スポーツチャンバラの先生がいなくなった道場ですが、そのまま解散というわけではなく、ここで指導員を務めていた方が教室を引き継ぐことになりました。つまり『二代目』へと就任されたのです。
「これから『受け』と『取り』に別れて試合をします」
二代目は剣道をされていたので、その指導は剣道の影響が色濃く残るものでした。
この『受け』と『取り』とは、『受け』とは防御に徹して剣で受けるか
先代(最初の先生)の頃からもやっていましたが、この稽古法は剣道や少林寺拳法、古武道の経験者なら理解しやすいと思いますが二人一組となり攻めと受け、あるいは打太刀と仕太刀となることで修行者は攻撃と防御の技術、間合いやタイミングを学ぶという非常に理にかなったものです。
特にスポーツチャンバラは初心者でも打突を始めやすいものですが、ややすると剣を振り回すだけで、攻めや受けの技術、間合い、タイミングの技術が荒くなりやすい傾向にあります。そのため、この攻撃者と防御者に双方分かれて打突することにより技術の向上が望めるのです。
「そのまま連続で打ち込んで!」
ミットを前に出して構え二代目は後方へと引き、我々が走り抜けながら連続して打ち込む面打ちを受けていきます。二代目はとにかく攻めて、攻めて、攻め込んでの苛烈な剣風を好まれていました。以前も記したかもしれませんが、どこを打ち込むとか、構えがどうとか、足の位置はどうとかの細かな技術指導は少なく「飛び込め!」という実にシンプルなアドバイスが多く、積極的に攻めていく精神を教えてくれる先生でした。
もう少し技術的な指導方法をして欲しいと思ったこともありましたが、振り返ってみると『相手の懐に飛び込んでいく精神』はとても大切なことで、気持ちが後ろ向きだったり、弱気だったりすると人間というものは防御に回ってしまう傾向が強く、消極的になってしまいます。負けた試合を振り返ると、足だけ動かして剣が出ていなかったり、気持ちがどうしても受け側に回ってしまい相手にやられてしまうパターンが実に多くて悔いが残りました。気持ちを前に出せばよかったのではないかと――。
無論、攻撃一辺倒ではカウンターを取られたり、相打ちになってしまうケースが多いのですが、自ら積極的に攻撃していく姿勢というものは大切ではないかと思うのです。
とにもかくにも、二代目先生は火のような人でした。そんな二代目は、あるとき空手で使用するミットを持ってきました。
「今日はパンチをしようかと思う」
「え?」
「ワンツーパンチね!」
いきなりのワンツーパンチ。左ジャブからの右ストレートのコンビネーション、ボクシングの技を私達に要求してきたのです。スポーツチャンバラなのに何故格闘技の稽古をするのか意味がわかりませんでしたが、私達は言われた通りにするしかありません。横に控える指導員となった私の父も何も言いません。
「はい! ワンツーパンチ! いいよ!」
次々と私達道場生は、二代目が構えるミットにパンチを打ち込んでいきます。ちょっとしたボクシングジムみたいになっていきました。
「おおっ! 強い!」
スポーツチャンバラの練習ではなくとも、それは楽しい時間でした。なんといっても、私達は『ドラゴンボールZ』をリアルタイムで視聴していた世代です。気分的には、誰もが孫悟空やベジータになれるのですから。(ちなみに当時の私はピッコロが何故か好きでした)
後に父が言ってくれたのですが、この格闘技風味の稽古をしたのは「スポーツチャンバラだけでは嘗められるから」という理由だったからだそうです。確かに『スポーツチャンバラ』という名前だけ聞くと遊びの延長のように感じるでしょうから『根っこは決して遊びではなく武道』ということを強調したかったのでしょう。他にも、柔道経験者の父がいたので全員で受け身の練習をしたりするなど武道的な雰囲気が道場に流れてきました。
そんな武道の気風が吹き始めた中で、特に私が印象的だったのは二代目が仕事の関係(何の仕事かは伏せます)で中東出身の方からナイフ術を教えてもらったそうで――。
「腹を狙ったら、避けることが難しいらしい。狙うときは腹を突こう」
と、私達道場生は二代目の提案により相手の腹部を狙う稽古をしたことがあります。
――何というか軍隊格闘術をしている気分です。
「俺達は何を目指しているんだ……」
一緒に稽古する道場生の言葉を聞いて、当時高校生の私は心の中で深く頷きもしましたが、これはこれで一つの経験です。現に技のレパートリーが一つ増えるのですから。引き出しは多い方がいい――。
他人から見れば、二代目がやってることはバカバカしく滅茶苦茶かもしれませんが、当時は真剣にやるしかありませんし、私達は真面目に稽古をしていました。それにスポーツチャンバラは元々『小太刀護身道』という武道、護身術から始まっています。
遊びから武道へ――。
二代目が作り出した風が私達を強く成長させていくことになります。