■ 第十七章 護衛騎士たち
ユキヒョウ族のピノは一族の中でも小柄で、力もあまり強くない。
その代わりに、身軽で気配に敏いため、斥候兵として王国に雇われている。
魔王が率いるアウローラ王国と敵対するトワイライト帝国の兵はほとんどが人族だ。
中には魔法が得意な厄介な個体もいるが、基本的には我が国が誇る獣人部隊によって完膚なきまでに叩きのめされていた。
肉体的な能力でいけば、人が獣人に敵うわけがないのだ。
よほどのギフト持ちや、魔法剣の持ち主でない限り、副将軍ティグルが率いる兵たちだけで圧倒することができる。
だが、そんな帝国の最終兵器とされる、召喚勇者だけは別だ。
ドラゴニュートである竜騎士の将軍でさえ、勇者と直接対峙することは避けるという。
あれとまともに戦えるのは、魔王陛下ただ一人だと言われていた。
召喚勇者は保有魔力量が膨大な魔法使いか、とびぬけた戦闘技術を有する戦士タイプに分かれることが多いと聞いたことがある。
アーダルベルトは魔法も剣も得意な、歴代最強の魔王だ。
その魔王陛下が敵国トワイライト帝国から、召喚されたばかりの勇者を奪ってきたと知り、ピノたち王国民は大いに快哉を叫んだものである。
召喚された勇者も魔王陛下を慕っているらしく、王国で保護されることがきまったらしい。
「これでアウローラ王国も安泰だなー」
戦う能力に自信のないユキヒョウ族はほっと胸を撫で下ろして、喜んでいたのだが──
(まさか、俺が勇者の護衛騎士に選ばれるなんて……!)
雲の上の存在だった、ティグル副将軍に呼ばれて、唐突に決まった移動先。
呆然としている内に連れていかれたのは、魔王城。
魔王陛下の執務室で直々に「勇者をよろしく頼む」などと命じられたら、断れるはずもなく、ユキヒョウ族のピノは栄えある役職を与えられたのだった。
「俺、勇者サマの護衛ができるほど、強くないんですけどっ⁉」
思わず、そう嘆いてしまったのだが、涼しい表情の宰相に宥められた。
「大丈夫です。そちらはダンテがおります」
「ダンテ……」
「クマ族のダンテだ」
背後から名乗りを上げられて、慌てて振り返ると、見上げるほどの巨体の男が立っていた。
「ひゃっ⁉ いつの間にいたんだっ?」
まったく気配を感じなかった。
ピノは自慢の尻尾をぶわりと膨らませて、垂直に飛び上がってしまう。
いくら気もそぞろだったとはいえ、斥候が得意な自分に気配を悟らせないとは。
「すまない。驚かせたか」
大男はぺこりと頭を下げた。素直だ。
獣人族は気性が荒いものが多いが、このダンテという獣人は落ち着いた性格をしているようだ。
漆黒の髪と漆黒の瞳。髪の間から見える獣の耳も同じ色をしている。黒クマの獣人か。
筋肉がつきにくい己の身体と違い、服の上からでも鍛えられた鋼のような肉体であるのが、よく分かる。この男が護衛担当なら、ひと安心だとホッとする。
情けないことは自分でも分かっているが、ユキヒョウ族は狩りは得意でも、戦い自体は苦手なのだ。
「悪い。俺もぼーっとしていた。えっと、俺はピノ。こっちこそよろしく」
小声で挨拶を交わして、魔王陛下と宰相の前に並んで立つ。
魔王アーダルベルトは二人を眺めて、うっそりと瞳を細めた。
「勇者は王である私の庇護下にある。基本的には王城内から出すつもりはないが、私の目の届かない場所での護衛をダンテに頼みたい」
「は、お任せください」
一礼するダンテをアーダルベルトが満足そうに見やる。
「ピノの役職も護衛騎士ではあるが、本来の仕事は別にある」
「本来の仕事……」
「うむ。此度に召喚された勇者だが、その、とても幼くて、だな……。普段は子猫の姿なのだ」
「こねこ……とは?」
初めて聞く種族名に、ピノは戸惑った。
獣人の子によっては、産まれてすぐの頃は【獣化】のスキルを使いこなせない者がいるとは聞いたことがある。
記憶にはないが、どうやら自分もそうだったらしい。
小さなユキヒョウ姿で地面にころころ転がって遊んでいたと親が懐かしそうに言っていた。
「勇者の種族だ。猫、という異世界の種族らしい。その『猫』という種族の祖先が、トラやユキヒョウたちと近しいと賢者から聞いたのだ」
「はぁ……。そうなのですね」
副将軍の種族、トラ族と自分たちユキヒョウ族が祖を同じくすることもピノは聞いたことがあったが、懐疑的だった。
(だって、トラとユキヒョウだぞ? 違いすぎるだろ!)
