身体を壊してしまっては意味がないので、食事はきちんと食べるようにしていた。
もっとも、バイト先での食事以外は自炊で、節約料理ばかりだったので、この世界に召喚されてから、久しぶりの肉料理に舌鼓を打ったミヤだった。
(やっぱり豪華な食事は美味しい……)
滋味豊かなスープもいいが、魚や肉料理がとにかく絶品である。異世界食材を使っているようだが、【毒耐性】スキルのおかげか、お腹を壊したことは一度もなかった。
聞いたことのない動物──動物、だと思うが──の肉料理がまた、とんでもなく美味しいのだ。
「ミヤさま、こちらはブラックブル肉のフィレステーキでございます」
「ぶらっくぶる……」
うん、聞いたことがない。ブラックブル。直訳すると黒い牛。……もしかして、黒毛和牛だろうか? 今だかつて食べたことがない、高級牛肉ではないか。
わくわくしながら、ナイフで一口サイズに切り分けて、ぱくり。
「ん…っ……! おいしいにゃー!」
思わず、叫んでしまった。恥ずかしい。
「まぁ、お気に召されました?」
うふふとメイドさんたちに微笑ましそうに見られてしまった。
「魔王陛下の生誕祭の祝いにと、献上された魔獣肉です。こちらの魚料理も献上されたもので調理されたようですわ。滅多に口にすることのない、イッカクの魔魚だとか」
「まぎょ」
うん、以前にも聞いた気がする。まぎょ。魔物の魚のことだろう。イッカクということは、ツノがある魚のことだろうか。カジキマグロではなかろうか、と推測しつつ口に運ぶ。
「当たりにゃ! マグロ、うみゃい!」
臭みが皆無の赤身に感動した。さすがに生ではないが、料理長が絶妙な加減で表面を炙った赤身は旨味が凝縮しており、震えるほどに美味しかった。
バターとハーブの香りのするソースがまた絶妙で、いくらでも食べられそうだ。
三角の獣耳をぴんと立てて、ウミャイウミャイと大絶賛しながら咀嚼する。新鮮なマグロはこれほどに美味しいものなのか、とあらためて感動した。
誕生日に少しだけ贅沢をしようと買った半額のお刺身くらいしか食べたことがないので、比べるのもどうかと思うが、異世界マグロの完勝だ。魚介類は新鮮な方が美味しい。知っていた。
「こちらはソルベです。お口直しにどうぞ」
メイドさんがおすすめしてくれたのは、小皿に盛りつけられたシャーベットだ。
ミントの葉が飾り付けられており、とても美味しそう。スプーンですくって口に含むと、さっぱりとした果実の香りに美夜は瞳を細めた。さっぱりしており、美味しい。梨に似た味だ。
「冷たくて、美味しいにゃ」
「お口に合って良かったですわ」
「パンもどうぞ。焼き立てですよ」
「パン……!」
久しぶりのパンだ。目を輝かせて、美夜はバスケットに盛られたパンに手を伸ばした。
硬いパンかと思いきや、セミハードパンだった。薄くスライスしてあるので、食べやすそうだ。添えられているジャムやチーズをのせて食べると、香ばしい小麦の味がたまらない。
(バゲットに似ているかも。スープと一緒に食べても美味しい)
子猫だと、噛み切れなかっただろう硬さなので、少女の姿に感謝しながら完食する。
フルーツは日本のものと同じものはなかった。リンゴにそっくりの緑色の果実。見た目はオレンジだが、味はバナナという、とんでもフルーツが紛れているので、油断ができない。
ケーキは一口サイズのもので、ベリージャムが塗られている。土台のスポンジ部分はカステラに近い。食後の紅茶と一緒に味わって食べた。甘酸っぱくて、癖になりそうな味だ。
「ふはぁ。ごちそうさまでした、にゃ」
お腹いっぱいに堪能すると、完食したことをメイドさんたちに褒められた。
子猫の時も周り中に甘やかさせてもらえていたが、十歳児の姿でも、ちやほやされてしまった。あまりにも皆が親切すぎて、むしろ落ち着かない。
「あの、シャローンさん」
