レオンは額を地面にこすりつけながら、シヴァ犬の次の行動に注意した。しかしながら、シヴァ犬は困ったように首を傾げるばかりだった。
「よしてくれ。僕は白銀狼だけど、今はただのシヴァ犬なんだワン」
「え!? ちょっと待って!? 白銀狼って、あの三種の神器がうんたらの白銀狼!?」
レオンは目を皿のようにしながら、目の前のシヴァ犬に注目せざるをえなかった。レオンは魔王の力を自分から切り離すために、三種の神器のひとつである白銀狼の爪を手に入れなければならない。
その相手がシヴァ犬の姿で現れた。奇跡が起きたとしか言いようがない。戸惑うレオンに女神からの天啓が降りた。
・女神からのコメント:あれ? レオンくん、その子……うちのダメ兄が飼っているポチちゃんじゃない?
(女神様! ちょうどいいところに! ポチ様の扱いをどうしたらいいんですかーーー!)
・女神からのコメント:どこに行ったのかと思ってたら、リゼルの街へ遊びにいったのね……。まあ、いいわ。レオンくん、1匹の可愛いワンちゃんとして、相手してあげてね?
レオンはホッと安堵した。しかし、その安堵も束の間であった。女神から恐ろしい忠告が届いた。
・女神からのコメント:ちなみにポチは爪切りが大嫌いなの。白銀狼の爪を手に入れなきゃならないレオンくんだけど……仲間がいない時にチャレンジするのはお勧めしないわよ。
(えっ……三種の神器を目の前にしておきながら、お預けなんですか!?)
・女神からのコメント:試してみてもいいけど……リゼルの街がこの世から消えちゃうかも♪
レオンは静かに目を閉じた。三種の神器は絶対に手にいれなければならないマストアイテムだ。だが、自分が原因で関係無いリゼルの街がこの世から消えてしまうのは非常に困る。
「うんっ! 色気を出すのはやめよう!」
「ん? 色気って、どういうことだワン?」
シヴァ犬が不思議そうな顔で、さらには首を傾げている。シヴァ犬とは本当に卑怯な存在だ。レオンは「よーしよしよし!」とシヴァ犬の頭や首を撫でまわす。
「おはようございます、ポチさん。気持ちよさそう! ボクたちも撫でまわされたいっ!」
「やあ、スラリン、スライヌ、スライス。そこのニンゲン。スラリンたちも撫でてやってくれないかい?」
「おう、お安い御用だ! あと、俺の名はレオンなっ!」
シヴァ犬のまわりにはスライムたちが集まっていた。スライムたちはシヴァ犬の周りを可愛らしくぴょんぴょん跳ねまわっている。
レオンはスライムたちの上っ面を手で撫でる。スライムたちはくすぐったそうにしている。その仕草が愛くるしい。
(可愛いっ! 俺のペットにしたいっ!)
レオンは愛くるしいシヴァ犬とスライムたちとともに朝のひと時を楽しんだ。しかしながら、その楽しいひと時はすぐに崩壊してしまう。
スライムの1匹がくんくんとこちらの身体を嗅ぎまわしたのだ。しかも怪訝な表情になりながらだ。
「くんくん……キミから懐かしい匂いがスルヨ。これは魔王様の匂いダ!」
「えっ!? 俺から魔王の匂いがするって、それ、本当!?」
「うん。特にこっちの腕から、濃厚に漂ってクル!」
レオンは驚愕するしかなかった。スライムたちはこちらに魔王の匂いが感じる場所を教えてくれた。それは自分の左腕であった。左腕へとスライムたちが頬ずりしてくる。
さらにシヴァ犬ことポチがジト目になりながら、こちらの左側へと回ってくる。クンクンと何かを探るようにこちらの左腕の匂いを嗅いでいる……。
レオンはゴクリ……と息を飲んだ。スライムたちの感触が怖気に変わっていく。だが、スライムたちはこちらの気も知らずに、左腕全体をすっぽりとその粘り気のある身体で包みこんでしまった。
「ちょっと、何してるんだ!? 俺を食べる気か!?」
「ううん。違うヨ! 魔王様の身体をキレイキレイにしてあげるっ!」
「うわぁ! やめてぇ! お嫁にいけない身体にされちゃう!」
「うへへ。いいではないか、いいではないか。ホーレホーレ!」
スライムたちは遊んでもらっていると勘違いしているのか、喜びの色を小さな身体全体で示している。
レオンはスライムたちによって、全身をすっぽり粘液で包まれることになる。顔までスライムに覆われてしまった。
「むごぉぉぉ!」
「あっ、ごめんなサイ。空気穴を作っておくねー!」
「ぶはぁ! ひ、ひぃ! 誰か助けてぇ!」
「怖がらなくていいよ……だんだん気持ちよくなるカラ。天井のシミでも数えて、待っててね?」
ここは宿屋の外であり、空を見上げても、天井などありはしない。見えるものと言えば、だんだんと青くなっていく空。そして、建物の一部だ。
スライムたちの言う通り、気持ちよさが体中を駆け巡る。最初は恐怖していたが、スライムと一体になっていく感覚がやってきて、そのまま、身を委ねてしまう。
言葉で表すとしたら、足を伸ばせる湯舟にどっぷりと顔まで漬かっているような気分だ。
「あったっけぇ……ここは天国か?」
「喜んでくれているみたいで、こちらも嬉しいヨ。ついでにマッサージもしておくネ?」
「うひぃ! そこはラメェ!」
レオンはスライム風呂に浸かりながら、快感のツボを刺激されまくった。
耳に始まり、うなじ、肩、背骨、腰、ふともも、ふくらはぎと全身くまなくスライムマッサージを堪能することになった……。
◆ ◆ ◆
「んじゃ、マタネー! 魔王様!」
