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第53話 護衛騎士たち 2

◆◇◆


 異世界から召喚されてきた勇者は、魔王陛下の説明通りに、小さくて幼かった。


 真っ白のふわふわの毛並みをした勇者ミヤ。

 空色の大きな瞳を見開くようにして、護衛騎士としてやってきた俺たちを見上げていた。

 さすがに執務室ではなく、応接間をひとつ提供してくれたので、そこで勇者ミヤと初対面したのだ。勇者を抱き上げて部屋に連れて来てくれたのは、侍女長だ。


「では、後は任せましたよ?」


 にこりと微笑むと、侍女長シャローンは退室した。

 後に残されたピノは困惑する。

 どうしよう? 

 ちらりと横目でダンテを見やると、心得た、といった風に頷かれた。


「ダンテだ。よろしく頼む」


 生真面目な表情で小さな勇者に挨拶をするダンテ。

 子猫は真上を見上げて、ぽかんとしている。


「俺はピノ。ユキヒョウ族だ」


 続けて、ピノも自己紹介をする。ふるり、と揺れる尻尾を子猫の目が追い掛けた。

 うん、子供だ。このまま彼が自慢の尻尾をふりふりすると、きっとじゃれついてくるに違いない。

 だが、勇者ミヤはどうにか、尻尾の誘惑を断ち切ると、「にゃっ!」と片方の前脚を上げた。

 言葉はたしかに通じているらしい。

 ピノの耳には「よろしくねっ!」という意思が伝わってきたので。


 気さくな勇者の姿に、ダンテは微笑ましげに瞳を細めている。

 異世界から召喚された勇者、という存在に密かに緊張していたピノも、彼女の「にゃっ!」の挨拶にほっと胸を撫で下ろしていた。

 そして、同時にそのピンクの肉球に胸をキュンとさせていた。

 あ、これはかわいい──と、ピノは納得する。

 魔王陛下のみならず、宰相テオドールにティグル副将軍、侍女長のシャローンたちがこぞって過保護な意味が、この瞬間に理解できたのだ。


(かわいいけど、これは頼りない……。そりゃあ、護衛というか、お目付け役が必要だわ)


 無邪気な子猫はピノの小さな弟妹たちにそっくりだった。

 怖がりなくせに、好奇心旺盛。

 危険な場所にも平気で突っ込んでいっては、痛い目にあって泣き叫ぶのだ。


(あー……これはダメだ。目が離せないやつ。でも、弟妹たちみたいに紐で繋いでおくわけにもいかないし、ずっと見張っていないとなぁ……)


 てのひらに乗るくらい小さくて頼りない子猫なのだ。

 王城内にも危険はいっぱいだろう。


(大型肉食の獣人あたりが気付かずに踏み付けそうだよな。ちょっと爪先が当たっただけでも、大怪我しそうだ。めっちゃこえぇ!)


 そんなことになったら、きっと魔王陛下の逆鱗に触れる。


(し、死ぬ気で守らないと! ダンテにも後で注意をしておこう!)


 やきもきするピノに気付いた風もなく、子猫は大きな瞳をまんまるにして、護衛騎士である二人を交互に眺めている。

 こてん、と首を傾げて訴えてきた。


「うにゃにゃん?」

「え。マジっすか? やめておいた方がいいですよ。俺はともかく、ダンテは」

「うにゃあ」

「いやいや、大丈夫って言いますけど、俺ちゃんと聞いていますからね? ティグル副将軍の【獣化】した姿を見て、飛び上がって驚いていたって」

「みゅ……みゃううううっ」

「泣き落としもダメっす! 勇者サマを怖がらせたら、俺が魔王陛下に叱られるんですからね!」


 にゃごにゃごと文句を言う子猫相手に言い返していると、背後に立つダンテが不思議そうに割って入ってきた。


「──勇者さまは何と言っているのだ?」

「ああ、俺たちに【獣化】して欲しいってさ。どんな姿なのか、見てみたいと」

 ため息まじりに説明すると、ダンテは首を傾げた。


「俺は別にいいぞ? 何か問題があるのか」

「はー……。執務室で説明されただろ。ティグル副将軍の獣姿を見て、肝を冷やしたって話。俺はともかく、ダンテは黒クマだろ? 絶対にビビるに決まっている」

「そうか? クマはトラよりは恐ろしくないと思うが」

「いや、怖いだろ。クマだぞ? お前の腕のひと振りで、俺なら即死するね!」


 ユキヒョウの自分だってそうなりそうなのだ。

 子猫なんて、どうなることやら。

 きょとんとするダンテを、ピノは信じられないと見やる。


(こいつ……マジか? 自分は怖がられると思っていないとは)


 そういえば、帝国領の一部ではクマの人形が子供たちに人気があると聞いたことがある。

 本物とは似ても似つかない、愛らしい姿で作られているらしいが、ピノはその話を聞いた時に「ありえない!」と思った。

 戦場で活躍するクマ獣人たちの姿を遠くから見たことがあるので、その雄姿を知っているからこその感想だ。

 クマは強い。そして、恐ろしい。

 頭に血が上ったクマは仲間でさえ遠巻きにするほどに狂暴なのだ。

 ぶち切れたクマ獣人が【獣化】して、帝国兵をボロ布のように倒していく様を目にしたピノは、この時ほど仲間で良かったと思ったことはない。


(なのに、こいつ自分がぬいぐるみとして子供に愛される姿をしていると思っているのか?)


