目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

黒帯へと昇段

 黒帯。

 武道において黒帯は熟達者の称号、練度の高さを示す証です。

 剣道や柔道、空手などの日本武道の特徴的なシステムで、修行者は自分と相手の技量を確認できる材料ともなり、稽古に対するモチベーションアップにも繋がります。


 古武道においても目録、切紙、免許皆伝と段階を重ねるシステムがあったようですが、現代武道のような帯制度はありませんでした。この帯制度を最初に設けたのは柔道の嘉納治五郎師範であると言われ、白色の道着に映える色として黒が採用されたそうです。以降、他の武道にも影響を与えて今日に至ります。


 ちなみに一説によると、段級制度を最初に始めたのは江戸時代の囲碁棋士、本因坊道策ほんいんぼうどうさくが囲碁に採用し、それが将棋へと導入されると明治時代に武道などに広がったとされています。


 また、級位には黄、橙、緑、青、紫などの色帯が使われていますが、級を最初に導入したのが大日本武徳会という武道団体(第二次世界大戦後に解散)で、講道館の少年部の級位の子供達が色帯を柔道着に巻いたのが始まりだとされています。各武道により昇級していく帯の色は違いますが、日本武道における柔道の影響力の強さが見れますね。


 私が修行しているスポーツチャンバラにも、これら黒帯や色帯は存在しており小太刀、長剣などの得物や基本動作と呼ばれる型に段級が設けられています。そんな『黒帯』という存在を知らなかった私はあるとき、父や二代目からこう言われました。


「黒帯を取ろう、初段だ」

「昇段審査を受けに行くぞ」


 黒帯、昇段審査、型。

 全てが初めて聞く単語ですので、私は戸惑うしかありません。黒帯とは何ぞや、昇段審査とは何ぞや、型とは何ぞや――。

 でも、私をはじめとする道場生達は先生である二代目や私の父に逆らうことが出来ません。というよりも、何が何だかわからないまま受け入れるしかありません。特にこれといった説明や稽古をせずに私達はある場所へと向かいます。


 それは我々が普段稽古する公民館ではなく、どこか別の道場の一室。床張りだったか、畳張りだったかは記憶が曖昧でよくわかりませんが、本格的な武道教室だったことは覚えています。


「今晩はしっかりとやりなさいよ。ここで昇段審査をやるから」


 そこには強面のおじさんがいて、私達と年齢の変わらない生徒達にスポーツチャンバラを教えていました。つまり、ここは違うスポーツチャンバラ教室、いや道場だったのです。

 後で知ったのですが、私達の道場は『巧武館(仮名)』を本部に持つ支部道場だったらしく、昇段審査を受験するには本部の巧武館の試験を受けなければならなかったのでした。

 今では各都道府県の協会が合同で厳格な審査を実施することが多いのですが、この時代はまだ規定的には緩く各道場の審査と道場長の申請により級や段位が許されていたのです。


「はい、一人二組に並んで!」


 本部、巧武館の館長の一声により私達は並びました。基本の素振りや周り稽古など普段と変わらない稽古を行います。いつもと違う緊張感があったように思います。何せ知らない場所で、初めて会う人達と共に稽古をしなければならなかったのですから。


「次は型だぞ」


 一通り終わると、強面の館長は次の指示を出しました。私達道場生は周り稽古のように二人一組となります。今度は何をするのかというと面をつけ、小太刀を握り、自由に打ち合う模擬試合、打突ではありません。型の審査を兼ねた稽古でした。本来であれば型の稽古は支部道場で行わなければなりませんが、この巧武館で実施することになったのです。


 ぶっつけ本番の型稽古と審査――。


 私達はよくわからないまま、指示した通りにするしかありません。館長以外にも二代目が指導し、一人は『打太刀』となり「ヤア!」の掛け声で攻撃を仕掛け、もう一人は『仕太刀』となり「トウ!」の掛け声でカウンターを決めます。


 打太刀と仕太刀という概念は、日本剣道形や古流剣術から取り入れられたもので、先に技を仕掛けるのが打太刀、それに応じて勝つほうを仕太刀と呼ぶそうです。また掛け声の「ヤア!」と「トウ!」は剣術の世界において古くからある掛け声、気合で昔の人は剣術のことを『ヤットウ』と呼んでいたそうです。


 私達が昇段を目指すのは小太刀の初段。正確には『護身道形』と呼ばれる型です。(長剣の場合は長剣形)

 型の種類は全部で五種類、初段から二段の場合は三つを正確に演じなければなりません。空手や少林寺拳法の型に比べるとシンプルなのものなのですが、相手との間合いやタイミング、呼吸が合わなければ上手く演じることが出来ません。独りよがりで演じては必ず失敗をします。


「こう突いたら、こう小手を打って」


 私の型は館長ではなく、二代目が見てくれました。館長は二代目のお子さんである兄弟のお兄さん達を見ていました。私の方といえば気心が知れ、道場内でも仲のいい弟さんの方で型を行うことになりました。実に運がよかった。傍には指導員としての父もいましたので――。


「ヤア!」

「トウ!」


 小太刀の護身道形を何度か稽古し、ぶっつけ本番の型審査。緊張感はありましたが道場での稽古の中でしたし、二代目や父が見守る中で型を行えましたので無事に終えることが出来ました。

 正直、当時の私達は小学生だったので技の意味や原理原則、理合を細かく指導されることはなく、形だけのものとなっているのですが当時の私達は一つのことが終わったことにホッとします。


「今日から初段、黒帯です。おめでとう」


 何週間か経ったある日、二代目から私は初段の賞状と黒帯を渡されました。この日から私は小太刀初段位、黒帯となったのでした。

 本格的な武道の修行者からは「甘い」「ぬるい」と眉をしかめられそうなのですが、何かを続けてきた勲章としての黒帯――。

 この黒帯は私のスポーツチャンバラ人生の大きな一つの節目であり、誇りが芽生えた瞬間でした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?