――カラアゲくんがいなくなる。
スポーツチャンバラを始めてから一年と数カ月が経った頃でしょうか、そんなニュースが飛び込んできました。
カラアゲくんと言ってもピンと来ないでしょうが、道場主のご子息のことです。いなくなると言っても、スポーツチャンバラの道場を辞めるのではなく、道場主の一身上の都合によるものでした。
「先生、いなくなっちゃうんだ」
つまり、先生がスポーツチャンバラの道場主を辞めるのです。これはスポーツチャンバラを辞めるのではなく、仕事の転勤で東京まで行かなくてはならなくなり道場から去ることを決めたようです。
この頃、私がいたときより生徒が少しづつ増えていただけに無念だったでしょう。先生やご子息からは「頑張ってね」「元気でね」と簡素でありながらも、どこか寂しい挨拶で別れをすることになりました。別れと終わりはいつだって突然――。
小学校の六年生になっていた私は、まだまだ子供。先生がやめるという現実を今一つ理解しておらず「本当にいなくなるんだろうか」という思いだけが駆け巡り「ときどき顔を出すんじゃないか」と心の中で都合よくストーリーを作り上げていました。
「はい、では面打ちを10回連続で打ちます」
土曜日、道場の床にいたのは先生ではなく、ここで指導員を務めている兄弟のお父様でした。やはり、先生は道場主を辞められて東京へと旅立った――それでも稽古の時間は変わらずに流れ、淡々と基本の素振り、ミット打ち、周り稽古などが進んでいきます。
小太刀を握り、周り稽古のときに気づくのは対戦相手にカラアゲくん、ご子息の姿がいないことです。私より背が高く、上手く、優しく打突する彼の姿はありません。
「これで稽古を終わります。お互いに礼!」
新しく道場主となった指導員が号令をかけ、私達は終わりの礼を行います。今日の稽古は終了――そこで私は初めて、先生やご子息が本当にいなくなってしまったことを実感するのでした。
「先生やカラアゲくんは、今頃どうしているのかな」
帰り道、自転車に乗る私はふとそう思いました。稽古終わりの夜は真っ暗で、自転車に取り付けられているライトが道を照らします。ライトの光が細く揺れるのを見ながら、先生やご子息が道場から去ってしまったことを実感するのでした。
「休憩したら、周り稽古をするから並んで!」
ごくごく日常、稽古という時が流れる中、毎週土曜日はこれまで通り稽古は淡々と続きます。声を掛け合う仲間達も、技術を磨き合う時間も、以前と変わることはありません。誰かがやめても、いなくなっても世界というものは続くのです――。
「東京で先生達は元気なんだろうか。今もスポーツチャンバラは続けているのかな」
中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても時折そう思うことがあります。思い出深いエピソード、他人に語れるような面白いエピソードはないのですが、先生はスポーツのコーチや武道の師範というよりも、どちらかというと子供をまとめ上げる優しいおじさんという印象です。
強くしかることもなく、技術指導も基本に忠実、あれをやれ、これをやれと強制することはほぼありませんでした。スポーツチャンバラの練習よりも、途中で子供が自由に遊ぶ時間を許したりするなど、技術を磨く、試合に勝つ、大会に入賞するというよりも、集団での子供の遊び場を設けるという感じが強いものでした。それが当時の私との相性がよく、長くスポーツチャンバラを続ける下地を作ってくれたような気がします。
また当時は親の介入が少なく、もっと真剣に練習をして欲しい、大会で入賞するような選手させて欲しいという要望も特にありませんでした。稽古中の雰囲気は基本的にとても和やかで、スポーツチャンバラが『勝ち負けを競う場』ではなく『楽しむ場』であるという雰囲気作りが成されていたのです。
これは私の想像でしかありませんが、先生は『道場』ではなく『子供の遊び場』を作りたかったのかもしれません。この時代はインターネットが普及する前ですが、子供の遊びといえばテレビゲームやカードゲーム、ミニ四駆、ヨーヨーといった大人の介入、つまり商業的なコンテンツが独占していました。それは今も昔も変わりません、その裏には大人達の欲望が混在している。
そういう場所が多くなり懸念した先生は子供同士が集まり、自分達の発想と工夫で遊びを創り、その中でルール作りさせ社会を学ばせる場所を作り出そうとしたのではないか――。
スポーツチャンバラは方便で、本当の目的は『子供が自主的に考え、行動し、成長する場を提供すること』だったのではないかと想像するときがあります。そうでなければ、稽古の合間に子供同士が遊ぶ時間を設けることはないでしょうし、大会で勝つための激しい稽古、入賞するための厳しい指導をしていたでしょうから。
上昇志向が強い親や指導員から見れば『甘すぎる』と思われるでしょうが、全ての人は運動神経もよくなく、トップアスリートや達人を目指しているわけではありません。先生が作られたような誰でも楽しめ、社会を学べる場所作りもあって必要だと思います。
勉強やスポーツ、果てはゲームなど競争ばかりさせられ、何かとランキング付けがされ一喜一憂する社会に征服され、インターネットが普及したことにより、顔も本名のわからない相手と会話し、時に傷つけられ仮想と現実の区別がつかなくなってきた状況。先生が作られた、人間と人間が接する空間、コミュニティの大切さ、重要さが最近強く感じるようになりました。
――ありがとうございました先生。
――今も元気だろうかカラアゲくん。
先生の作られた道場は、大人になった私の大切な成長の一部になっています。