 なんかちょっと悔しい。

 可愛らしさは、ユキヒョウである自分の方が上のはずなのに。


「にゃあああん?」


 複雑な心境のピノに向かい、子猫がさらにおねだりしてくる。

「だめ?」だなんて、上目遣いで聞いてくるのだ。ピュアピュアなキトンブルーの目で。


「あああ、もうっ! 知らないですからねっ? 後で怖かったって、泣きつかないでくださいよ?」

「にゃんっ!」


 言質を取ったことで、ピノは渋々と【獣化】スキルを使うことにした。

 収納スキルも収納用の魔道具も持っていないため、カーテンの裏側で服を脱いで姿を変える。

 獣人の中には、【獣化】スキルを持っていない者もいるが、ピノもダンテもスキル持ちだ。

 ユキヒョウに姿を変えたピノがのそりと子猫のもとへ歩み寄る。


「みゃあああ(ほええええ)」


 なんとも、とぼけた表情でピノを見上げている。

 あらためて見下ろすと、やはり小さい。

 ふわもこの綿毛のような子猫は甘いミルクのような匂いがした。


(獅子やトラ、ヒョウ族。同じ祖を持つと言われている獣人族の中でもユキヒョウは小柄でバカにされていたけど、それよりも更に小さいんだな……)


 ティグル副将軍が変化したトラは、ユキヒョウの三倍ほどの体調と重量を誇っている。

 この小ささでは、恐れても仕方ないかと納得だ。

 子猫はトラを目にして耐性がついたのだろう。

 ユキヒョウであるピノを恐れることなく、近寄ってきて、すんすんと匂いを嗅いでいる。

 なんだか、くすぐったい。

 お座りしたユキヒョウの周囲をぐるりと一周して、自慢の尻尾を羨ましそうに見つめてくる。


「にゃああい?(えっ、ながくない?)」


 そうだろう、そうだろう。

 ピノはふすんと鼻を鳴らして胸を張る。

 ユキヒョウの尻尾は長いのだ。特にピノの尻尾は太く長く、体長とほぼ変わらない。

 故郷が寒冷地なため、尻尾を身体に巻き付けて寒さをしのぐのだ。

 狩りの際にバランスを保つのにも大いに役立っている。


「ふにゃあああ(すごぉい)」

 そう説明してやると、尊敬の眼差しを向けてきた。悪い気はしない。

「にゃむにゃむ(もふもふ)」

 空色の瞳を好奇心で輝かせながら、子猫が尻尾にしがみついてきた。

 小さな爪を立ててくるが、くすぐったいだけだ。

 存分に己の尻尾を差し出してやり、満足したところで、ダンテがカーテンの向こうからのっそりと現れた。


「ふみゃあ!(クマだ!)」


 目にした子猫は一目散でユキヒョウの腹の下に潜り込んだ。

 尻尾がブラシのように膨らんでいる。


「……にゃ」


 思わず、半眼で「おい」と突っ込んでしまった。

 怖がらない、と胸を張っていたのは誰なのか。


「にゃふふ(えへへ)」


 咄嗟に身を隠してしまっただけで、理性は残っていたらしい。

 照れくさそうに笑いながら、子猫がピノの腹の下から這い出てきた。


「ガウ」


 見事な毛並みの黒クマ──ダンテが小声で鳴いて、その場にぺたんと座り込む。

 壁に寄りかかるようにして、両手足を無防備に投げ出した姿だ。


(酔っぱらったオッサンかよ)


 そうピノは呆れたが、このだらしない姿勢が子猫の警戒心を緩める役に立ったらしい。

 そろり、そろりと近寄ってきて、さきほどピノにしたのと同じように、すんすんとクマの匂いを嗅ぐと、子猫は前脚でそっと足のあたりを触っている。

 クマの姿になったダンテはじっと座ったまま動かない。

 獣人姿の時には精悍な顔立ちをしていたが、【獣化】した彼は、意外にもつぶらな瞳をしていた。黒曜石のような、綺麗な色だ。

 ユキヒョウである自分ほどではないが、毛並みも美しい。


「うにゃにゃにゃにゃい(ぬいぐるみそっくり)」


 子猫はぱっと顔を輝かせて、初見の警戒心はどこへいったのか、と追及したくなるほどの勢いでクマに突進していき、その巨体によじ登って遊んでいる。


(いや、警戒心は大事だろ! 油断させて、襲ってきたらどうするんだよ)


 頭を抱えるユキヒョウと、おっさん座りの黒クマ。

 その巨体を登頂して、獅子のように吠えて遊んでいる子猫を、ワゴンを押して戻ってきた侍女長が目にして「もふもふ天国ですわね!」と胸をときめかせることになることを、ピノは知らない。


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