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第49話 護衛がつきました 1

■ 第十六章 護衛がつきました


 子猫の朝は意外と早い。


 猫なんて、いつも眠っているイメージがあったのだが、早朝には目が覚める。

 自身が猫になって初めて実感した。そう、子猫は燃費が悪い。すぐにお腹が空いてしまう。

 小さな身体なのだから、胃袋が小さいのも当然のこと。

 お腹がいっぱいになるのも早いが、消化も早くて、すぐにお腹の虫が鳴いてしまう。

 そうなると、もうご飯のことしか考えられなくなる。人であった頃の理性なんて、どこへやら。


(ごはん……! ごはんが食べたい! おなかすいたよう!)


 空腹で目覚めた子猫は、一緒に寝ている魔王を容赦なく叩き起こす。

「みゃおう!」

 魔王、と呼び掛けて、てちてちと額を叩く。起きない。

 胸の上で飛び跳ねてみても、魔王の大胸筋はビクともしない。

 立派なツノにしがみつき、えいえいっと頭を蹴りつけてみたのだが、低く呻いただけで、逆に抱き締められてしまった。これでは動けない。


「にゃおーう……」


 ぎゅう、と抱き込まれてしまっては仕方がない。目の前にある、無駄に美麗な顔を眺めながら、日本では到底お目に掛かれないほどに高い鼻の先を舐めてみた。

 猫の舌には小さな突起があり、舐められると痛いのだ。ざりざり。音を立てながら丁寧に舐めていく。さすがに痛くて目が覚めるだろう。すぐに起きない魔王が悪い。

 にゃふふ、と悪い笑みを浮かべながら、子猫は熱心に魔王の鼻や頬を舐めてやった。


「ン……?」

「ふ……くくっ……」


 何やら、魔王の肩が小刻みに震えている。よほど痛かったのだろうか? 

 さすがにちょっと心配になって、そっと顔を覗き込んでみると、強く引き寄せられて頬ずりされてしまった。


「んにゃっ⁉(なにっ⁉)」


 慌てて前脚で突っぱねようとしたが、あっさりと組み敷かれてしまう。


「そんなに舐めるな。くすぐったい」

「みゃおう……」


 ぺろぺろ攻撃はまったくダメージを与えていなかったようだ。むしろ、魔王嬉しそう。デレッデレである。せっかくの端整なお顔がだらしなく緩んでいる。

 そうして、逆襲だとばかりにお腹の匂いを嗅がれてしまった。屈辱。

 美夜はむうぅと目を怒らせて、魔王の耳元で叫んでやった。


「ごあん!」

「ふ。ああ、分かった。すぐに起きる」


 頬にかかる髪をかきあげながら、くつりと笑う魔王は悔しいけれど、とても綺麗だ。

 いたいけな子猫を相手に、無駄に色気をふりまかないでほしい。


「いい子だ。少しだけ待っていろ」


 ぽんぽんと優しく頭を撫でられた。仕方ない、少しだけ待っていてあげよう。

 今日の朝ごはんは何かな。

 自慢の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、魔王が朝の身支度を終えるのを待った。


 国でいちばん偉いはずの魔王は、着替えや風呂などは一人でぱっと済ませてしまう。

 何となく、王族や貴族のような人たちは付き人に身支度を任せるイメージだったので、これは意外だったりする。


 満月の間、ネコの獣人の姿に変化していた美夜がシャローンに聞いてみたところ、「アーダルベルトさまは王の前に武人であらせられますので」と言っていた。

(戦場に出ることが多かったから、一人で身支度ができるようになった、ってことかな?)

 美夜と子猫を無理やり召喚した帝国との戦のことなのだろう。


(そういえば、帝国のあの偉そうな皇帝? どうしているんだろうか)

 魔王や宰相は「気にするな」と言ってくれたが、また懲りずに何かをしでかしそうな気がする。

 猫の勘、というやつだろうか。帝国のことを考えると、ヒゲの先がぴりりと震えるのだ。あまり良い感じはしないので、満月の日にそれとなく伝えておくことにしよう。


「待たせたな、勇者よ。では、行くか」

 着替えを終えた魔王が片手で子猫をひょいと抱き上げた。いつもの定位置、肩に乗せてもらう。

 見晴らしはいいし、楽ができるので、美夜はおとなしく魔王に運ばれて食堂に向かった。


「おはようございます、陛下」

「うむ」

 エルフのメイドさんたちが爽やかな笑顔で出迎えてくれる。

「ミヤさまもおはようございます」

「みゃあ」

 人前では無表情で素っ気ない魔王の代わりに、美夜は元気よく挨拶を返した。


 テーブルに着くと、ほぼ同時に朝食が提供される。

 焼き立てのパンと温かなスープにスクランブルエッグ。分厚いベーコンは、もはやステーキだ。

 今日もとても美味しそう。


「こちらもどうぞ」

 料理長が直々にサーブしてくれた皿には、マッシュポテトが美しく盛られていた。

(もしかして、これは……?)

