■ 第十五章 副将軍と子猫
その日、アウローラ王国地上軍、副将軍であるティグルは王城に馳せ参じていた。
帝国領の一部と王国軍が突発的な小競り合いを起こした件の報告のため、魔王陛下の執務室に呼ばれたのだ。
ティグルは虎の獣人だ。年齢は三十半ば。鋼のように鍛え上げられた、見事な肉体の持ち主である。獣人であるため、短めの金髪の隙間から丸っこい耳が生えていた。
自慢の太い尻尾は金と黒の縞模様で、とても美しい。
鎌首をもたげた蛇のようにゆらりと優雅に揺らしながら王城の廊下を歩く彼を、城勤めの騎士たちまでもが憧れの眼差しを向ける。
顔面にうっすらと残る傷跡さえ、この戦士にとっては誉れ以外のなにものでもない。
幼い子供が目にしたら怯えそうなほどに覇気がある、
先触れの従者が、陛下の執務室の扉をノックする。
「どうぞ」
答えたのは部屋の主ではなく、涼しげな声音。宰相である、エルフのテオドールだ。
「失礼する」
ティグルは堂々とした態度で、ドアを開けた。
「副将軍、久方ぶりだな」
魔王アーダルベルトが微かに口角を上げて、ティグルを出迎えた。
体格の良い虎獣人の男は右手の拳を左胸に当てて、軽く会釈を披露する。獣人族特有の挨拶だ。
「先日の生誕祭以来ですな、陛下」
軽く挨拶を交わすと、すぐに報告に入る。
無駄を嫌う、無骨な性格をした副将軍とアーダルベルトなので、話は早い。
適宜、脇に控えた宰相テオドールが質問を挟むため、スムーズに戦後処理も捗ることだろう。
小競り合いは当然、我が王国軍の完勝。帝国側の戦争奴隷として使われていた亜人たちを無事に保護することもできたので、戦果も上々だ。
報告を終え、ティグルがほっとしたところで、アーダルベルトが口を開いた。
「ところで、副将軍は虎の獣人だと聞いたが、祖先が同じ種族は多いのだろうか」
唐突な質問に、ティグルは困惑する。
「はぁ。我が種族と親戚、と考えられている獣人族はいくつかありますな。獅子の一族、サーバルの一族。豹の一族は種族も多いです」
ユキヒョウにクロヒョウ、チーターも豹の一族になる。
祖先が同じといっても、獅子とは在り方もかなり違うため、あまり仲が良いとは言い難かった。
(なぜ、こんな話題を?)
ティグルの戸惑いに気付いたのだろう。
アーダルベルトが端整な口元に微苦笑を浮かべる。
「疑問に思っているようだな。率直に言おう。帝国より保護した、召喚勇者について、貴公に頼みがあるのだ」
「私に、ですか?」
異世界からの召喚勇者の話は、ティグルも耳にしている。
トワイライト帝国の老皇帝が禁術を使って、異世界から召喚した勇者を本格的な戦になる前に、魔王陛下が浚ってきたのだという。
召喚されたばかりの勇者なら、魔法もスキルも使えない。
その噂話を耳にしたティグルなどは快哉を叫んだものだったが、どうやら本当だったようだ。
(俺が魔王陛下なら、魔王を唯一殺せる勇者を覚醒前にさっさと息の根を止めるところだが……)
どうやら、アーダルベルトは勇者を保護しているらしい。
そういえば、召喚勇者は獣人であるという噂をティグルも耳にしていた。
先程の質問も、それに関係があるのだろうか。
「その、勇者は少しばかり特殊な体質でな」
「はぁ……」
「元の人格は人族であるのだが、召喚された折に、たまたま一緒にいた動物と肉体が混じってしまった状態なのだ」
「なんと……! そんな状態で、生きていられるものなのですか」
驚いた。召喚の儀式は通常の転移魔法と違い、無理やりに魂と肉体を引き寄せる禁術だ。
召喚される者の意志など無関係。漏れ聞いたことのある帝国の歴史では、かつて召喚に失敗して、肉体だけ、或いは魂のみ召喚してしまったこともあったらしい。
(だが、まさか、他の種族と混じってしまうとは、聞いたこともない)
