「以上をもって大会を終了とする!」
協会会長の終了のアナウンスを以て、私が初めて参加したスポーツチャンバラの大会は幕を下ろしました。ちなみに小太刀以外に長剣にも出場したのですが、記憶では一回戦か二回戦負けだったと思います。
何にせよ、大会は終了。
私は父親と一緒に帰り支度をしているのですが『賞状』と『緑色のバッジ』を手にしています。
二つに共通するのは『敢闘賞』の三文字。私自身も驚いたのですが、大会で各入賞者に賞状とメダルの授与が終わってから、大会運営が選別して敢闘賞を選出していたようでそこに私が選ばれてしまったのです。
「初めての大会でベストエイトだからな」
私を推薦して下さったのは道場の指導員先生。この大会では審判を務めておられ、協会会長、理事長に強く推薦して下さったようでした。
他にも何名か敢闘賞の選手が各部門から選ばれたのですが殆ど子供。その中に私は混じって、協会会長より敢闘賞の賞状とバッジを頂いたのでした。
「敢闘賞、おめでとう」
恰幅のいい体格の協会会長が、僅かながら口元に笑みを浮かべていました。
当時の協会会長のご年齢は、五十代後半か還暦を少し越えられ、元々は剣道の師範で他棒術なども嗜まれおられている威厳のある方でした。また、古いタイプの武道家で『スポーツチャンバラの実践性』を追求されていたようで、スポーツチャンバラには『かばい手』という独自のルールがあり、それに難色を示されていたことをよく覚えています。
かばい手とは、得物を持たない手で攻撃を受けた場合、つまり利き手でない方の腕で受けた場合は一本を取られず、手を後ろ背中側につけながら試合再開となる。シチュエーションとしては、眼球や脳など絶対に防御しなければならない箇所を片手で防ぎ、欠損もしくはケガをしたことを想定してこのような形をとります。
ただし、許されるのは一回だけ、再び有効打を打たれれば一本となります。一見すると「斬られたら致命傷になって戦うどころじゃないだろう」と摩訶不思議に感じられるかもしれませんが、スポーツチャンバラという競技が護身から生まれたので、このようなルールを考案されたと思います。私も当時は「おかしいルールだな」と思っていたのですが、咄嗟に顔面頭部を刃物、棍棒類の武器から守るのも一つの技術であると思っています。最低限、致命傷を負わないための技も必要ですからね。
しかし、協会会長は「試合に勝つための技術に使われている」と考えていたようで、故意に何も持たない手を盾のように使う選手が続出していることに懸念を示しておりました。そもそも、かばい手という技術は故意ではなく咄嗟に出る反応の技術。打突競技において安易に使うことは違うのではないかと考えておられたようです。
それは協会会長だけでなく、剣道や柔道、空手、合気道、居合果てはサンボなど――他武道の経験者の先生が集っていましたので、スポーツとしての要素が薄く、協会会長の考えに賛同する先生が多くおられました。そのため、大会では『かばい手の禁止』というローカルルールを作るほどに当時の私が所属していた協会組織は独自路線を走っていました。
後々にそれが本部とトラブルを起こしてしまうのですが、それはそれとして当時はスポーツ的な雰囲気は薄く、威厳あるいは重厚、緊張感が漂う雰囲気がありましたので、当然としてその空気を間近に感じながら私は敢闘賞の賞状とバッジを受け取ったのでした――。
「敢闘賞を取れてよかったね」
私にそう言ってくれた父、入賞こそ出来なかったものの何らかの形を手に入れ、誰かに褒められると嬉しいものです。
自宅に帰ってからも、大会で手にした敢闘賞の賞状とバッジを眺めながら私は得意げになっていました。うぬぼれではありませんが、以前に自分のことをご紹介したように私は運動神経はよくなく、勉学の面の方もお世辞にも良いともいえません。
ここで人生初めての『成功体験』を経験することが出来たのです。以降、スポーツチャンバラでも「次こそは入賞」を目的に競技にのめり込めるようになりました。
大会の試合では実力不足により敗北は喫しましたが、何かを形のあるものを得る、誰かから認めてもらえる経験をここで積めたことは非常に貴重でした。それは偏に周囲の仲間や先生、親に恵まれていた環境があったからでしょう。
もし、ここで先生からの推薦を受けずに敢闘賞を受賞することがなかったら、何らかの理由をつけて競技を途中で辞めていたかもしれません。何かに取り組むこと、続けることへの自信に繋がり、それが生きるうえでの栄養になったことは言うまでもありません。
転んでの敢闘賞――。
何かで敗北しても『ただでは転ばない強かさ』が人生には必要なのですから。