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二時間ほど集中して書類を片付けた後は、謁見の時間となった。
さすがにこれには同行できないので、お昼までは自由時間である。
魔王は名残り惜しそうに美夜を見送ったが、宰相と侍女長にひと睨みされて、渋々と諦めた。
(うん、私も謁見の間でアンモニャイトをする勇気はないよ……?)
何となく、大昔の映画を思い浮かべてしまった。
悪い組織のボスが偉そうにふんぞり返りつつ、膝の上の猫をモフモフしていたやつ。
うん、無理。普通に恥ずかしい。
そんなわけで、美夜は魔王に「ばいばい」と手を振って、堂々と執務室を後にした。
ご機嫌で歩く子猫の背後には二メートル近い巨体のクマの獣人と、小柄なネコ科の獣人が付き従う。そう、彼らが美夜に与えられた、専属の護衛騎士だった。
「あの、勇者サマ? どちらに行かれるんですか」
おそるおそる尋ねてきたのは、くすんだ銀髪のユキヒョウ獣人、ピノである。
「みゅうみゅっ!(厨房だよ!)」
「へ? 厨房? なんだって、そんなところに……」
おお、本当に言葉が通じている。美夜は密かに感動した。
トラ獣人だった副将軍とも会話は通じていたが、何となくピノとの方が伝わりやすい気がする。
(もしかして、イエネコとユキヒョウの方が近いから、とか?)
ともあれ、言葉が通じるのはありがたい。
ピノは「なんで、勇者が厨房に……?」と首を傾げつつも、ついてきてくれる。
寡黙なクマ獣人のダンテは大きな体格も相俟って、無言でいると威圧感がすごいけれど、護衛としてはとても頼もしい。彼が視線を向けるだけで、前から歩いてきた人々が慌てて避けてくれた。
「にょにょーんっ!(りょーうりーちょーうっ!)」
厨房に到着して、料理長を呼ぶ。
ニャゴニャゴと料理人たちを見上げて訴えるも、皆に首を傾げられてしまう。
肩を落として、そっと背後のピノを見上げた。視線で訴える。通訳をよろしく。
「あー……勇者サマは料理長を呼んでいます。えっと、イモ料理のレシピを伝えに来たそうです」
「おお、アンタ勇者さまが何を言っているのか、分かるのか!」
「助かる! すぐに料理長を呼んでくるよ」
「っす! こっちこそ助かります」
ぺこりと頭を下げる、ピノ。
若者らしく軽薄そうな印象があったが、意外と礼儀正しい。
「勇者さま、ようこそ厨房へ」
「にゃっ!」
おそらくは昼食の仕込みの最中であっただろうに、料理長が笑顔でやってきてくれた。
「イモ料理のレシピを教えてくださるとか! 楽しみですな」
にかり、と笑う料理長に美夜もニャフフと笑う。
(こっちこそ楽しみだよ! さっそく作ってもらおう)
通訳係のピノを呼びつけて、さっそくレシピを伝えていく。
ニャゴニャゴミャア、と身振り手振りで説明すると、ピノは正確に料理長に伝えてくれた。
「えーと、このメークイン? のイモを使うそうです。……なになに? 薄く切って、塩水に十分ほどさらしたら、流水で洗い流すそうです。……面倒くさくないっすか、それ?」
「うにゃにゃい(これが大事なの!)」
うへぇ、と顔をしかめているピノをきっと睨み付ける。
「にゃっ!(通訳!)」
ぺちぺちとピノの頬を叩くと、まるで子供を見るような目付きで苦笑されてしまった。
「はいはい。分かりましたよ、勇者サマ」
水気を切って水分を拭きとると、あとは油で揚げるだけだ。
フレーバーに迷うけれど、まずはシンプルに塩味で。無事にレシピを料理長に伝えることができて、子猫は満足げに瞳を細める。
そう、今回作ってもらうのは、美夜の好物のオヤツだった。
(ジャガイモ料理ときたら、やはりここはポテトチップスでしょう!)