かつて、遠い異国の狂った魔術師が魔獣を組み合わせて新たな生き物を創ろうとして、とんでもない化け物を生み出したことがあった。
オオカミと大蛇、大蜘蛛の魔獣を掛け合わせて、生まれ落ちた醜悪な生き物は、その身が耐えらえずに、すぐに息絶えたという。
創造神の
当然だ。ひとつの肉体には、ひとつの魂しか宿れない。
無理に押し込めても、肉体か魂、どちらか──或いは、どちらも壊れてしまうだけ。
そのはずだったのだが、勇者は混じってしまったらしい。
「うむ。どういった奇跡が生じたのか、どちらも壊れずに召喚されたのだ」
「ははぁ……。さすが、異世界より召喚された勇者と言うべきですかな」
それほどに強靭な肉体と魔力を持っていたのだろう。
感心するティグルをアーダルベルトは静かに見返して、小さく咳払いした。
「その際に、勇者と混じってしまった動物というのが、異世界の「ネコ」という生き物でな」
「はぁ、ネコ……。聞いたことがありませんな」
「だろうな。この世界に、そんな生き物は存在しない。だが、賢者の話によると、異世界では、その「ネコ」と虎は同じ「ネコ科」という種族らしいぞ」
「はぁ……はぁっ⁉ 我ら、虎族と同じ種族だというのですか? その、ネコという生き物が」
ぎょっと目を見開いた。ネコ。ネコ科? 同じ祖先を持つ、親族ということなのか?
「しかも、召喚されたのは、その動物……ネコの子でな。魂というか、中身は人族の少女なのだ」
「獣人ではなく、動物の姿なのですか? 勇者が?」
動物姿の勇者を想像して、ティグルは大いに戸惑った。
だが、我ら虎族や獅子族に似た動物であるならば、戦いには向いているか──と無理やり納得しようとしたところで、魔王アーダルベルトが新たな火種をぶち込んでくる。
「そうだ。ネコという小動物の子供の姿で召喚されてしまったのだ」
「小動物⁉ そ、そのネコという動物は、小さき生き物なのですか、陛下」
「小さい。毛はふかふかで、身体は小さく、とても弱い」
「ふかふかで、小さくて……弱い?」
「うむ。生後一ヶ月でこちらの世界に召喚されたのだ。ちなみに、保護した折の大きさは、このくらいであった」
アーダルベルトがそっと片手を差し出した。てのひらを広げて、このくらい、と言う。
「こ、これほどに小さな……? しかも、生後一ヶ月? 生まれたてではないですか!」
「ちょっと力を込めると、すぐに潰れてしまいそうで怖かったぞ」
「たしかに、それは怖いですな……」
片手に乗るほどに小さくて、とても弱々しい赤ちゃんを想像して、ティグルはぞっとした。
「うちの子が生まれたての時と変わらぬ大きさだ……」
だが、生後一ヶ月ともなれば、虎の仔はもっと大きく育っている。
ふくふくに肥えて、兄弟たちと転がりながら遊んでいる時期だ。手足は太く、身体も頑丈なため、抱き上げるのが怖いという気持ちを覚えたことは一切ない。
「ちなみに、勇者の身体はふにゃふにゃだ。どこもかしこも、だ。筋肉があるのかも、不安になるほどにやわらかくて、良い匂いがする」
「ふにゃふにゃ」
知らない擬音語だ。
少なくとも、虎の獣人たちの間でこれまで使われたことがない言葉であることは明白。
とても頼りない、繊細そうな表現であることだけは分かった。
「そして、魔力が満ち溢れる満月の間だけ、勇者はネコの獣人姿を取ることができる」
「待ってください。情報が多い」
混乱して頭を抱えるティグルを、テオドールが生暖かい眼差しを向けてくる。
同情か? 同情なのだな、それは。
魔王アーダルベルトは顔色ひとつ変えずに、重々しく頷いてみせた。
「まぁ、そこはいい。気にするな」
「気になるに決まっておりますが⁉」
思わず激高しかけてしまったが、どうにか理性を総動員させてソファに座り直した。
武人としてあるまじき失態だが、宰相は見ないふりをしてくれたようだ。