「アイスクリームをスプーンで掬うように剣を振って!」
いつもと変わらない練習が始まりました。公民館の床は冷たく、ひんやりとした空気が鼻を刺します。吐く息もどこか白く曇り、軽い掛け声が冷えた空間に響き渡りました。手に握った小太刀の感触もどこかひんやりとして、まるで氷柱を握りしめているように感じました。
「……アイスクリーム」
アイスクリームをスプーンですくうように――とは、スポーツチャンバラ独特の技である
指導しているのは父、私と共に始めたはずなのにいつの間にか生徒から指導員へとクラスチェンジしていました。この教室、道場に通う生徒は殆ど小学生や中学生、高校生などの子供でした。大人といえば道場主、指導員と私の父しかいなかったため、まとめ役として、また指導員として抜擢されたのでした。
私の父は学生時代に柔道(他に数ヶ月だけ円心流やわら)と、二年間自衛官でしたので銃剣道をやっておりました。そのため、武道の素養があるため全くのデタラメな指導というわけではなく、その経験を存分に発揮することが出来ていました。ちなみにうちの父ですが、公平性を保つために親が子供に対して他の人よりも厳しく指導する――というよくあるものはなく、普通に接してくれていました。
指導員という肩書きではありますが、どちらかというと親としてのポジションが強い印象があります。そのため、ある大会でどこか別の道場の先生に一度注意されたことがあります。私がついつい父のことを「お父さん」と呼ぶと、そこにいた先生が「ここにお父さんはいません」は言われたのです。
そのときの私は何のことやらさっぱりわかりませんでした。しかし、プロ野球で巨人の監督を務めていた原辰徳さんや柔道のオリンピック金メダリストの井上康生さんの父親は指導者としても厳格で、家とグラウンドあるいは道場では親子の関係はなく厳しく指導していたというエピソードをテレビで知り、どうにも世間ではそれが普通だったようです。子供ながらに思い出すと、少年雑誌で連載しているような漫画でも親は子供に対して厳しく指導するシーンが描かれていました。
今思うとうちの父は「先生と呼べ」と、道場でも強く言わない人でした。それに家に帰ってきてからも、熱血指導するわけもなく普段の父親と変わりありません。他の人から見ると「なんて甘いんだ」と思うのかもしれませんが、当時気の弱く内向的だった私にとってはいい塩梅でした。強く指導された経験はこれまで全くありません。
ただし相手への礼節が欠けた行動をしたり、道具を粗末に扱ったときは烈火の如く怒られたことはよく覚えています。競技者というよりも一人の人間、武道家としての教育の方が強かったですね。それが甘くもなく適度な辛さ、絶妙な位置、バランス。スポーツチャンバラでの技術指導もあれをやれ、これをやれと強く言わずにどちらかというとオーソドックスな基本的な指導のみでしたので、こちらとしてもやりやすく私には合っていました。
「剣での受けだけど、斜めにすることで力を受け流せる」
しかし、私が高校生の頃に父親が戸山流という居合を習い始めると刀の扱い方や剣の振り、技を教え始めました。
「スポーツチャンバラの剣は軽くて振り回しやすいから、実戦で使うのは難しいんじゃないかな」
役に立つ、参考になる知識や技もありましたが、自身のこれまでの武道経験を基にした意見も目立つようになりました。この頃にはエアーソフト剣が浸透し、各道場が稽古で取り扱うようになり、大会でも使用の義務化が進んでいたからです。
私は父親の言っている意味があまり理解出来ていませんでしたが、学生当時にはK-1やPRIDEといった格闘技が空前のムーブメントがあり、格闘漫画の深夜アニメの再放送を見ていたので、私はどうにも影響を受けてしまったようでした。気づくと武道や格闘技関連の書物を読み漁るようになり、知識が増えていくと父が述べたい意味がわかるようになりました。知識量が増えることは良い反面、それは諸刃の剣となりえる可能性があります。上辺だけの知識が身についた私は、スポーツチャンバラに格闘性、実戦性を望むよう進化しつつあったのです。
これは思い出すだけで『黒歴史』と呼べるような進化、所謂『中二病』の状態でした。実戦云々の前にスポーツチャンバラは競技として親しまれているのだから、あまりにそれらを突っ込み過ぎるのは場違いです。これは血生臭い殺傷術ではなく競技、柔道の創始者である嘉納治五郎師範が掲げた『精力善用、自他共栄』を目的とするスポーツなのです。競技は競技として楽しむべきものであり、全てを実戦的な観点から評価するのは間違っています。
特にスポーツチャンバラの最大の特徴は武道の精神を学びながら、楽しむことを大切にするところ。それを過剰に『実戦的であるべき』だと言われるとスポーツチャンバラの本質を見失うような気がします。それに某剣客漫画の登場人物のように、ストリートファイトを一度もしたこともない道場剣法家が実戦を語るのも何だか滑稽にも思えます。
この競技を長年見ていて強く思うのですが、スポーツチャンバラはファミリー層を中心に競技に入ることが多い。子供が興味を持って始め、その親がいつの間にか競技者となり指導員になるパターンが非常に多い印象です。家族ごと入ると自然と競技人口も増えますし、子が真剣になると親も真剣になる、親が真剣になると子も真剣になる――。
他のスポーツや武道、格闘技と少し毛色が違うところはスポーツチャンバラという名称のカジュアルさと良い意味での手軽さがあるので誰でも入りやすく、親子そろってやり始めることが出来る、そう私達親子のように――。
「本当は刀を大きく弧を描くように振らないと、巻き藁でさえ斬ることは出来ないんだよ」
居合を習い、刀の扱い方を覚え、道場で巻き藁を斬った父。その話を聞く私は当時大学生。私自身が『武道』というものに興味を持ち始めたときで、スポーツチャンバラに武道性を求めていたときでした。これが後々に競技性と武道性に『悩まされる原因』となるのですが話はお開き。次回は再び小学生の時へと戻ることにします。