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第26話:謎の老人

 レオンは請求書を手にとり、それを自分の目に見えない場所へと放り込もうとした。虚空を左手でスライドする。そこに収納用の空間が出来上がる。


 その空間に請求書を入れようとすると、カウンターの奥にある扉からガチャリとドアノブが回される音がした。レオンはそちらへと視線を向ける。


 ドアの向こう側から高級そうなローブに身を包んだ白髪の老人が出てきた。レオンは首を傾げてしまう。そうだというのに、老人は「ほっほっほ」と意味ありげに微笑んできた。


 それだけではない。老人はカウンターをぐるっと回りこんで、レオンの横へとやってくる。老人はレオンよりも頭ひとつ分、背が低い。レオンは眉をひそめてしまう。


「そんなに警戒しないでおくれ。さあ、顔を見せてくれ」

「ちょっと、近い近い! 加齢臭がすっごい!」

「失礼な奴じゃて……」


 レオンは頬をがっしりと老人の手で押さえられる。さらには唇と唇が接触しそうなほどに、老人がこちらに顔を寄せてきた。


 レオンは顔を動かそうとしたが、老人の手によってがっちりとホールドされてしまう。


 逃げようがないレオンは老人の透き通る子供のような目で見つめられてしまう。その状態が1分ほど続く。


 老人は「ふむ……」と意味ありげな鼻息をレオンの鼻の頭にぶつけた後、レオンから身体を離してくれた。


 レオンはホッと一息つく。ようやく、加齢臭から距離を取ることが出来た。受付のお姉さんへと身体を近づけて、お姉さんの香しい大人の女性の匂いで鼻腔を浄化する。


「さて……レオン。見習い勇者(むっつりすけべ)じゃったな?」

「それがどうしたんですか?」

「奥に引っ込んでいても、そなたの力のすさまじさは感じ取った。本当にすごいのう……」


 老人が天井の穴をまじまじと見ている。しかしながら、レオンは針のむしろに立たされている気分になってしまう。


 こちらの気持ちを察したのか、またしても老人が「ほっほっほ」とほほ笑んできた。


 気持ちが悪いほど、老人の目は澄んでいた。3歳児のようなキレイな目であった。レオンは魅入られてしまいそうな感覚に襲われる。


「見習いは外してやろう」

「えっ! 昇格してもらえるってことですかぁ!」

「そうじゃ。今度からはニセ勇者(むっつりすけべ)と名乗るが良い」

「ズコーーー!」


 レオンはバナナの皮を踏んだが如く、その場で半回転しながら、ずっこけた。あまりにも勢いよくリアクションを取ってしまったために、背中をしこたま木の板の床にうちつけてしまう。


 さらにずっこけの勢いは止まらなかった。後頭部も木の床に打ち付けてしまった。その衝撃が頭の中を突き抜けて、さらには目から星となって飛び散っていく。


 レオンはその星を目で追いかけた。その星々にある情景が見えた……。


◆ ◆ ◆


 自分の周りに3人の人物がいた。彼女たちの恰好から、彼女たちの職業をなんとなくだが、すぐに判断できた。男戦士、女賢者、男僧侶だった。


「お前……戦闘中に怪しい踊りはやめろって言っただろぉぉぉ!?」


 男戦士がため息をつきながら、こちらに文句を言っている。しかし、自分は怒るどころか、へらへらとした顔つきになってしまう。


「まあいいじゃない。レオンから怪しい踊りを取ったら、レオンのアイデンティティが揺らいじゃうわ」


 こちらに寄りそう女賢者が自分を甘やかしてくれる。レオンは身を寄せてくれる女賢者の髪の毛に鼻をうずめて、くんくんと犬のように彼女の匂いを堪能する。


 彼女は甘いバラのような匂いをしていた。このまま抱きしめたくなってしまう。しかし、そんな状況を良しとしないように、男僧侶が割って入ってきた。


「$%▼殿……貴女はレオンを甘やかしすぎです。怪しい踊りはこちらのマジックパワーも吸い取ってしまうんですよ!」


 男僧侶が女賢者の名前を言った気がするが、聞き取れなかった。もう一度、女賢者の名前を言ってほしくて、レオンは口を開いた。


 だが、開いた口からは濃厚なピンク色の煙が吐き出されることになった。レオンは急いで、その口を閉じようとしたが、指1本、動かせなくなってしまう。


 自分の周りにいる3人は自分が吐き出した甘い息によって、その場で倒れ込む。そいつらを前にして、自分は高笑いし.怪しい踊りをこれでもかと披露していた。


◆ ◆ ◆


(なんだ、今の情景は? それといくつか魔法を思いだした……ぞ)


 レオンは痛む背中を手でさすりながら、その場で立ち上がる。頭を軽く振ることで、ずきずきとする後頭部からの痛みを無理矢理忘れることにした。


 先ほど見た情景はこちらをじっと見ている老人によって、すぐにぼやけてしまう。老人は白くて長い顎ヒゲを丁寧に右手で整えている。


 気を取り直して、老人とのやり取りに集中することにした。


「いたた……ニセ勇者ってどういうことなんですかぁ! しかも、むっつりすけべはそのままだしっ」

「ほっほっほ。逸るな、小僧。真の勇者の道は険しい」

「ごまかしました? むっつりすけべは関係ないですよね?」

「……ごほん。職業と称号は別扱いじゃっ!」


 老人に一喝されてしまった。それと同時に空気がピリッと張り付いた。もっと、むっつりすけべについて、言及したかったが、それを言わせないという雰囲気を老人が身体全体から発している。