甘いお菓子は大好物だったが、頻繁に続くと、塩辛いものが食べたくなってくるというもの。
「ほうほう。油はオークの背脂ラードでもよろしいので?」
熱心にメモを取りながら聞いてくる、料理長。オークの背脂ラード。なにそれ美味しそう。
だけど、今回作るのはポテトチップス。無難に植物油をおすすめしておいた。
「ふむ。ちょうど届けられたばかりのオイルがあります。これを使いましょう」
こっそり【鑑定】してみると、なんとオリーブオイルだった。
この世界にもあるんだ。
ざっと説明しただけなのに、そこはさすがの料理長。
鮮やかな手さばきで、ポテトチップスを作ってくれた。すばらしい。
揚げたてのポテチに削った岩塩をぱらぱらとふりかけて、さっそく味見だ。
ウキウキしながら、テーブルに上げてもらい、大きく口を開ける。
心得たエルフの美人メイドさんが、とろけるような笑顔でポテチを食べさせてくれた。
「うみゃい!」
パリパリと音を立てながら噛み締めて、瞳を細める。
うん、美味しい。揚げたてのポテチ、最高!
「では、私も失礼して……むむ! シンプルな調理法なのに……これほど美味だとは!」
「料理長、俺にも食わせてください!」
「ぜひ、この私にも味見を!」
「ミヤさま、私たちにもお慈悲をっ!」
わらわらと料理人や、なぜかメイドさんたちも寄ってきた。
皆、期待に目を輝かせている。うん、分かるよ。揚げ物の匂いって暴力的だよね。
「うみゃみゃ(どうぞ)」
美味しいものは皆で分け合って食べれば、もっと美味しい。
ピノが通訳してくれると、わっと歓声が上がり、次々とポテトチップスに手が伸びた。
あっという間に皿は空になってしまい、食べ損ねた料理人やメイドさんたちが涙目になる。
「ううう……食べられなかった……っ」
「りょうりちょおおおおお」
「ああ、もう! うるさいぞ、お前たち! 作っているところを横で見ていただろう。レシピは覚えているな? 見習いのお前、皆の分を作れ」
「は、はい! 喜んで!」
皿洗いを担当していた見習い料理人が笑顔でメークインを手にする。
下拵えに慣れているようで、するすると見事な包丁さばきでジャガイモの皮を剥いて、スライスしていく。
(この世界、スライサーはないのかな。あったら便利なのに)
あとで侍女長に相談してみよう。通訳がいるって、本当にすばらしい。
「料理長、できましたっ!」
「おお、でかしたぞ。──うん、美味いな。塩加減もちょうどいい」
「おいしいです、ミヤさま!」
厨房に笑顔が溢れる。ピノがごくり、と喉を鳴らす。
「……そんなに美味いのか? ただのイモが」
どうやらピノはあまりジャガイモが好きではないようで、懐疑的な眼差しでポテトチップスを眺めている。食材は微妙だが、油で揚げたイモの香りは魅力的なため、葛藤しているようだ。
「………………」
一方、壁際で腕組みして仁王立ちしているクマの獣人のダンテの腹の虫が盛大に鳴いた。
「……うにゃにゃう?(食べていいよ?)」
護衛だから、遠慮しているのだろう。
なので、美夜がそうピノ経由で伝えてあげると、ダンテは戸惑いながらも頷いてくれた。
美味しいものは皆で楽しく食べるべきなのだ。
まずはユキヒョウ獣人のピノがおそるおそる指先でつまんだポテトチップスを口にする。
パリパリと良い音を立てながら噛み締めて、無言で飲み込んだ。
「…………なんだこれ、うめぇ」
ダンテは慎重なピノと違い、がっと十枚ほどを一気につかむと、豪快にポテトチップスを食べている。一口、咀嚼しただけで、目を見開いて、すごい勢いでもりもりと食べ始めた。
ダンテの勢いに驚いたピノが慌てて、残りのポテトチップスを確保している。
「ちょっ、俺の分も食わないで!」
「……ッ!」
「イモ料理がこんなに美味いなんて、驚いた」
満足げにため息を吐くピノと、こくこくと頷くダンテ。
どうやら、二人ともポテトチップスを気に入ってくれたようだ。
嬉しくなって、美夜はニヤニヤと笑う。