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芯ある剣の時代

 初めて参加したスポーツチャンバラの大会が終わり、日常へと帰ります。当時は小学生でしたので学校へ通い、友達と遊び、家に帰ってからはアニメやゲームをするという毎日。そして、土曜日はスポーツチャンバラの稽古日です――。


「イ、イタタ……」


 周り稽古が終わった私は手を見ていました。丁度、利き腕の右腕前腕部が少しばかり赤く腫れていました。

 以前、稽古を共にする仲間に指導員のご子息で兄弟がいることを紹介したことがありますが、そのお兄さんは剣風は荒々しく、重く鋭い小手の一撃を放ってきたためでした。その他にも頭頂部、側頭部など強烈な一撃が入ったときは少し視界がグラリときたり、耳鳴りするときがありました。


 正直言って、お兄さんと練習をするときは恐怖でやりたくありませんでした。年齢も私より二つほど上で体格も経験値があり、振るう剣の動きも速く、力も強いので単純に痛いのです。


 一方、先生のご子息は兄弟のお兄さんよりも二つほど上でしたが、剣風は柔らかく加減がありましたので多少痛くとも残るものではありませんでした。これを聞くと兄弟のお兄さんが悪く聞こえてしまいますが、今では逆にこの経験をすることで他者への加減や、格闘するということは相手を傷つけること、当然として痛みが残るのは普通という当たり前のことが学べたのです。


 スポーツチャンバラは基本的に面しか防具をつけずに試合を行い「当たっても痛くはない」のが基本ですので、玉砕精神でぶつかる人や、痛みがない故に自分の力を過信して振り回し技よりも速さを求め荒くなる――。


 昔のウレタン製の剣は重く、きちんと扱わねば自由自在に剣を操作出来ません。を身につけねばなりませんでした。


「軽い!」


 また武道や格闘技の経験者が多い時代ですので、なでるような一撃では一本とせず、重く鋭く明確な一撃でしか一本を取らないので、稽古では剣を鋭く振ることを指導される時代――。


「もっと振り抜いて!」


 剣を当てるというよりも振り抜く。

 指導員が手に持つミットを使用した打ち込み稽古、私達生徒は剣を振り抜くように当てるように指導されておりました。ですので、強度に差はあれ稽古を共にする仲間達の剣は自然と重く鋭いものとなっていきました。


 エアーソフト剣と違い、ウレタン製の剣は『しなりが少ない』ので振り抜かないといけない。手先だけの剣の振りでは手首や肘を故障する可能性が高かったのです。当時を知る競技者として思うのですが、エアーソフト剣が普及し、使用するようになってから手首や肘などを痛めるケースが多くなったような気がしています。


 これは個人的な感想にはなりますが、現在のスポーツチャンバラはスピードが重視されてしまっているので『いかにして先に当てるか』が焦点する人が多くなり、手首のスナップや肘の瞬間的な動きが求められるようになった結果、関節に負担がかかりやすくなっているのではないかと感じます。


 特に学生など若い選手ほど正しいフォームや力の入れ方を身につける前にスピードだけを求めてしまい、結果として腱鞘炎などのケガに繋がるケースが増えているのではないでしょうか。体全体で振るというよりも、手先や腕だけを使っているようにどうにも感じるのです。


 これは何もエアーソフト剣は悪いと言いたいのではありません。

 ウレタン製の剣も当たればケガを負うことがあったので、安全性の向上という意味ではエアーソフト剣の普及は競技にとって非常に大きな進歩と言えましょう。


 ただ、それによって人の体の使い方の変化、競技の方向性や稽古のあり方が変化したことは事実ではないでしょうか。剣を振り抜く感覚よりも、先に当てるスピードやタイミングが重視されるようになった――。


 ――スポーツチャンバラはスピードとタイミングのスポーツ。


 まさにこの言葉通りを体現するように進化したのです。


 そんな進化を果たしたスポーツチャンバラですが、当時を経験している私としては少し物足りない部分もあったりします。それは「緊張」と「恐怖」の二つ――。


 競技性よりも武道、格闘性を求めている人にとってはスポーティな部分が大きく強調されていくと「一種の物足りなさ」を感じるのは否めません。

 スポーツチャンバラという名前には「カジュアルさ」や「親しみやすさ」が込められている一方で、その背後にある「真剣勝負の緊張感」や「武道的な深み」を求める人々にとって、現代の競技スタイルが軽く感じられるのは自然なこと――。


 ですが、それもまた競技が成長し、多くの人に親しまれるようになる過程で避けられません。スポーツチャンバラが「誰もが楽しめるスポーツ」として発展していく中で「安全性」や「競技性」が重視されるのは当然の流れでした。初心者や子どもの誰もが安心して、すぐに始められる環境が整備されたことは間違いなく素晴らしい進歩です。


「あんまり無茶苦茶に振り回すな!」


 周り稽古の最中、指導員の注意が聞こえてきます。

 それは私に対してものではなく、自分の息子、つまり兄弟の兄の方に向けてのものです。


(剣が荒っぽいなあ)


 私はお兄さんに押され、面、小手、胴など連打され、稽古場の隅にまで追いやられそうなくらいに押されていたのです。荒く、激しい剣に私は後退して後方へと引くことしか出来なかったのです。


「前に出て! 前に前に!」

「飛び込んで!」


 押される私は先生や指導員からは常にそう指導されます。細かい技術指導はほぼありません。


(痛い、痛い……)

「積極的に剣を振って!」

「もっと前に! 思い切って!」

(そんなこと言われてもなあ……)


 バシッ! 強烈な上段からの一撃が私の頭を打ちつけます。


(痛い……クラクラする)


 前に出ては打たれ、後ろに引いては打たれ、頭は揺さぶられ、小手を打たれては赤くなる腕。どうやれば相手を打てるか、どうすれば痛い思いをせずに戦えるのか――。子供は子供なりに自分で考えて工夫していきます。


(どうすれば上手くなるんだろうか)


 緊張と恐怖が支配するこの時代の練習。

 痛く辛いものでしたが、間違いなく競技者として私を成長させ、基礎を築き上げたのがこの時代。


 今では誰も使わなくなったウレタン製の剣――。

 芯ある剣の時代のお話でした。

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