■ 第十六章 護衛がつきました
子猫の朝は意外と早い。
猫なんて、いつも眠っているイメージがあったのだが、早朝には目が覚める。
自身が猫になって初めて実感した。そう、子猫は燃費が悪い。すぐにお腹が空いてしまう。
小さな身体なのだから、胃袋が小さいのも当然のこと。
お腹がいっぱいになるのも早いが、消化も早くて、すぐにお腹の虫が鳴いてしまう。
そうなると、もうご飯のことしか考えられなくなる。人であった頃の理性なんて、どこへやら。
(ごはん……! ごはんが食べたい! おなかすいたよう!)
空腹で目覚めた子猫は、一緒に寝ている魔王を容赦なく叩き起こす。
「みゃおう!」
魔王、と呼び掛けて、てちてちと額を叩く。起きない。
胸の上で飛び跳ねてみても、魔王の大胸筋はビクともしない。
立派なツノにしがみつき、えいえいっと頭を蹴りつけてみたのだが、低く呻いただけで、逆に抱き締められてしまった。これでは動けない。
「にゃおーう……」
ぎゅう、と抱き込まれてしまっては仕方がない。目の前にある、無駄に美麗な顔を眺めながら、日本では到底お目に掛かれないほどに高い鼻の先を舐めてみた。
猫の舌には小さな突起があり、舐められると痛いのだ。ざりざり。音を立てながら丁寧に舐めていく。さすがに痛くて目が覚めるだろう。すぐに起きない魔王が悪い。
にゃふふ、と悪い笑みを浮かべながら、子猫は熱心に魔王の鼻や頬を舐めてやった。
「ン……?」
「ふ……くくっ……」
何やら、魔王の肩が小刻みに震えている。よほど痛かったのだろうか?
さすがにちょっと心配になって、そっと顔を覗き込んでみると、強く引き寄せられて頬ずりされてしまった。
「んにゃっ⁉(なにっ⁉)」
慌てて前脚で突っぱねようとしたが、あっさりと組み敷かれてしまう。
「そんなに舐めるな。くすぐったい」
「みゃおう……」
ぺろぺろ攻撃はまったくダメージを与えていなかったようだ。むしろ、魔王嬉しそう。デレッデレである。せっかくの端整なお顔がだらしなく緩んでいる。
そうして、逆襲だとばかりにお腹の匂いを嗅がれてしまった。屈辱。
美夜はむうぅと目を怒らせて、魔王の耳元で叫んでやった。
「ごあん!」
「ふ。ああ、分かった。すぐに起きる」
頬にかかる髪をかきあげながら、くつりと笑う魔王は悔しいけれど、とても綺麗だ。
いたいけな子猫を相手に、無駄に色気をふりまかないでほしい。
「いい子だ。少しだけ待っていろ」
ぽんぽんと優しく頭を撫でられた。仕方ない、少しだけ待っていてあげよう。
今日の朝ごはんは何かな。
自慢の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、魔王が朝の身支度を終えるのを待った。
国でいちばん偉いはずの魔王は、着替えや風呂などは一人でぱっと済ませてしまう。
何となく、王族や貴族のような人たちは付き人に身支度を任せるイメージだったので、これは意外だったりする。
満月の間、ネコの獣人の姿に変化していた美夜がシャローンに聞いてみたところ、「アーダルベルトさまは王の前に武人であらせられますので」と言っていた。
(戦場に出ることが多かったから、一人で身支度ができるようになった、ってことかな?)
美夜と子猫を無理やり召喚した帝国との戦のことなのだろう。
(そういえば、帝国のあの偉そうな皇帝? どうしているんだろうか)
魔王や宰相は「気にするな」と言ってくれたが、また懲りずに何かをしでかしそうな気がする。
猫の勘、というやつだろうか。帝国のことを考えると、ヒゲの先がぴりりと震えるのだ。あまり良い感じはしないので、満月の日にそれとなく伝えておくことにしよう。
「待たせたな、勇者よ。では、行くか」
着替えを終えた魔王が片手で子猫をひょいと抱き上げた。いつもの定位置、肩に乗せてもらう。
見晴らしはいいし、楽ができるので、美夜はおとなしく魔王に運ばれて食堂に向かった。
「おはようございます、陛下」
「うむ」
エルフのメイドさんたちが爽やかな笑顔で出迎えてくれる。
「ミヤさまもおはようございます」
「みゃあ」
人前では無表情で素っ気ない魔王の代わりに、美夜は元気よく挨拶を返した。
テーブルに着くと、ほぼ同時に朝食が提供される。
焼き立てのパンと温かなスープにスクランブルエッグ。分厚いベーコンは、もはやステーキだ。
今日もとても美味しそう。
「こちらもどうぞ」
料理長が直々にサーブしてくれた皿には、マッシュポテトが美しく盛られていた。
(もしかして、これは……?)
