小学生から中学生、中学生から高校生、高校生から大学、大学から社会人へと――。
自身の成長と共に、同じ年代の『剣友』達が去って行きます。ある人は部活動に入部するため、ある人は進学するため、ある人は就職するため、ある人は結婚するために……。
一緒に剣を振るっていた道場生は少しづついなくなり、気がつくと小学生の頃から同じ道を歩んでいた仲間がいなくなっていました。しかし、それでも一緒に剣を振るう友は僅かに残っています。
「俺のが先に入ったな」
「入ってないない!」
ある日の周り稽古のことです。私は袈裟斬りの要領で、斜めからの面打ちを当てたつもりですが、対戦相手は剣を持たない左手を左右に振りました。要するに当たっていないと言うのです。
「剣で止めたぜ」
対戦相手は剣を斜めに立て、攻撃を防いだとアピールします。確かにそういう風にも感じますが、止めるよりも先に当てた感触が手に残っていましたので私も食い下がります。
「いやいや、先に当てたよ」
「気のせいだよ、ちゃーんと止めました」
「いや、当てたと思うんですが」
「はいはい」
軽く流されてしまいました。
対戦相手、彼は以前にもご紹介した二代目のご子息である兄弟の弟さんです。私と彼はスポーツチャンバラを始めた頃から仲が良く、共に汗をかき、共に技を磨き合った剣友ともいえる存在でした。
彼はあまり人と揉めたりしたくない平和主義者ですので、こういった勝敗に関する議論も適当に済ませてしまうのです。
そもそも、これは稽古という身につけた技術の確認作業と大会に向けた調整です。当てた、当たってないで、同じ道場内の仲間と揉めるのもナンセンス。私は仕方がないので開始した位置まで戻ることにしました。
「もう一本やろうぜ」
彼は脱力して剣を下段気味に構えます。スタンスは肩幅よりやや広く、後方へと重心を乗せる独特の構えです。ここから、一気に飛び込み仕留める独特の戦法をとります。
「おわっ!」
開始早々、音がなりました。
私は彼に飛び込みの
「今のは入っただろ」
「あ、ああ……」
それだけに打たれた側も負けたと言わざるを得ません。言い訳が出来ないほどの綺麗な打ちをきめてくる技量に優れていました。
彼は小柄ですが運動神経がよく、スポーツチャンバラというスピードとタイミングが求められる競技には非常に適していました。彼は大会でもよく入賞し、優勝や準優勝経験は数知れません。
そんな彼ですが基本的には欲というものはなく、トップクラスの実力がありながら(現に遠征に来た全日本レベルの選手との試合にも勝っていました)も、全日本選手権や世界大会に自ら積極的に出場することはありませんでした。自分が行ける範囲の大会のみ、地方大会にしか出場しませんでした。
そんな欲がないというか、マイペースな彼ですが、ある大会のお昼休みに一緒に食事をとっているとき、二人で会話する中でこんなことを言ってました。
「大会より練習の方が面白いよな」
練習の方が面白い。
これは私も感じる部分でして、入賞を目指しているような選手や指導者からは「何を言っているんだ」とおしかりを受けるかもしれませんが、遊びや実験感覚で剣を振れる練習、稽古の法に面白みがありました。
我々の時代、特に地方の道場やクラブ、サークルは今のように学生大会はありませんでしたし(あっても関東のみ)全日本や世界大会に出場する選手も私が知る範囲では少数の希望者のみでした。身内だけの馴れ合い、自己満足と言われればそれまでですが、私と彼はスポーツチャンバラという自由な空間で剣を振るという作業を楽しんでいたのです。
剣は筆、四角い板の間、あるいは畳がキャンバス、身につけた技は絵具――私達は二人で自由自在にスポーツチャンバラという芸術活動をすることに喜びを感じていたのでした。そもそも武芸は英訳すると「
そんな才能ある剣友である彼ですが、大学を卒業すると道場からは遠のき、いつしか姿を現さなくなりました。彼は警察官になるために警察学校に入らなければならず来れなくなったのです。
私も私でスポーツチャンバラから離れた時期もあり、私がブランク期間中に何度か道場に顔を出したそうですが結局合わず終い。現在は結婚されたそうですが、その後どうしているかは不明です。父親である二代目も「あいつは頑張っているよ」だけしか言いませんでしたので、詳しい状況はわかりません。まあ、器用な彼のことですから上手くやっているでしょう。
私と共に剣を振るった彼のことは忘れません。
一緒にスポーツチャンバラという戦いの創作活動をし、楽しみながら共に成長していったのですから。
彼のサーベルタイガーのような動き、私は決して忘れることはないでしょう。