年の瀬も近い日曜日、天気は晴れ。
私が東京から自宅に帰ってきたのは、もう夜の9時過ぎでした。
玄関の扉を開ける手が少し重たく感じるのは、筋肉痛の前兆か、それとも単なる疲労か。
部屋の電気を点けた瞬間、ようやく日常に帰ってきたという実感が湧いてきました。
すでに夕食は近くのカレー屋さんで済ませたので、風呂に入って寝るだけです。
早朝の6時半発の東京行きの新幹線乗り、帰りは4時半過ぎでの日帰りとなったので流石に体はクタクタ、明日も仕事という日常が待っています――。
「二回戦で負けてしまったけど、久しぶりにしてはよくやったか」
――私が世界大会に参加するのは数十年ぶり。
世界大会などと大袈裟に表現しておりますが、団体組織に所属し、段位さえ取得して申し込めば、誰でも参加できる大会です。
何の世界大会かと申しますと『スポーツチャンバラ』という競技、所謂近代に誕生したニュースポーツの大会でございます。
聞き慣れない人には初めてかもしれませんが、これは
競技的には「エアーソフト剣」と呼ばれる空気を入れた筒状のものを用いて試合を行います。獲物を使う競技ですので、一見すると剣道やフェンシングの亜種に見えますが徹底的に違うのは「全身のどこを打ってもよい」という極めてシンプルなルールなところ。
従いまして、頭を打とうが、小手を打とうが、足を打とうがどこを打っても一本、勝負ありになってしまいます。勝負の結果は一瞬、ある意味過酷な競技とも言えましょう。
防具に関しては『スポチャン面』という頭部を保護する防護面のみ、限度はありますが服装は自由で老若男女問わず、誰もが楽しめる競技です。
実際、今日の世界大会の小太刀での二回戦もまさに一瞬の攻防でした。
相手の動きを読もうとタイミングを読んでいる刹那、相手の横面打ちを顔面に打たれ、防具越しに響く衝撃と音。
大会審判の「よし!」声が響くと同時に、全ての時間が止まったような気がしました。
さて、私が競技を初めたのは小学校5年生くらいのときです。
その時は、まだまだマイナー中マイナー競技。
誰かにスポーツチャンバラの名前を口にすると「何それ?」という顔をされることが多くなりましたが、協会や諸先輩方が普及活動に取り組んで頂いた成果もあり、少しずつですが知名度も上がってまいりました。
「……明日は仕事だ」
年齢的にはもう三十路を遥かに過ぎてますので、世界大会が開催された東京までの往復と体を動かしたことによる
――と下らないライムを刻みながら、私は布団で横になります。
この競技を初めて20年以上になり、何度か競技から離れ、数えきれないほど様々なことが重なり「辞めてやろう!」と思ったことがありましたが何だかんだで続けてしまうことになりました。
選手としては二流、いや三流な私ですが、こうして一つのことを続けているのも何かの縁でしょう。
これは夫婦関係にも似ているのかもしれません。
日常という生活を共にすることで、何度も
やはり、私は『スポーツチャンバラ』という競技を『愛している』からそうなるのでしょう。
大層に『戯空流剣談』(自分としては江戸時代後期に著された武芸書『撃剣叢談』を意識したが)なんて名前をつけておりますが、これはただの思い出語りです。
多分に曖昧な記憶による脚色が入るでしょうが、少しでも皆様にスポーツチャンバラという競技を知ってもらうのと、一度これまでの自分の競技人生の振り返りのために書かせて頂きました。
この自由と創造性溢れるスポチャンに乾杯を――。