千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
かの有名な剣豪、宮本武蔵の言葉です。その言葉の意味は千日の稽古で技を習得して、万日の稽古でその習得した技を練り上げるという意味があるそうです。
「面を打て!」
「面ッ!」
「小手を打て!」
「小手ッ!」
先生の号令に合わせて、私達生徒は基本の素振りを繰り返します。
道場に入門して、一週間、数カ月と経ちました。私も他の生徒と一緒になって小太刀を振っていました。その中には私と同じく入門した父の姿もあったのですが。
「足を打て!」
「足ッ!」
足とは、スポーツチャンバラ特有の相手の足を狙った攻撃です。体を低く屈めた動作による攻撃は、試合の決まり手となることが多い重要な技です。
他にもスポーツチャンバラには独特の技がありますので紹介しておきましょう。
扇を広げるように相手の小手や胴を狙う「
手首のスナップを効かせる瞬間に、小指、薬指、中指を握ることで、剣先に鋭い加速を加える「
手首を柔らかく使い、水車のように剣を回転させて打つ「
同じく手首を柔らかく使い、剣を横回転させて打つ「
全般的に手首の柔軟性が必要ですので、木刀や竹刀の感覚で降ると指導者から固さを指摘され端正されます。ですので、剣道や居合の経験者ほど違和感を感じてしまうことが多いと思います。
基本的にスポーツチャンバラで使用する獲物は柔らかい素材で出来ているので、このような技を繰り出せるのですが詳しく深掘りしていくと、前回のように話が大いに脱線していますのでここまでとしておきましょう。
さて、これらの打ちは全て基礎の基礎。
10回や20回では足りません。実戦で繰り出すには数千回、数万回の振りが必要です。試合というものは頭で考えてあれこれやる部分が大きいのですが、最終的には無意識の攻撃動作が決定打となります。
Don't Think. Feel!(考えるな、感じろ!)
ブルース・リーの有名な言葉ですが実際にそうだと思います。
勝ったときの試合の殆どは自分の計算通りにはいかず、反射的に繰り出した技が決め手になることが多かったからです。
計算通りにいくときは練習の時に軽くやるときや、実力差が離れた相手と試合するときくらいです。
それもそのはず、相手も考え努力して試合場に立っているので自分の都合のようにいかないのが当たり前なのです。
技を反射的に繰り出し、実践レベルに引き上げるには繰り返して行う反復練習しかありません。
ある文献では、動作や行為を学習して身につけるには数百万回の繰り返しの訓練が必要だと言われています。要するに運動の学習には、膨大な練習回数が必要だと述べられています。
つまり、道場内だけの稽古で数十回振ろうが無意識下での学習レベルにはほど遠いことを示しているわけですが、そんな細かいことを考えていたら練習にはなりません。まずは与えられた練習をこなすしか、私にはありませんでした。
「しんどいな、もうやめたいな」
と思うことは何度かありました。
元々、私は運動が得意な方とは言えない人間でしたので負荷量のある稽古はきつく感じました。
「それではミット打ちに入りましょうか」
休憩を終えると先生は私達を呼び寄せます。
少しくらいの運動でへばっているようでは稽古になりません。幸いとして、私の先生は体育の先生とは違い、多少の遊びは許してもらいえましたし、水分補給も許してくれた先生でしたので練習を促されても嫌悪感は全く感じませんでした。
「それでは一旦休憩です。しっかりとお茶とかを飲むように」
現代では想像できないでしょうが、この時代の運動指導員は水を飲めばバテると誤った認識がまかり通っていたり、厳しくあればあるほど教育によいと思っている人が多く、体育の授業では怒号が飛び、生意気な生徒には容赦なく体罰を加える教師が残っていたのです。それに比べると、私を教えて下さった先生は当時としては先進的な方でした。
芸道には「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」という格言がありますが、私にとってこの指導方針はガッチリはまり、今後の長い競技人生を歩むことになるきっかけを与えてくれました。
今でも強く思うのですが、この道場と先生との出会いは、私のスポーツチャンバラ人生における大きな分岐点だったと思います。
もし、これが厳しい先生だったり、大会など勝敗に拘るような先生だったら長く続いていた自信がありません。
何事も出会いや運、タイミングというものは重要――。人との出会いや環境の影響が私達の選択や行動にどれだけ大きな影響を与えるのか改めて実感します。そして、その絶妙なタイミングというものはどこでやってくるかはわかりません。そのタイミング、いやチャンスをしっかりとモノに出来るように私達は日々の鍛練、稽古を積まなければなりません。
「これから周り稽古をします。二列になって二人一組になって下さい」
周り稽古が始まりました。
対人戦を通して、身につけた技を出せるように、自分と相手との間合いを知り、打つタイミングを掴むという実践的な稽古です。
打つのは一瞬、タイミングも一瞬、勝つのも一瞬、負けるのも一瞬。瞬間、瞬間の時間を私達は連続することで生きています。
刹那の攻防、相手に勝つには一度しかないチャンスをものにするために私達は稽古を続けるのでした。