獣人姿の際でも、ひとまわりは体格が違う。
【獣化】したら、体重も体長も三倍ほど差があるのだ。
丸っこい耳だけは似ているかもしれないが、種族名や毛の柄からしても、トラよりもヒョウ寄りだ。
「獣姿の勇者の言葉を解することができるのは、ネコ科の種族のみ。副将軍ティグルから、お前は優秀な人材だと聞いている。ぜひ、勇者の通訳係として働いてほしい」
「え、俺が優秀……っ? ティグル副将軍がそんな風に……」
憧れのティグルからの言葉は嬉しい。
が、求められているのは、通訳としてか。
少しだけ複雑な気分になったが、それでも大抜擢であることに変わりはない。
「護衛ではなく、通訳係ということなら……その、頑張ります!」
戦闘能力に自信はなかったが、要は子守りということなのだろう。
(それだったら、自分でもできそうだよな? ティグル副将軍に認めてもらえるなんて光栄だし、受けるべきだよな!)
ピノがそう宣言すると、宰相のテオドールがすかさず契約書を差し出してきた。
「では、こちらにサインを」
「あ、はい。……それにしても、なんで俺だったんですかね。ティグルさまからの推薦とのことですが、それなら同じ一族のトラから選ぶのが普通なのでは?」
「ああ……それはですね、勇者サマが怖がられていたので、仕方なく」
意外な言葉に、ピノは眉を寄せた。
勇者が怖がる? だって、勇者だろう? 意味が分からない。
召喚勇者とまともに戦うことができるのは、この世界では魔王陛下ただ一人だというのに?
なぜか、当の魔王陛下も玲瓏とした美貌に憂いをのせ、ため息交じりに頷いている。
「うむ。勇者はまだ小さくて幼い。そのため、トラに変化したティグルを恐れたのだ」
「しばらくすれば、副将軍の姿にも慣れたようですけど、やはり大きくて強い獣は恐ろしいようでして。それなら、ユキヒョウが親しみやすいのでは、ということで貴方が選ばれたのですよ」
「そういうことなら、納得です」
親しみやすいというか、つまりは弱そうだから、なのだろう。
ちょっとトホホと落ち込みそうになるが、そんな外見だからこそ、大役を任されているのだ。
「頑張ります、俺」
「期待しておりますよ。ちゃんと、手当も弾みますので」
「本当ですか? 助かりますっ!」
下っ端の斥候兵の給料はそれほど高くないため、それは素直に嬉しい。
ざっと契約書に目を通したが、守秘義務とか諸々も込みで納得の内容だったので、問題はない。
サインをして、契約書を宰相に渡した。
「ありがとうございます。では、こちらはダンテに」
宰相テオドールはピノの契約書に視線を滑らせて、満足そうに頷くと、隣に立つクマ獣人のダンテにも同じ書類を差し出した。
ダンテは無言で契約書を受け取ると、目を通すことなく、さっさとサインする。
ピノはぎょっと目を見開いた。
「え、いいのか……? 内容をちゃんと確認してから、サインした方が良くないか?」
「いい。面倒だ。お前が読んでくれていたし、問題はない」
問題はあるだろ。
とは思ったが、魔王陛下の前なのだ。これ以上は口を挟みにくい。
それはそれとして、ピノには気になることがある。
回収した契約書を金庫にしまいこんでいる宰相にそっと声を掛けた。
「あの、クマも相当怖いと思うんですけど、それはいいんですか? 勇者サマが怯えません?」
「勇者さまに確認は取ってありますので、大丈夫だと思います」
宰相が涼しい表情で言う。
ちなみに、後で知ったのだが、この確認方法はクマのぬいぐるみを見せて、「好きですか? 怖いと思います?」と尋ねただけらしい。
いや、ダメだろそれ。
ともあれ、ユキヒョウ族のピノとクマ族のダンテはこうして勇者の護衛役を任じられたのだった。