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第44話 魔王の采配 2

 魔王と宰相が集中して仕事をこなしていた、その時。強い魔力の波動を感じた。


「む……?」

 アーダルベルトが端整な眉をひそめた。顔を上げて、思案する。

 嫌な気配はしていないので、問題ないはずだが──

 視線が合ったテオドールが安心させるように、小さく頷いてくれた。

「これは、きっと母の【植物魔法】ですね」

 精霊たちを召喚して、魔法を発動してもらったのだろう。

感知できたのは、土属性の魔力なので、大地の精霊の能力か。希少な【植物魔法】をこの目で見たかったが、宰相が睨みをきかせているため、執務室から抜け出すのは難しそうだ。


 この【植物魔法】は大地を富ませ、恵みの雨を降らせて、聖なる祝福の光がもたらせる、特別な魔法である。

 それを知ったトワイライト帝国は自国を豊かにするために、エルフ狩りを始めたのだ。

 だが、希少な【植物魔法】を扱えるエルフは数少ない。

 目論見が外れて、皇帝はひどく悔しがったと聞く。精霊たちは心の醜い者を嫌うため、たとえ【植物魔法】が使えるエルフが捕えられたとしても、召喚することはかなわなかっただろうが──


「魔力をかなり消費しますから、今日のところは大地の精霊の召喚のみで終わるでしょうね」

 テオドールの言葉に頷き、アーダルベルトは次の書類に視線を落とす。

「この案件は──……」

 気になった箇所を問い質そうとした、その時。

 先程とは比べようがないほどの、強い魔法の発動を感知する。

「これは……!」

 慌てて背後を振り返る。執務室から見下ろせる、中庭。

 外壁側にある、花壇の一角に見慣れた侍女長の姿がある。その足元には、まるで綿毛のようにふわふわの小さな子猫がいて──


「まさか、慈雨じう……? 水の精霊が起こす、奇跡のひとつと言われている……?」

 唖然としたテオドールの発言で、中庭に降り注ぐ霧雨に気付いた。

 音もなく、優しく周囲を慰撫するかのような、細かな雨には癒しの力が込められているのが【鑑定眼】スキルで分かる。

 これは、ポーションと同等の効力のある、恵みの雨だ。


「人や動物よりも、植物の癒しに特化しているようだな」

 ということは、やはりこれは精霊による【植物魔法】のひとつなのだろう。

「これほどの大きな魔法を使ったとなると、母の魔力不足が心配ですが……」

 アーダルベルトに並んで中庭を見下ろすテオドールが困惑したように瞳を揺らす。

「元気そうですね……?」

「そのようだな」


 魔力不足で昏倒する様子もなく、シャローンは何やら興奮した様子。

 ということは──


「もしや、この奇跡とやらを起こしたのは勇者か……?」

「おそらくは、その可能性が高いかと」

 二人の視線は、ふわもこ可愛い子猫に釘付けである。

「あ……また、精霊を召喚したようですね。これは、光の精霊か」

「光の精霊は序列一位と聞いたことがあるが、そう簡単に呼び出せるものなのか?」

「いえ……。光の精霊は特に好き嫌いが激しく、召喚するにも準備が必要です。譲渡するための、たっぷりの魔力はもちろん、供物も用意しなければならないはずですが……」

 複雑そうな表情で視線を交わし合った二人がふたたび中庭を見下ろそうとした、その時。


 あ、とアーダルベルトとテオドールは同時につぶやいた。

 凄まじい魔力の奔流に襲われて、言葉を失った。閃光。起点は中庭、子猫のいる場所だ。

 さすがに焦った魔王は、闇魔法で転移する。


「どうした、何があった勇者よ!」


 声を掛けられた子猫は、ぴゃっと飛び上がって驚いた。かわいい。

 抱き締めて頬ずりしたい気持ちをどうにか押さえつけて、じっと見据えると──

 こてん、とその場に転がった子猫。くねくね、と身をよじらせながら、ぽっこり膨らんだお腹を見せつけながら、上目遣いでアーダルベルトを見上げてくる。潤んだ、空色の瞳。

「みゃおーん?」


 あざとい。あざとすぎる──が、可愛いは正義だった。

 魔王アーダルベルトは無言でその場に跪き、そっと子猫を抱き上げて頬ずりした。


◆◇◆


 荒れた花壇の手入れをするために発動した【植物魔法】が起こした、数々の奇跡。

 シャローンが言うには、おそらくは召喚勇者の上質で豊富な魔力を気に入った精霊たちが大盤振る舞いをしてくれたのではないか、とのことで。

 話を聞くに、単に魔力だけではなく、おそらくは勇者──子猫を気に入ったようだった。

 熱心に毛並みに触れて、抱き付いたり撫でたりしては、うっとりしていたようなので。


(くっ……! 私のツガイだぞ! 精霊め!)


 ふかふかの子猫の毛並みにダイブするなどと羨まし、いや、けしからん。

 だが、同時に誇らしい気持ちにもなった。

 精霊が気に入るとは、さすが勇者。


 宰相と侍女長が【植物魔法】や精霊について熱く語り合っている内に、子猫に促されてそっと執務室を抜け出した。どこか行きたい場所があるらしい。

 たしたし、と小さな前脚で方向を伝えてくる様がいじらしい。

「こちらの方向でいいのか?」

「にゃっ」


 向かった先は厨房で、城の主である魔王の登場に動揺する料理人にねだって野菜を貰ってきた。

 どうやら、覚えたばかりの【植物魔法】を使い、畑を作りたいようだ。

 面倒なことをする、と不思議に思いつつも、愛しいツガイに頼まれたら、断れるわけもない。


「野菜を育てる土地か。ならば、裏庭がいいだろう。あの場所なら、人が来ることは滅多にない」

「にゃんっ!」

 そうそう、そういうところ! 