「お、おう。てか、俺の服、返して……返して」
「知ってル? この世にはルールがあるのっ! 働いたらその分の代価を頂かないといけないんダッ!」
「そんなーーー!」
「おいしく食べておくネ! イカ臭いシミがついたパンツは残しておくネッ!」
レオンは這いつくばりながらも、スライムたちの方へと手を伸ばす。スライムたちの体内にはオダーニ村のマグリ村長からもらった防具の数々が取り込まれていた。
その防具がゆっくりとスライムたちの体内で溶けていく。その様を涙をはらはらと流しながら、見ていることしかできないレオンであった……。
スライムたちが去って行った後、レオンはパンツ一丁でマントを纏う姿に変わっていた。
「うう……スライムたちに辱められたよ。俺、どうしたらいいんだ?」
「まあ、人生いろいろあるワン」
ポチがポンと肩に前足を乗せてきた。犬に慰められた……。とんでもない屈辱感に襲われてしまった。膝を地面につけて、体全体から哀愁を漂わせた。
そうしていると、自分の後ろの方でガチャリとドアが開く音がした。レオンは音が鳴った方へと顔を向ける。そこには驚きの表情となっているミルキーが立っていた。
「レオンさん!? どうしたの!?」
「ああ、ミルキー。スライムに襲われた……」
「……えっ? 何言ってるかわからない」
「いや!? そのままの意味だけど?」
「でも、裸にひん剥かれたってことは、スライムに負けたってことでしょ? 魔法使いの私でもスライムに負けたことなんてない。魔法抜きで勝てちゃうもん」
「まじかよ……俺、そんなに弱いの!?」
油断していたことは確かであった。気づいた時にはスライムたちに飲み込まれていた。さらには気持ちよさに抗えずに、スライムたちにやりたい放題させていた。
レオンは「ぐっ……」と唸る他なかった。せめて、スライム風呂に捕らわれるのであれば、自分じゃなくて、ミルキーかエクレアであってほしかった。
その想いが通じたのか、宿屋の入り口からエクレアが外へとやってきた。そのエクレアがゴミを見るような目でこちらを睨んできていた。
新しい快感に芽生えてしまいそうなほどの目力をエクレアから感じてしまう。
「やめて!? 俺をゴミを見るような目で見ないでっ! 感じちゃう!」
「けっ!」
「痛い! つま先で蹴らないでっ! こっちはほぼ全裸よぉぉぉ!」
エクレアは目力だけでは足らぬとばかりに革靴のつま先でゲシゲシとこちらを蹴飛ばしてきた。スライムにマッサージを受けたことで、こちらの身体は敏感になっている。
そこに痛覚を与えてもらえている。不覚にも悲しみの涙が一気に喜びの涙へと変わってしまった。
「もう、エクレア! レオンさんに何してるのっ!」
「ゴミを処分しようとしているだけですが?」
「勇者様なのよ! もっと優しくしてあげて!」
(すまん、ミルキー。たぶんこれ、エクレアは事情を知っているっぽい。昨晩、お前を襲おうとした俺に対するおしおきだ……。気持ちいいから、止めないでくれっ!)
しかしながら、レオンの心情を理解せず、ミルキーはエクレアを静止してしまっている。レオンは「くぅっ!」と唸るしかなかった。
レオンはパンツ1枚にマントを纏った姿で、その場で立ち上がる。電気椅子で喰らったダメージはすっかりと身体から抜け落ちていた。スライム風呂とスライムマッサージのおかげであった。
アフロになっていた髪の毛も元のツーブロックへと戻っている。レオンはすっきりとした表情になり、スライムたちが消えていった道路の向こう側へとその顔を向けた。
「ありがとうな、スラリン、スライヌ、スライス」
今はこの場にはいないスライムたちに感謝の念を伝えてみた。スライムたちからは当然、返事はない。
4月終わりの朝日がまぶしい。寂寥感が少しだけ去来した。それと同時に朝の気持ちいい風に乗って、布が飛んできた。それがレオンの顔面に直撃する。
「ぶべっ!」
風が一層に強まり、布がどんどんレオンの顔にからまっていく。レオンはもがきながら、頭にまとわりつく布を剥がそうとした。
「こ、これは……」
エクレアがいきなり驚きの声をあげた。レオンは布を剥がすのを止めて、エクレアの方へと身体と顔を向ける。エクレアはわなわなと身体を震わせている。
こちらが変態度をアップさせているので、当然とも思えた。しかし、それでもエクレアは驚くというよりも恍惚な表情となっている。思わず、怪訝な表情になってしまう。
「エクレア、どうしたんだ? 今の俺って、そこまで変なのか?」
エクレアはぶんぶんと強く首を左右に振っている。違うようだ。今の彼女の目には変態が見えていないらしい。ならば、何に見えているのかと聞いてみた。
「レオン様、いえ……勇者様! 貴方は今、伝説の勇者様の恰好をしていますっ!」
「へっ!? どういうこと!?」
「パンツ1枚でマントを翻す。その者、それだけでは足りずに、顔をマスクで隠す。されども堂々と振舞う」
「意味が分かりません」
「女神教会は伝説の勇者の真の姿を世の人々に広めていません。見た目、ド変態ですから」
「あっはい」
エクレアは膝を地面につけ、手を合わせている。敬虔と崇拝を示すポーズだ。
「ありがたや、ありがたや。伝説の勇者様のご降臨です……」
こちらは変態でしかない格好だというのに、エクレアは蕩けるような表情でこちらへと熱い視線を飛ばしてきていた……。