美夜が顔を上げて料理長を凝視すると、自信満々の表情で頷かれた。
「勇者さまが提供してくださったダンシャクで作りました」
「うにゃにゃにゃ!(やっぱり! 男爵イモのマッシュポテトだ!)」
さっそく味見をしよう。魔王の膝から、テーブルに飛び上がる。
お行儀が悪いが、自分で食べるにはテーブルに上がるしかないのだ。
これは侍女長シャローンも黙認してくれているため、堂々と食事を楽しんだ。
そう、美夜は日々成長しているのだ。いつまでも魔王にスプーンで食べさせてもらっている、赤ちゃん猫ではいられない。
スプーンを手にした魔王が何やら寂しそうにしょんぼりしているが、気付かないふりをして、美夜はマッシュポテトを頬張った。
「うみゃい!(おいしい!)」
さすが、男爵イモ。ほくほくの食感が素晴らしい。味付けもバターの他に、濃厚なクリームの隠し味も使われている気がする。ハーブの風味も爽やかだ。
夢中で食べる美夜の様子に、魔王も興味を惹かれたようだ。
慎重にスプーンですくって、口に運んでいる。
味わうように咀嚼すると、片眉を上げて、「ほう」と低く唸った。
「なるほど、たしかに旨いな」
「ええ、我が王国で育てているイモとは風味も食感もまったく違います。色々な調理法を試してみるつもりでおります」
「そうか。勇者も故郷の味を楽しめて喜んでいる。これからも、よろしく頼む」
「お任せください、陛下!」
魔王アーダルベルト直々に激励され、料理長が感動に打ち震えている。
彼が張り切って美味しい料理を作ってくれるのは嬉しい。
せっかく、日本でよく食べていた野菜を作ることができたのだ。和食は難しいにせよ、洋食なら食べることができるようになるのではないだろうか。
(よし! 自由時間に厨房へ遊びに行こうっと!)
どんな食材や調味料があるのかも、しっかりと確かめておきたい。
醤油があると、嬉しいのだが。
美夜の仕事は執務に励む魔王の癒し係なので、書類仕事の間は彼の膝の上が定位置だ。さすがに会議や謁見や視察などの仕事の際には別行動になるが。
その別行動の時間が、美夜の自由時間だ。いつもはエルフのメイドさんたちに遊んでもらったり、読書の時間に充てるのだが、今日からは専属の護衛騎士が付く。
(つまりは、自由に行ける場所が増えるってことよねっ。これで堂々とお城の探検ができるわ!)
何しろ魔王城は広くて、そして構造が複雑なのだ。普通に迷う。
迷子になるたびに涙目で「みゃおーう!」と助けを呼んでいたら、さすがに苦情が届くようになったらしい。迷惑です、と。
美夜が「みゃおーう!」とやるたびに、血相を変えた魔王が「無事か、勇者よ!」と飛んでくるのだ。王城に勤める人々にとっては、とても肝が冷えるやり取りらしい。ごめんね。
美味しい朝食を平らげると、さっそく魔王に抱っこされて執務室に向かう。
「おはようございます、陛下」
宰相であるテオドールは隙のない笑顔を浮かべて、ふたりを出迎えてくれた。
「うむ」
軽く顎を引くだけで挨拶とする魔王は、機嫌が悪いのではなく、単に面倒なだけなのだと、さすがに美夜も分かってきた。
魔王としての威厳的なものを示す意味もあるようだが、ちょっとどうかと思う。
せめて、幼馴染みの宰相にはもうちょっと愛想をよくすればいいのに。
「ミヤさまもおはようございます」
「にゃにゃっ!」
代わりに美夜が愛想よく挨拶を返しておく。魔王の肩から、片手をあげて、ふりふり。
こうすると、玲瓏とした美貌の持ち主である宰相の口角が微かに上がるのだ。
可愛い子猫のファンサに、ほっこりしてくれているようだ。癒し効果は抜群である。
「──では、陛下。本日分の決裁書類です。ご確認をお願いします」
どさどさと魔王の執務机に山を築く、書類の束。
げんなりするような量だが、魔王は「うむ」とだけつぶやいて、さっそく書類を手にしている。
うへぇ、と顔をしかめる子猫の背を撫でるのは、魔王の左手。高速で書類を処理しつつ、片方の手で同時にアニマルセラピーを味わっている。とても器用だ。
(衣食住のお世話になっている分、私も働かないとね!)
勇者な子猫のお仕事は、魔王を癒すこと。とっても大事なお仕事である。
美夜は魔王の膝の上でくるりと丸くなると、喉を鳴らしながら目をつむった。