 美夜が顔を上げて料理長を凝視すると、自信満々の表情で頷かれた。

「勇者さまが提供してくださったダンシャクで作りました」

「うにゃにゃにゃ!(やっぱり! 男爵イモのマッシュポテトだ!)」


 さっそく味見をしよう。魔王の膝から、テーブルに飛び上がる。

 お行儀が悪いが、自分で食べるにはテーブルに上がるしかないのだ。

 これは侍女長シャローンも黙認してくれているため、堂々と食事を楽しんだ。

 そう、美夜は日々成長しているのだ。いつまでも魔王にスプーンで食べさせてもらっている、赤ちゃん猫ではいられない。

 スプーンを手にした魔王が何やら寂しそうにしょんぼりしているが、気付かないふりをして、美夜はマッシュポテトを頬張った。


「うみゃい!(おいしい!)」


 さすが、男爵イモ。ほくほくの食感が素晴らしい。味付けもバターの他に、濃厚なクリームの隠し味も使われている気がする。ハーブの風味も爽やかだ。

 夢中で食べる美夜の様子に、魔王も興味を惹かれたようだ。

 慎重にスプーンですくって、口に運んでいる。

 味わうように咀嚼すると、片眉を上げて、「ほう」と低く唸った。


「なるほど、たしかに旨いな」

「ええ、我が王国で育てているイモとは風味も食感もまったく違います。色々な調理法を試してみるつもりでおります」

「そうか。勇者も故郷の味を楽しめて喜んでいる。これからも、よろしく頼む」

「お任せください、陛下!」


 魔王アーダルベルト直々に激励され、料理長が感動に打ち震えている。

 彼が張り切って美味しい料理を作ってくれるのは嬉しい。

 せっかく、日本でよく食べていた野菜を作ることができたのだ。和食は難しいにせよ、洋食なら食べることができるようになるのではないだろうか。


(よし! 自由時間に厨房へ遊びに行こうっと!)


 どんな食材や調味料があるのかも、しっかりと確かめておきたい。

 醤油があると、嬉しいのだが。


 美夜の仕事は執務に励む魔王の癒し係なので、書類仕事の間は彼の膝の上が定位置だ。さすがに会議や謁見や視察などの仕事の際には別行動になるが。

 その別行動の時間が、美夜の自由時間だ。いつもはエルフのメイドさんたちに遊んでもらったり、読書の時間に充てるのだが、今日からは専属の護衛騎士が付く。


(つまりは、自由に行ける場所が増えるってことよねっ。これで堂々とお城の探検ができるわ!)


 何しろ魔王城は広くて、そして構造が複雑なのだ。普通に迷う。

 迷子になるたびに涙目で「みゃおーう!」と助けを呼んでいたら、さすがに苦情が届くようになったらしい。迷惑です、と。

 美夜が「みゃおーう!」とやるたびに、血相を変えた魔王が「無事か、勇者よ!」と飛んでくるのだ。王城に勤める人々にとっては、とても肝が冷えるやり取りらしい。ごめんね。


 美味しい朝食を平らげると、さっそく魔王に抱っこされて執務室に向かう。

「おはようございます、陛下」

 宰相であるテオドールは隙のない笑顔を浮かべて、ふたりを出迎えてくれた。

「うむ」

 軽く顎を引くだけで挨拶とする魔王は、機嫌が悪いのではなく、単に面倒なだけなのだと、さすがに美夜も分かってきた。

 魔王としての威厳的なものを示す意味もあるようだが、ちょっとどうかと思う。

 せめて、幼馴染みの宰相にはもうちょっと愛想をよくすればいいのに。


「ミヤさまもおはようございます」

「にゃにゃっ!」


 代わりに美夜が愛想よく挨拶を返しておく。魔王の肩から、片手をあげて、ふりふり。

 こうすると、玲瓏とした美貌の持ち主である宰相の口角が微かに上がるのだ。

 可愛い子猫のファンサに、ほっこりしてくれているようだ。癒し効果は抜群である。


「──では、陛下。本日分の決裁書類です。ご確認をお願いします」

 どさどさと魔王の執務机に山を築く、書類の束。

 げんなりするような量だが、魔王は「うむ」とだけつぶやいて、さっそく書類を手にしている。

 うへぇ、と顔をしかめる子猫の背を撫でるのは、魔王の左手。高速で書類を処理しつつ、片方の手で同時にアニマルセラピーを味わっている。とても器用だ。


(衣食住のお世話になっている分、私も働かないとね!)


 勇者な子猫のお仕事は、魔王を癒すこと。とっても大事なお仕事である。

 美夜は魔王の膝の上でくるりと丸くなると、喉を鳴らしながら目をつむった。



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