当時、スポーツチャンバラの道場には個性的な仲間と指導員がいました。
まず、前々回に登場した先生のご子息です。ご子息は道場内の悪友から「カラアゲくん」という不名誉な二つ名で呼ばれていました。その理由として、ある大会の日に会場近くのコンビニでホットスナック、唐揚げを購入して食していたからです。
実力的には相応の力があり、大会でも入賞していた記憶があります。当時は中学生だったと思いますが、同じ学年の中でも身長は高めで素早い身のこなしから繰り出される剣は強烈。
性格もあっさりしたところがあり、自分が道場長の息子だからとか、年長だからといって偉ぶるところが少しもありませんでした。
そして、スポーツチャンバラには先生以外に技術する指導員がいます。以前にも書きましたが、この方が二番目の道場長となるわけですがその方にはご子息が二人、兄弟がいました。
お兄さんは私より二つ、三つほど上の方で、弟さんは私より一つしたの方でした。
同じ兄弟ですが使う剣は対照的、お兄さんは剛勇に力強く剣を振り、ソフト剣といえどかなり痛い剣筋でした。一方の弟さんはしなやかに体を使い遠い間合いから一気に飛び込む鋭い剣筋です。
個性もバラバラ、使う剣もバラバラとこの当時は一定の決まったスタイルで戦う人がいなくて様々な個性を発揮していました。私の記憶の中で最も印象にあるのは「ダンスをしながら戦う」というものです。
これを聞いた方は不思議な顔をされるのですが、本当にダンスしながら戦うのです。ダンスといっても、ヒップホップのような仕草やタイミングの取り方で相手を追い詰め一本を取るのですがこれがなかなかに厄介。
油断したり、慌てると負けてしまうし、これまでにないようなスタイルなので翻弄されてしまうのです。私自身はこの方と手合わせしたことはないのですが、大会でも上位に食い込んでいたと記憶しております。
このように多種多様、個性と自由が溢れたスポーツチャンバラですが、指導員の方もなかなかに個性的です。前記した兄弟の父親は指導員であると記しましたが、いつもアドバイスする言葉は一つ。
「飛び込め!」
これだけです。剣の振り方や、防御の仕方、間合いの取り方といった基本は教えてくれますが、どういうタイミングでどういう攻撃を、足の使い方やどこを狙ったらよいかなどというものは一切指導されませんでした。
我々の時代――と言ったら年寄りのように語ってしまいますが、当時のスポーツチャンバラの各道場はシステム的に生徒を育成するようなものはなく、各道場長や指導員の方針やスタイルがそのまま道場の個性として現れる時代でした。
従いまして、個々の創意工夫が求められる環境でありました。自分で考えて、自分で工夫するしかありません。あれをしなさい、これをしなさいと指導されないために、試合のときのスタイルは自分の力で構築するしかなかったのです。
教わることが当たり前となり、インターネットの普及とスマホの登場により情報が簡単に手に入ってしまう現代の価値観では、一見すると不親切な指導法に見えるかもしれませんが、逆にそれがよかったのかもしれません。
指導員任せで技術だけ向上して、試合に勝つためだけのコツを得たとしても、それはそれで面白くなく、ある人生の局面に置いて頼るものがなく
そのときに考えるクセ、創意工夫するクセを身につけておかないと何も出来ない人間になってしまうような気がします。
「スポーツチャンバラは一人一流、自分で強くなるしかないんだな」
これはいつの頃か、稽古中に思ったこと。
スポーツチャンバラのスタイルは自分で作り上げるもの、それは人生と同じです。人生は自分でよりよくするしかないのです。
壁にぶつかって苦しんだとしても、自ら考えて行動し、試行錯誤して解決しなければならない。
そんな大事なことをスポーツチャンバラを通して学んだのです。誰かに下駄を履かせてもらい人生が上手くいったとしても、どこかの場面で失敗してしまうときがある。与えられるだけ、教えられるだけの受け身の人間だったら絶対に立ち直れない――そんな人間だけはなってはいけない。
創意工夫の大切さ、自分自身で道を切り開く力をスポーツチャンバラを通じて養ったのです。この経験は人生の様々な局面においても生きる力となり、今もなお大切な思い出として心に残っています。
そう、私は「生きる力」を個性豊かな先生や仲間達の元で育むことが出来たのです――。