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第36話 宰相は乳兄弟を見守る1

■ 第十二章 宰相は乳兄弟を見守る


 魔王の右腕とされるアウローラ王国の宰相、テオドールは多忙を極めている。

 隣り合うトワイライト帝国が人族至上主義であるため、亜人種と呼ばれる難民が王国に押し寄せて、他民族国家となったが故の多忙さだ。

 先代の魔王の代から、来る者拒まずの姿勢で奴隷扱いを厭うて逃れてきた種族を受け入れ続けたおかげで、元難民たちの王家への支持率は異様に高い。特に酷使されることの多かったドワーフと、愛玩動物扱いされてきたエルフは王家に心酔しきっている。

 獣人たちの多くも、そうだ。力の強い獣人の男は戦争奴隷に、見目麗しい獣人の女は愛玩用の奴隷として帝国貴族に『飼われて』いた。弱く、見た目も地味な獣人は鉱山奴隷や農奴に落とされる。

 亡命に成功した獣人やドワーフ、エルフたちは同種族で固まり、集落を作った。

 種族ごとに嗜好や生活文化が違うため、どうしても混乱は起きる。

 エルフとドワーフのように、その性質が水と油ほどに違う種族もあるため、アウローラ王国では地味に種族間抗争が起きがちで、そのたびに仲介を頼まれるために忙しいのだ。


 テオドールは魔王アーダルベルトの乳兄弟だ。母は王城で女官長を務めていたこともあり、王妃の覚えも良く、次期魔王であるアーダルベルトの乳母となった。

 そのため、口さがない連中にはそういったコネで宰相の地位まで昇り詰めたのだろうと噂されているが、あいにく正真正銘、実力で伸し上がったのだ。

無視をしていてもいいのだが、後で邪魔になると面倒なので、政敵はせっせと潰して回った。

(陛下の治世を脅かす恐れのある者は、先んじて排除しておくに限る)

 潔癖とまではいかないが、腐敗や賄賂を殊の外嫌うアーダルベルトのおかげで、今代の政権はクリーンで有能な者が多い。実にすばらしい。


 国民は獣人の割合がいちばん多く、実力主義を標榜とする気質がある。そのため、たとえ魔族の王といえども、自分たちよりも力の弱い者は認めようとしない連中もいた。

 もっとも、魔王アーダルベルトは歴代最強との誉れ高い王だ。彼が本気を出せば、古代竜と同等──否、それ以上に強いだろうと恐れられているため、今のところ内乱の兆しはうかがえない。

(獣人の一部にきな臭い者はいるが、表立っては反抗をする様子はなさそうだ)

 喧嘩を売ってきたとしても、アーダルベルトならあっという間に制圧はするだろうが、念のために『蜘蛛』を送っておこう。

 使い魔の蜘蛛は有能だ。あらゆる場所に潜み、幾つもの良からぬ企みを暴いてきてくれた。諜報はもちろん、伝言を届ける役目も果たしてくれるため、王城では大活躍している。

 人族の女性などは怖がって悲鳴を上げるようだが、小指の先ほどの小さな蜘蛛なのだ。

(あんなに愛らしく有能なのに、使い魔蜘蛛の価値を理解しないとは、人族はつくづく阿呆だ)


 トワイライト帝国に幾度も無駄な戦を仕掛けられているため、テオドールは人族が嫌いだった。特に帝国民は亜人種差別が甚だしい。

(人族第一主義などとうそぶいているが、亜人種の方がよほど優れている)

 ドワーフほどの手先の器用さもなく、獣人ほどの強靭な肉体の持ち主でもない。エルフのように魔法に長けた者はいないし、寿命も短い。あっという間に老いて死ぬ。

(だが、数が多いのだけは厄介だ)

 短命で魔力が少なく、力も弱い。なればこそ、あれほどに強欲なのだろう。

 豊かな国土を誇り、ダンジョン資源も豊富なアウローラ王国を帝国は虎視眈々こしたんたんと狙ってくる。多くの奴隷と民を戦に駆り立て、幾度も我が国を侵略しようとちょっかいを掛けてきた。

 数を投入しても、圧倒的な魔王軍の前では無意味だと理解して、奴らは禁術に手を出した。

 それが、異世界からの勇者召喚の儀式だ。

 世界を越えて、異能の魔王殺し──勇者を召喚するには、多大な犠牲を必要とする。

 膨大な魔力に生命そのもの。……あの儀式を成功させるために、どれほどの血が流れたことか。

 だが、それだけの価値があるのも確かだ。何せ、先代の魔王陛下は帝国が召喚した『勇者』に討たれたのだから。もっとも、結果は相討ちなので痛み分けに等しい形で戦は終結したが。

 それでも、唯一魔王を殺せる相手が存在すると、人族に知られたことは痛恨だ。

 おかげでまたしても、勇者召喚の儀式が行われた。儀式自体は、発動を察知したアーダルベルトが邪魔をして、失敗に終わらせたが──


「まさか、陛下が勇者を連れて戻るとは思いもしませんでした……」

 テオドールは憂鬱そうに、嘆息する。

 儀式を中断させて失敗させるか、或いは勇者の命を奪うか。そのどちらかを選ぶだろうと、テオドールは考えていたのだ。

 だが、召喚された勇者を目にしたアーダルベルトは気まぐれを起こした。

 小さくて弱々しい、その生き物を見捨てることはできなかったのだ。

 てのひらに載るほどの小さな、今にも死にそうに弱っている生き物を、乳母である母や幼馴染みである自分にしか分からないほど、微かに動揺した表情で抱きかかえて戻ってきたアーダルベルト。

 その、小さな生き物を目にした瞬間、母は保護することを決めたようだが、テオドールは心の奥底では反対していた。


(あれは、勇者だ。魔王陛下を唯一、殺すことのできる、我が国にとっては災いに等しい存在。それを保護するなど、信じられない)


 いっそ、こっそり命を奪ってしまおうかと考えないでもなかったが、アーダルベルトとシャローンが保護すると決めた相手を、自分がどうこうするわけにはいかない。

 テオドールはうっかり忘れていたが、そういえば乳兄弟であるアーダルベルトは小さくて愛らしい生き物を好んでいたのだった。

 もっとも、ここは魔素の少ない人族の土地ではないため、小さくて愛らしい生き物は少ない。

 生まれたばかりの獣人の仔や、卵から孵ったばかりのヒナなどは例外的に可愛らしいが、どれもすぐに魔素の影響を受けて、大きく逞しく育つのだ。

 ふわふわのヒヨコを愛でていたアーダルベルトが翌朝、立派に成長したコカトリスに威嚇され、ショックを受けていたことを思い出す。気の毒に思った母が手作りのぬいぐるみをプレゼントして、どうにか心の傷を癒したらしい、とは後日聞いた顛末だ。


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