 きらきらと目を輝かせる子猫にほっこりしつつ、魔王は裏庭に向かう。


(先程の奇跡のおかげで、中庭は人が多い。避けた方がいいだろう)

 そうして、到着したのが裏庭だ。城の裏手にあり、閑散とした裏門からも少し離れた場所なため、巡回の者も滅多に来ない場所だった。

 塀に沿った場所に、納屋ほどの大きさの空き地があったので、そこを使うことにした。


「にゃにゃーん!」

 高らかに鳴く、子猫。仁王立ちをして、誇らしげに胸を張っている。

 本人ほんにゃん的には勇ましい獅子の気分なのだろうが、どう見てもふわふわの愛らしい綿毛だ。ほのぼのする。


 目には見えなかったが、先程の呼び掛けで精霊たちが集まってきたようだ。

 子猫が何もない空間をじっと見据えている。

 精霊を召喚したと知らなければ、ちょっと怖い光景ではある。目に見えない悪霊でもそこにいるのかと、怯える者も現れそうだ。


「本当に呪文を詠唱することなく、精霊を呼び出せるとは……さすが、勇者よ」


 そうして、張り切った子猫が「うにゃにゃ?」と精霊たちにお願いをして、【植物魔法】を使った結果。

 魔王アーダルベルトは呆然と立ち尽くすことになる。


「いくらなんでも、規格外すぎるぞ……?」


 アーダルベルトは遠い目をした。

 眼前には、緑豊かな畑が広がっている。先程まで、踏みしめられて硬く、小石まじりだった痩せた土が栄養たっぷりの、ふかふかな土に変化していた。

 切って土に埋めただけのイモが、【植物魔法】により、すくすく育っている。

 土から芽が出て、イモが育ち切るまでは、あっという間だった。

 根菜なため、土に植えると何もない畑に見えたのだが、水の精霊が雨を降らし、光の精霊が小さな太陽を作り出すと、緑の葉が青々と茂る、立派な畑へと成長した。

 魔王アーダルベルトが心の中で百を数えた頃には、すでにこの状態だった。


(成長速度が異常だ)

 震撼する。

 シャローンやテオドールから聞いた【植物魔法】の詳細と、あまりにも違い過ぎていた。

 花壇に植えたばかりの種から、花を咲かせるまで成長させた話にも驚かされたが、野菜はさらに難易度が高いはず。


「三種の精霊たちが魔法を使ったとしても、せいぜいか芽吹かせて、少しばかり成長が早くなる程度だと聞いていたのだが……」

 どう見ても、おかしい。魔法の効力が強すぎる。

「やはり、召喚勇者の魔力は特別なのか……?」

 首を捻りつつ、子猫を見下ろすと、何やらくすぐったそうに身をよじっている。

 む、と眉をひそめて凝視すると、【鑑定眼】スキルが発動した。


──大地の精霊、水の精霊、光の精霊が勇者に抱きついて、頬ずりをしています。


 その姿はアーダルベルトには見えなかったが、【鑑定眼】スキルはきちんとその情景を鑑定してくれたようだ。

「精霊たちが、勇者に抱きついて、頬ずりをしているだと……? 許せん!」

 ぶわわっと魔王の凶悪な魔力が立ち昇ると、精霊たちは慌てて逃げていったらしい。

 不思議そうに子猫が空を見ているので、四方に散ったようだ。

「みゃ?」

 こてん、と小首を傾げた子猫がアーダルベルトを見上げてきたので、素知らぬふりをする。

 もちろん、魔力は消し去ってある。魔力? 何のことだ?

 移り気な子猫は特に気にしていないようで、すぐに畑に意識を向けた。

 弾むような足取りで畑に歩み寄ると、すんすんと匂いを嗅いでいる。


「にゃおう」

 これは「魔王」と自分を呼ぶ声だ。

「どうした、勇者」

「にゃっ!」

 青々とした葉っぱとアーダルベルトを交互に見やって、前脚で土を掘る真似をする。

「……収穫したいのか?」

「んっ!」

 こくりと頷かれた。

「分かった。任されよう」

 真顔で頷き返すと、アーダルベルトは腕をまくり上げた。邪魔なマントは【アイテムボックス】に収納しておく。


 二百年ほど生きているが、野菜を収穫するのは初めてだ。

 戸惑いはあるが、子猫に頼られて嬉しいという気持ちの方が大きい。


 たしたし、と足元を叩かれる。

 にゃごにゃごと説明されるが、子猫語は分からない。

 焦れたように、身振り手振りで説明された。かわいい。その可愛さを余すことなく、魔道具で撮影しておきたいが、今は我慢だ。

 何となく理解して、アーダルベルトは緑の葉が茂るジャガイモの茎を束ねた。根元を持って、茎を引き千切らないよう気をつけながら、そっと引き抜く。

「おお、採れたぞ。イモがたくさん実っている」

 引き抜いた茎の根のあたりに、大小のジャガイモがみっしりと実っていた。

 こんな風に育つのかと、感心する。一つの種イモから、かなりの量が採れるようだ。

「一株から、二十個近くのジャガイモが収穫できるのか」

「ふにゃー」


 子猫も驚いたようで、大きな空色の瞳を丸くしている。

 丸々と肥えた、美味しそうなジャガイモである。土を軽くはらい、とりあえず横によけておく。

 これで満足したかと思いきや、子猫は全部収穫するのだと、訴えてきた。


「これをすべて……?」

「うみゃっ」


 こくん。しかつめらしい表情で頷いてくる。可愛い小悪魔め。


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