二代目になってから、私達の道場は積極的に各大会へと出場することになりました。積極的に出場するといっても、近くの県や地区内の地方大会がメインで車や電車を使って移動する遠征はしませんでした。
それでも私達にとっては刺激的なもの、これまで手合わせしない相手と対戦出来たので楽しいものでした。例えるなら『ちょっとした小旅行と腕試し気分』と呼べ、二代目が運転する大型乗用車の中、道場の仲間同士でワイワイと盛り上がってました。
当然、この頃の私達は子供でしたので漫画やアニメの話題ばかり。世代的には見ていないだろう『キン肉マン』のアニメの話で盛り上がっていた記憶があります。私が住む地域では、アニメの再放送がされており『ドラゴンボール(無印) 』や『北斗の拳』『幽遊白書』は鉄板でした。私達は車中でキン肉マンなどのアニソンを歌っていましたが、運転する二代目も助手席に乗る私の父も怒ることなく大会が開催される体育館や武道場へと連れて行ってくれました。
そんな大会出場巡りをしていたある日、某県の大会に参加した私は『大人の部・小太刀』の試合を観戦しておりました。そこの試合場に登場したある選手の奇妙なことに気がつきます――。
(あの人、片足がない)
隻脚の剣士、片足がなかったのです。
記憶では左足がなかったと覚えがあります。年齢的には若く、20歳代くらいの人でした。赤い面を被り、黒いTシャツに青い短パンを履いていたと思います。(かなり昔のことなので曖昧ですが)
「始めッ!」
試合が始まりました。相手は隻脚の剣士との間合いを図りながら、小太刀を中段に構えていたと記憶しております。剣先は上下に揺らし、動きが固まる『居付き』が起きないようにしておりました。剣道でよく見られる技法で、北辰一刀流では『セキレイの尾』と名付けられているそうです。
一方の隻脚の剣士にはフットワークはありません。フラミンゴのようにじっと止まっています。ただし、腰は僅かに屈め、膝を少し曲げていました。剣も中段に置いて正中線を守っています。いつでも飛び掛かれるような体勢でした。
試合を観ている私としては「あれで勝てるのだろうか」と失礼なことを思っていました。
基本的に人間は二本足で大地に立ち、剣道や空手、ボクシングでもフットワークを軽快にしながら打ち込みを行います。足さばきは戦いにおいて非常に重要な技術の一つであり、素早く足を運び距離を詰めることで攻撃を早く打ち込めますし、相手からの攻撃はフットワークで避け、距離を測ることでカウンターすることが出来ます。それが制限されている状態……どのように剣を振るのか、戦うのか想像もつきませんでした。
「足ッ!」
対戦相手の選手は、隻脚の剣士の足を狙って打ったと思います。これを読まれた人の中には「卑怯」と言う人もいるかもしれませんが、試合場に立つ限りは自分も相手も平等、公平の存在なのです。相手が子供であろうが、女であろうが手加減をして打ち込むのは非常に失礼になります。
「流石に足をよけれないよな」
私は少なくともそう思いました。二本足なら、引き足と呼ばれる前に出す足を素早く後方に引いて、面打ちで反撃することが出来るのですが隻脚の剣士は一本足。後ろに飛んでかわすにしても難しい――。
「よーし! 面あり!」
ところが隻脚の剣士は片足の筋力だけで跳び、剣を振り下ろして相手の面を強かに打ちつけたのでした。
「勝負あり!」
試合に勝ったのは隻脚の剣士でした。残念ながら二回戦か三回戦で負けてしまったのですが、私がこれまで見てきたどの選手、それが例え全日本のチャンピオンであろうと、世界チャンピオンであろうと誰よりも深く記憶に残っています。見た目のインパクトよりも、ハンデを言い訳にせずに果敢に挑戦する姿に感銘を受けたのかもしれません。
この当時はパラリンピックや障がい者スポーツの普及が現在ほど進んでおらず、障がいを持つ人々がスポーツの場で活躍する姿を見る機会はほとんどありませんでした。そのため、隻脚の剣士の姿は私にとって衝撃的で、同時に心に強い印象を残す出来事となったのです。
その隻脚の剣士は直接話す機会はなかったのですが、他の大会でも何度かその姿を見た記憶があるのですが定かではありません。姿をいつの間にか見なくなったのでスポーツチャンバラを辞めたか、引退してしまったのでしょう。
私自身、今でもその存在が気になっています。記憶の断片では、どこかの新聞か広報誌で、この隻脚の剣士のことを紹介する記事が書かれていた覚えがあります。どこかのホームページで切り抜きの新聞記事が何かで紹介されていた記憶があったので検索したのですが、結局見つけることが出来ませんでした。
あの隻脚の剣士は何処に?
もし、ご本人や関係者、覚えている方がいたら遠慮せずに教えて欲しいと思います。私のスポーツチャンバラ選手名鑑にその存在は色濃く、特異に刻まれています。あれからかなりの年月が経ちましたが、隻脚の剣士の存在と記憶は決して色褪せることはありません――。