「はい? なんでしょうか、ミヤさま」
「ただ飯食らいは落ち着かにゃいので、お仕事ください」
ぺこりと頭を下げながらお願いすると、ものすごい表情で固まられてしまった。
「……お仕事、ですか?」
「はい。お仕事」
「…………」
とても困っている。そんなに困らせる発言だったのだろうか。
子猫の姿の時には「だって子猫だし」精神で怠惰な生活を満喫していたのだが、さすがにこの姿で、だらけて過ごすのは落ち着かない。
三食おやつに昼寝付きという破格な生活を堪能できるのは、保護してくれた魔王のおかげだ。
それだけでも充分だったのに、人の姿になった美夜のために服や日用品などをたくさん揃えてくれたのである。
今、身に纏っているワンピースだってそうだ。
淡いラベンダーカラーの生地は肌触りがとても良く、伸縮性がある。白の糸で編まれたレースの衿や袖がとても綺麗だ。子供らしいAラインのワンピースは美夜にとてもよく似合っている。
丁寧に採寸してくれたので、オーダーメイドの衣装なのだろう。
こんなに可愛くて綺麗な服を着たのは、初めてだった。
(ずっと、姉のおさがりしか持っていなかったから、すごく嬉しい!)
二歳年上の姉が着古した服は、美夜の好みからもかけ離れていたので、苦痛でしかなかった。
だから、実家を出て、一人暮らしを始めてからは自分で好きな服を買えることが嬉しくて、レジの前で泣きそうになったこともある。かろうじて我慢したが。
そんな美夜なので、オーダーメイドの愛らしいワンピースを十着も作ってもらえて、飛び上がるほど喜んでしまった。ちゃんと自分の好みの色やデザインを聞いてくれたことも嬉しい。
(こんなに良くしてもらったんだもの。何か、お返しをしたい)
だが、身ひとつで召喚された美夜には渡せるものが何もないので、仕事を斡旋してもらおうと考えたのだ。なぜか、侍女長をはじめ、メイドさんたちにも驚かれてしまっているが。
(はっ! もしかして、異世界では子供を働かせるのは虐待になるとか、そういう法律があったりするのかな? 実年齢を伝えた方がいい?)
おろおろとしていると、シャローンがふっと口元を綻ばせた。
「お気持ちは大変ありがたく思いますが、ミヤさまはお客さまです」
「そうですわ。大切なお客さまを働かせたりしたら、私たちが魔王さまに叱られてしまいます」
「それにミヤさまはまだ幼い子供。のんびりと楽しく暮らしてくださいな」
「そうです。それが私たちにとっての癒しなので」
「アーダルベルトさまもきっとその方がお喜びになられますよ」
シャローンだけでなく、メイドさんたちにも矢継ぎ早にたしなめられて、美夜はこてんと首を傾げた。
お客さまを働かせるのは、たしかにマナー違反かもしれない。
「……そう、かにゃ?」
「そうですとも!」
力いっぱい断言されてしまった。
そうかなぁ、と反論したくなるが、子猫姿の美夜が寝てご飯を食べて遊んでいるだけの姿を、魔王は確かにうっとりと幸せそうに眺めていたので、口を噤むしかない。
子猫は何をしても可愛いので、そういうことなのだろうか。
「いいのかにゃあ……」
だが、元々は働き者の苦学生。子猫の姿の時には、肉体に心が引きずられるのか、ぐうたら生活がとても性に合っていたのだが、今はなんだか落ち着かないのだ。
「ミヤさま、退屈なのですね?」
「うん!」
何事か思案していたメイドさんに尋ねられて、それだと頷いた。
「なら、読書を楽しまれてはいかがでしょう?」
「読書! ここ、本がある、にょ?」
「はい。ございますよ。ミヤさまが読まれるような……そうですね、絵本や図鑑なども図書室にあったと思います。良かったら、一緒に本を探しますか?」
「探す! 読みたいにゃっ!」
「うふふ。では、図書室に行きましょう」
メイドさんが手を繋いでくれたので、その後をついて行くことにした。