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第48話 副将軍と子猫 3

 優しい声かけだけでは目覚めそうにないと気付いたアーダルベルトが、方針を変えた。


「勇者よ、そろそろオヤツの時間だぞ?」

 餌で釣る作戦らしい。これが、小さな子供にはいちばんきく。

 ぴくり、と布が身動いた。もう一押しか。そこへ侍女長が参戦する。

「ミヤさま。本日のオヤツはベリージャムをたっぷりのせたスコーンですわよ?」

「うにゃにゃっ!」

 オヤツ! と叫んで、飛び起きた勇者。

 ふかふかの上質な布の中から、ぴょこりと顔を覗かせたのは、アーダルベルトが説明した通りに、小さくて頼りない生き物だった。

 もぞもぞと布の中から這い出すと、子猫は魔王の身体を登る。

 小さな爪を引っ掛けるようにして、魔王の肩までよじ登ると、慣れた様子でちょこんと座った。

 そうして、ようやくいつもの執務室に知らない男がいることに気付いたようだった。


「みゃあ?(だぁれ?)」

「お初にお目に掛かる、勇者殿。アウローラ王国地上軍、副将軍のティグルと申します」

「にゃにゃった!(しゃべった!)」


 まさか返事が返ってくるとは思いもしなかったのだろう。

 ぎょっと目を見開く子猫に、ティグルは苦笑する。


「喋りますよ。勇者殿の声を聞くことが、此度の私の任務のようですので」

 くつくつと喉の奥で笑いながら、そう話しかける。

 ネコという生き物の姿をした召喚勇者は、まじまじとこちらを眺めてきた。

 丸くて大きな空色の瞳が零れ落ちそうだ。


「にゅう?」

 もしかして、虎の獣人なのか、と問われて、胸を張って頷いた。

 どうやら、異世界にも虎は存在しているらしい。

「にゃっ!(トラ!)」

 途端に、勇者が目を輝かせた。

 せっかく登った魔王陛下の肩から、よちよちと地面に降りていき、こちらに駆け寄ってくる。

 視線を合わせるため、ティグルは大きな肉体を縮めるようにして、床にしゃがんでやった。

「みゃみゃっ!」


 好奇心いっぱいの瞳を煌めかせながら、子猫はティグルの周辺をくるくると回る。

 愛らしい鼻先を突き出して、懸命に匂いを嗅ぎ、縞々の尻尾を追い掛けて遊んでいる。

 これは何とも可愛らしい。ティグルはつい、厳つい顔を綻ばせてしまった。今はすっかり生意気盛りの息子たちの生まれたばかりの頃を思い出してしまったのだ。

 そっと手を差し出すと、小さな体でしがみついてきた。

 あぐあぐとティグルの太い指を甘噛みする姿でさえ、とても愛らしい。

 このくらいの時期は、口の中が痒いのだ。

 この程度の牙では、ティグルは痛くもないので、好きにさせてやることにした。


 賢者の推察通り、どうやら虎の獣人であるティグルは、異世界からきたネコの言葉が通じるようだ。これならば、魔王陛下の頼みごとは簡単にこなせそうだと思う。

 厄介ごとがすぐに片付けられそうで、ティグルはほっと胸を撫で下ろした。

 せっかくなので、異世界から召喚された勇者を観察することにした。

 異なる世界にしかいない、ネコという不思議な生き物をしげしげと眺める。


 大きさは、ティグルのてのひらに悠々と乗れるほど。とても小さい。そして、体重が軽い。

 そこからして、『虎』である自分たちとは全く違う生き物であると実感した。

 みっしりと重い筋肉を身に纏っているため、大型肉食獣である『虎』は体重が重いのだ。

 その点、このネコはふわふわの長毛の下に隠れた肉体は魔王曰くの、ふにゃふにゃだった。

 これが、ふにゃふにゃ──言い得て、妙だ。

 子猫の身体は驚くほどに小さくて細くて、そして脆弱だ。

 魔王陛下の服に立てていた爪など、武器にすらならない。己の指を噛む牙だって小さい。甘噛みどころか、本気で噛まれても、きっとティグルには傷ひとつ付かないほどに貧弱だ。


(……これで生きていけるのか、異世界のネコとやらは)

 心底不思議に思う。弱いくせに、強いものが分からないらしく、これほどに傍若無人にふるまうのだろう。まるで子供だ。

(いや、そういえば、子供だったか。生後一ヶ月と少し。子供だな)