 こちらが口ごもっていると、老人が受付のお姉さんとごにょごにょと話し始めた。


 受付のお姉さんがカウンターから離れる。しかしながら、10秒ほど後に戻ってきて、1枚の紙を老人に渡している。


 その紙を老人が今度はこちらに差し出してきた。


「困ったことに、ゴブリンがこの街の近くに巣を作ってしまったのじゃ」

「ふーん。それは大変なことで」

「ばっかもーん! おぬしは冒険者じゃろう!?」

「パンツ一丁でマントを纏う俺が冒険者に見えます!?」

「……見えない」

「そこは嘘でも見えるって言ってくださいよぉ!」


 そんなやりとりを老人としていると、アフロの髪型に変わったバーレがミルキーとエクレアを伴って、こちらへと近づいてきた。


 そして、老人から紙を受け取り、それに書かれている内容を「ふむふむ……」と言いながら読んでいる。バーレの口角がニヤリと上がったのが見えた。嫌な予感がした。


「レオン、おれっちはこの依頼を受けても良いと思うぜ」

「えーーー? 俺はあんまり乗り気じゃない……」

「なんでよ。ほら、これを見てみ?」

「えっと……まじかよ! 冒険者ギルドの修理代をまけてやるって書いてあるぅ!」


 レオンは抱いた懸念をすっ飛ばされた。依頼書の最後に書かれている1文に目が釘付けとなってしまう。


 依頼書にはこう書かれていた。ゴブリンの巣を潰すことが主目的だ。巣を潰してくれたならば、冒険者ギルドの修理代を半分にすると、はっきりと書かれている。


「どうだ、やってくれるか?」


 老人がまっすぐな目でこちらを見ている。レオンはこくりと頷く。


「俺たちに任せてくれ! ついでに、むっつりすけべの称号もはぎ取ってやる!」

「それは無理じゃ」

「えええ!? なんで!? むっつりすけべは呪いか何かなんですかぁ!?」

「……呪いか。確かに言い得て妙じゃな」


 老人がこちらから視線を外し、さらには天井へと顔を向ける。何か言いたげな表情をしている。レオンはごくりと息を飲み、老人の言葉を待った。


 しかしながら、なかなか老人は口を開こうとはしない。レオンは老人に聞こえるくらいに大きくごくりと息を飲んでみせた。


 老人は静かにこちらに顔を向けてきた。先ほどとは違い、真剣な表情となっている。


「実はだな……その称号は神がつけたものなのじゃ」

「女神様なのかよ! ズコーーー!」


 改めて、ずっこけた。勢いよく転んだため、またしても背中と後頭部を打ち付けてしまう。


 しかしながら、今度は先ほどのように懐かしくも感じたあの情景が浮かぶことはなかった。


(いたた……ずっこき損をしちまった)


 背中をさすっていると、エクレアが膝を折って、急いで回復魔法をかけてくれた。さらにはこちらが身体を起こすのを手伝ってくれる。


「勇者様! 御気分は?」

「あ、ああ。ありがとう……てか、近いよ!? 狙ってた!?」

「それは……あなたの勝手な想像です。さりげなく近づく機会を狙っていたのは確かですが……」

「お、おう!? 俺、ずっこけないように気を付けとくね!?」


 レオンはこちらの身体に腕を回してくるエクレアを無理矢理剥がそうとした。しかし、それでもエクレアはぐいぐいと近づいてくる。


 見かねたバーレがレオンとエクレアの間に割って入ってくれた。


「話が進まん。ちょっと待ったな」

「んもう!」


 エクレアは親指の爪をガジガジとかじながら、バーレを睨んでいる。エクレアの称号をセクシーギャルから地雷女に変えてほしいとすら思ってしまうレオンであった。


 老人がもう一度、レオンの近くへとやってくる。老人はいたずら小僧の目をしていた。


「実力がともわないと感じたなら、サブ依頼のゴブリンの巣を守る周辺のゴブリンを1匹でも多く倒すをこなしてくれてもいいんじゃぞ?」

「それって、挑発のつもりですか?」

「ニセ勇者(むっつりすけべ)には少々、荷が重いかもしれんなぁと思い直したまでじゃて」

「それを挑発って言うんですよ?」

「ほっほっほ」


 喰えぬ老人だった。レオンはニヤリと口角を上げる。仲間たちと顔を見合わせる。バーレはこくこくと頷いている。ミルキーは「私は出来る子よっ!」と意気込み過ぎている。


 そして、エクレアは恍惚な表情で、こちらを見てくる。レオンはスッ……とエクレアから視線を外すと、エクレアが「勇者様ぁぁぁ」と艶めかしくも悲しげな声を出してきた。


 エクレアを見ないようにして、ミルキーへと近づく。そして、彼女の肩にそっと手を置く。すると、彼女はびっくん! と可愛らしく大きく身体を跳ね上がらせた。


「レ、レレレ、レオンさん! 私、大丈夫ですからっ!」

「ちょっと落ち着いて? 相手はゴブリンなんだから、そんなに緊張することないだろう?」


 レオンはミルキーの経歴を冒険者登録名簿でしっかりと確認している。その情報から考えるに、ゴブリンなぞ、服についた鼻くそを指で弾き飛ばすくらいに簡単なはずである。


 ミルキーの本当の実力は現地で確認しないといけないが、それでも、彼女がこれまで倒してきたモンスターの名前を見る限り、何の心配もなさそうであった。


 ミルキーが何をそこまで緊張しているのか、レオンはこの時点ではわからなかった……。

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