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第43話 魔王の采配 1

 ■ 第十四章 魔王の采配


 魔王であるアーダルベルトは本日も執務室で書類に囲まれている。

 有能な文官が先に書類を仕分けしてくれているため、仕事自体はスムーズに進んでいるが、なにせ決裁書類が多すぎるのだ。

 宰相テオドールが自身の裁量で捌けるものは片付けてくれているが、やはり王としての判断が必要な案件はそれなりにある。添付された資料にも目を通しつつ、素早く書類を捌いていった。


 最近のアーダルベルトは真面目に仕事をこなすと、官僚や大臣たちに評判だ。

 以前は書類仕事よりも率先して帝国との戦いに出向いたり、暇つぶしと称してダンジョンに潜りたがっていたのだが、ようやく魔王の自覚が出たのですね、とすこぶる高評価であるらしい。

 実際は『子猫と触れ合いたいから、さっさと仕事を終わらせるぞ』が本音だ。

 特に本日は鬼気迫る表情で決裁書類にサインを施している。

 傍らのデスクで補佐仕事をしている宰相がふう、とため息を吐いた。


「……魔王陛下。本日、勇者殿はいらっしゃらないので?」

「ああ。先日、うっかり破壊してしまった庭を元通りにすると、侍女長と共に中庭にいる」

「なるほど、それで……」

 したり顔で頷くテオドールをアーダルベルトはじろりと見やった。

「何だ?」

「いえ、何も。お膝が寂しいようでしたら、こちらをどうぞ」


 涼しい表情で差し出してきたのは、ぬいぐるみだ。侍女長シャローン手作りの、子猫のぬいぐるみである。

 何やら含みのある幼馴染みの態度には思うところがあるが、ぬいぐるみに罪はない。

 そのまま受け取って、膝の上に乗せた。軽くて、ふかふかの毛並みのぬいぐるみを無意識に左手で撫でさする。悪くはないが、やはり本物の子猫の触り心地にはかなわない。


「庭の手入れをするということは、母が【植物魔法】を使うのですね」

「そう聞いている。あの稀有な魔法を使える者も、今では限られているからな」

「ええ、そうですね。里でも力のある長老たちくらいしか扱えない、希少な魔法となり果てました」

「テオドールも使えないのか。お前ほどの秀才が」

「無理ですね。【植物魔法】に必要な三種の精霊を呼び出せる能力は私にはありません。相性の良い風の精霊を呼ぶのが精一杯です。他のエルフもそんなものですよ。【精霊魔法】を使うどころか、肝心の精霊の姿が見えないエルフも随分と増えてきていると聞きます」

「それほどか……」


 元々、精霊は気まぐれな存在だ。

 自然に由来する能力に長けており、気に入った相手には、少しの魔力譲渡で大きな魔法を発動してくれるという。


「母も精霊たちには気に入られている方ですが、それでも【植物魔法】を使うと、魔力のほとんどをごっそり捧げなければならないようで、大変そうです」

「そうか。あまり無理をする必要はないと伝えてあるのだが、心配だな」

 侍女長シャローンは庭を台無しにしてしまったと、目に見えて落ち込む子猫を心配して、【植物魔法】で元通りにしましょう、と励ましていたのだ。

 それほどに魔力を使う魔法ならば、後で労わってやらねばなるまい。


(シャローンは勇者の世界のパンケーキとやらが気に入っていたな。料理長に命じて、あとで届けてやろう。勇者にもクリームをたっぷり使ったものをおやつに出してやらねばな)


 口元にクリームをたっぷりつけて、ウミャイウミャイとご機嫌でパンケーキを頬張る子猫の姿を思い浮かべるだけで、アーダルベルトは幸せな気持ちになれた。

 膝の上のぬいぐるみを撫でる。子猫は愛らしい。眺めているだけで、胸がほっこりとする。

 幸福とはきっと、子猫の姿をした、ふわふわであたたかくて、とても尊いものなのだと思う。

 その気持ちとは別に、満月の時の勇者──ミヤの姿を思い出しては、胸が締め付けられるような心地に切なくなった。

 子猫はかわいい。だが、ツガイの姿も見たい。そんな葛藤に苦しめられる。


 満月の期間は一ヶ月のうち、一週間だけ。次の満月まで、あと三週間は待たなければならない。

『魂のツガイ』を前にして、果たして理性が保つかどうかは不安だが──会いたいという気持ちは抑えられそうにない。

 愛しい少女を怖がらせたくはないので、風魔法を改良した結界魔法を考案して、練習している。

 賢者曰くの、フェロモン──『魂のツガイ』相手の匂いを遮断する効果があるため、成功すれば理性を保ったまま、愛しい少女ミヤと接することができるはずだった。


(三週間後のために、結界魔法の精度を上げなければ、な)

 気が急いてしまいそうになるが、我慢だ。

 幼馴染みのテオドールも母親代わりのシャローンも口が酸っぱくなりそうなほど、念押ししてきたのである。

 本能のままに『魂のツガイ』に迫れば、怖がられて嫌われて、二度と近寄らせてくれなくなるかもしれないから、自重しろ、と。

 怖がられるのは悲しい。嫌われると、とても辛い。二度と近寄らせてくれなくなると、自分は生きていけないのではないか──想像するだけでも恐ろしかった。


(この溢れんばかりの愛しいという感情は、子猫と触れ合うことで発散しよう)


 そう、心の中で強く誓いを立てる。理性は大事だ。本能、ステイ。

 ストレスは子猫を愛でることで発散するに限る。

 そのためにも、まずはこの憎き書類の山を片付けなければならない。


 この仕事を終わらせれば、中庭の勇者のもとに行ける。面倒な仕事で疲弊した心を、あの素晴らしい手触りの毛並みを撫でることで癒さなければならない。

 体内の魔力を循環させ、集中力を発揮して、凄まじい勢いで書類を片付けていくアーダルベルトをテオドールは呆れた表情で一瞥する。

「無駄に器用な真似を……。まぁ、早めに仕事が終わるなら、それもありですかね」

 ぽつりとつぶやくと、ちょっと自分でもやってみようと魔力を練り上げる。

「おお……これはなかなか良いかもしれませんね。仕事が捗りそうです」

 魔力を消費する上、後で疲れがどっと襲ってくるが、【身体強化】を脳に一点集中させた魔法はなかなか使えるようだった。


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