 納得する。真っ白の毛並みの、愛らしい子猫。

 白い毛並みの動物は、弱い個体が多い。力が弱く、体格が小さい。生まれつきに病に侵されているものもいる。だから真っ先に淘汰される存在だ。

 自分たちは獣人であるから、野生の獣のように、あからさまに弱い個体を排除することはないが、区別をして生きてきた。

 強い者こそ、一族の中でも力を持つ。それは当然のことだった。


(だが、勇者は違う。魔力量も多いようだし、四属性魔法をすべて使えるなど、魔法の得意なエルフでも難しいのではないか? それに、稀有な【精霊魔法】の使い手でもある……)


 勇者の中でも最弱だと自分でも分かっているようだが、たしかにこれは屈強な護衛騎士が必要だ。魔法が得意だとしても、肉弾戦では歯が立たないだろう。

 逃げる時間さえ稼げれば、勇者を溺愛している魔王陛下がすぐに助けに入られるはず。

(ならば、攻撃よりも防御に強い騎士がいい)

 ついでに子猫の姿の勇者殿と言葉を交わせるネコ科の獣人が補助に付けば、心強い。


「陛下。さっそくですが、心当たりのある騎士を何人か連れてきますので、勇者殿に選んでもらいましょう」

「頼んだぞ、ティグル」

「はっ」


 顔を下げると、子猫が不思議そうにこちらを見上げて、そっと後ろ足で立ち上がった。

 前脚を伸ばして、ぺたりとティグルの顔を触ってくる。どうやら顔の傷跡が気になるらしい。

「ふみゃお?(いたい?)」

 ふ、とティグルは相好をくずした。

「名誉の負傷です。もう痛くはないので、ご心配なく」

 優しいお方だ、と瞳を細めて眺めていると、ふいに子猫がこてんと首を傾げた。

「んみゃあおう(トラ、みたい)」

「……んんっ? それは、その」

「みゃあ(みたい)」

 ぺちぺち、と頬を叩かれて困惑する。

 まったく痛くはなく、むしろ、ぷにぷにとした弾力のある肉球が柔らかくて気持ちいい。


「どうした、ティグルよ」

「いや、その勇者殿が虎の姿になった私を見たいと……」

「みゃーん(みたーい)」

「我儘を言うのはダメだぞ、勇者」

「みゃおう……(まおう……)」

「うっ……そんな目で見るな、勇者よ」


 どうやら魔王アーダルベルトは子猫の上目遣いに弱いらしい。

 うるうる、と潤んだ青い瞳に見上げられて、あっさりと白旗を掲げた。


「頼んだぞ、ティグル」

「…………陛下」

「この、うるうるした目に逆らえるはずがなかろう」


 きりっとした顔で言い放たれても、あまり説得力はない。

 はぁ、とため息を吐いて、ティグルは仕方なく【獣化】スキルを使うことにした。

 獣人の中でも、完全に獣の姿を取れる者は少ない。

【獣化】スキルにより、変化した肉体は、本物の虎よりもひとまわり大きく、強靭となる。

 スキルを使うと同時に、左手に嵌めた金色のストレージバングルに衣服を瞬時に収納させる。


 変化は一瞬だった。

 四つ足の獣の姿になると、獣人の時よりも開放感を強く感じる。

 よもやまさか、魔王陛下の執務室で『虎』になるとは思いもしなかったが、自慢の黄金色の毛並みを披露できたことは、少しばかり心地よい。

 ぐるるぅ、と喉の奥でアーダルベルトに挨拶をする。

 紫水晶と同じ彩度の瞳が、ティグルの勇壮な姿を目に留めて、満足げに綻んだ。とても嬉しい。


(さて、この姿を見たがった勇者殿は……)


 と、ティグルが視線を地面に落としたところで、甲高い悲鳴が上がった。

「ふしゃあああああ!」

 人の言葉で翻訳すると「きゃあああああ!」であろうか。それは悲痛な叫びだった。

 驚くティグルの目前で、小さな真っ白い毛玉がぽーん、と飛び跳ねた。

 てのひらサイズの弱々しい子猫によくぞそこまでと思うほどの敏捷性で、勇者が跳んだ。

 可哀想に、尻尾や背中の毛がぶわわっと逆立って広がっている。耳はぺたりと寝かされて、くりくりの目は瞳孔が開ききっていた。


「…………………」


 いや、お前が見たかったんじゃないのか、と。その場にいる誰もが突っ込んでいた。

 口にしなかったのは、あまりにも怯えようが凄まじかったもので、ちょっとだけ同情したのもある。怯える子猫は可哀想だが、それ以上に可愛く思えてしまったので、我ながら末期かもしれない。

 これでは、魔王陛下を笑えない。


「勇者よ。落ち着け。これはティグルだ。お前が見たいと言った、トラだぞ?」

 アーダルベルトが小さな毛玉を抱き上げて、優しく背中をとんとんと叩いて宥めてやる。

 巨大な虎の姿に変化したティグルも、これ以上怯えさせないようにと、極力縮こまって、微動だにせずにいると、子猫はどうにか落ち着いてくれたようだった。


「今日は不思議な踊りはしなかったな……」

「不思議な踊りですか、陛下?」

「ああ。勇者は驚いたり、怯えたりすると、身体をこう斜めにして飛び跳ねながら舞い踊るのだ」

「まぁ……不思議ですわね。見てみたいですわ」


 魔王アーダルベルトと侍女長シャローンが呑気に言葉を交わすのを耳にして、ティグルはなるほどと納得する。

 もちろん、それは不思議な踊りではなく、ネコが相手を威嚇する際に見せる動きなのだろう。

 自分たちの仔が幼い頃、子トラの姿でやっていたことを思い出して、ほっこりする。


 そうこうするうちに、子猫はようやく我にかえったようで、そろりそろりとこちらに寄ってきた。可愛らしい前脚の先でちょん、と虎の背をつつく。

 ティグルは子猫がまた驚かないよう、岩のごとく固まったままだ。

 何をしても動かない、怒られることもない──そう理解した子猫は、途端に傍若無人に振舞ってきた。ティグルの背に飛び乗り、ころころと転がって遊び始めたのだ。


「まぁ。とっても可愛らしいですわね、ミヤさま」

「うむ……。なんと平和的で美しい光景であろうか」

「陛下、絵師を呼んできましょうか」

「良い考えだな、テオドール」


 さすがに、子猫に踏み付けられた姿を肖像画として残されるのは勘弁してほしい。

 がう、と太い声音でアーダルベルトに訴えると、残念そうながら、諦めてもらえた。

 その間も子猫は好き勝手にティグルの上を飛び跳ねている。やわらかな腹の毛に顔を埋めてみたり、太い尻尾にじゃれついてきたりと大忙しだ。

 耳をはむり、としゃぶり、口の中に頭を突っ込もうとしてきた時にはさすがに悲鳴を上げてしまった。大きな牙が気になったらしいが、この子猫の生存本能はどうなっているのだろうか。

 ティグルが口を閉じれば、小さな子猫などひと呑みなのに。


 ともあれ、子猫の姿をした召喚勇者はネコ科の縁でか、すっかりティグルに懐いてくれた。

 途中、魔王アーダルベルトが嫉妬に胸に焦がしそうになるなどの騒動もあったが、どうにか護衛騎士を選ぶことができたので、ティグルは早々に退散した。

 子猫は愛らしいが、全力で付き合うのは体力的にはともかく、精神的にとてもキツいのだ。

 戦場で帝国兵をぶん投げる方がよほど気楽だ、と力なく妻に愚痴ったほど。


◆◇◆


 そんなわけで、ティグルを介して決まった護衛は二人。

 漆黒の髪と瞳をした、がっしりとした体格のクマの獣人である、ダンテ。

 強面な印象とは真逆に、性格は温厚な男だ。

 表情はあまり変わらず寡黙だが、大盾のスキル持ちで、防御には絶対の自信があるという、護衛向きの騎士だった。


「ダンテだ。よろしく頼む」

 日本人の魂を持つ少女には、とても馴染みのある色彩だったので、ふたりはすぐに仲良くなった。

 もう一人は、護衛というよりも通訳として雇われた。

 ダンテとは真逆な、小柄な獣人だ。年も若そうで、美夜の目には十代半ばほどのティーンエイジャーに見える。耳の先が丸く、ふかふかの尻尾もち。

 虎獣人であるティグルとよく似た獣の一部が特徴的だったが、色彩が違う。

 灰色に近い、くすんだ銀髪と水色の目。ただし、尻尾の柄が縞模様ではなく、ヒョウ柄だった。


「俺はピノ。ユキヒョウ族だ」

 ユキヒョウ族の獣人であるピノは年齢が近いこともあってか、話しやすそうだ。

 寡黙なダンテと違い、おしゃべりが好きそう。

 身が軽いため、力には自信がないそうだが、その分、敏捷性に期待がもてる。

 子猫姿の美夜は目を輝かせて、二人を歓迎した。


「みゃあああん!(よろしくねっ、ダンテとピノ!)」


 かくして、勇者は護衛という名の遊び相手を手に入れた。



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