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第61話 佐祐の隠れ家

 足を止めてしまった碧音に気付いた龍海が、そっと肩に触れる。

その温かさが、この落ち着かない空間で碧音を慰めてくれた。彼の指から伝わってくるたしかな体温が、碧音を現実に引き留めてくれる


(こんな場所で、一体何を……していたのかしら)


 目の前に広がる光景は、碧音の想像を遥かに超えていた。

部屋の中央に鎮座しているのは、一見祭壇。だが、祭壇と呼ぶにはあまりにも禍々しく、重い空気をまとっている。

 黒い石で組まれた台座の上に置かれているのは、真実の鏡を模したであろう銅の鏡だった。

 だが、神殿に安置されている神聖な鏡とは似ても似つかない禍々しい雰囲気だ。

 さらに、鏡の側には女性が身に付ける装身具が置かれていた。髪飾り、腕輪に指輪――黄金と石を連ねた首飾りも。

それは、神女達が、重要な儀式を行う時に身に付ける品に酷似していた。

いや、違う。


(これは、お母様が神女見習いだった頃使っていた品だわ……!)


 母は、かつて神女見習いだった。そして、王宮内にはびこる呪いに対抗しようとしていた――封じ込めには成功したものの能力を失い、それでも戦うために父に嫁いだと聞いている。

 どうしてだろう。母が神女だった頃なんて知らないのに。

 なのに、そこに置かれている品々は、かつて母の手にあったものだと確信してしまう。

 龍海の肩に力が入ったのを、碧音は感じ取った 。

 彼もまた、この場所の異常さに圧倒されているのかもしれない。それなのに、彼の手は決して碧音の肩から離れず、何があっても対処できるよう周囲に注意を払ってくれているようだ。


「これが……佐祐が長年にわたって行ってきた呪術の全貌か」


 碧音の指先が、無意識に胸にしまった鈴に触れる。母から受け継いだ鈴が、不安を解消してくれるみたいに思えた。

 銅の鏡を見つめていると、碧音の心の奥で何かが囁いた。

それは記憶ではなく、母から受け継いだ力かもしれない。

 この祭壇から、見えない糸のようなものが神殿へと伸びている。それは呪いの糸だった。

佐祐がここで唱える呪文の一つ一つが、その糸を通って真実の鏡へと送り込まれ、神聖な神具を少しずつ、確実に汚染していく――おそらく、そんな呪いだろう。。


「碧音殿。大丈夫だ。俺もここにいる」


 彼の言葉が、碧音を落ち着かせた。そうだ。碧音は一人ではない。

母が一人で背負わねばならなかった重荷を、共に背負ってくれる人がいる。


「やれやれ、執念深い方々だ。長い間、ここには誰も来なかったのですがね」


 不意に声が響く。

今まで気が付かなかったのだが、壁際にはもう一つの戸があった。そこから佐祐が姿を見せる。

二人がここにいるのに眉を上げたけれど、慌てた様子はまったく見せなかった。

 わずかな光に照らされた彼の顔は、碧音が知っている父の側近とは別人のようだった。


「お前が何を企んでいたのかは知らないが、その企みなら俺達がつぶす。絶対に」

「ですが、もはや手遅れでございますよ?」


 佐祐の唇が、勝利を確信しているかのように歪んだ笑みの形になる。


「なぜ、お母様の使っていた神具がここにあるの?」

「……なぜ、それが陽花様のものだと?」


 佐祐は肩をすくめたが、否定はしなかった。やはり、母の持ち物だったと確信したのは間違っていなかったようだ。


「神具には、使っていた者の霊力が宿るのですよ。櫛や、装身具も入手できればもっとよかったのですが……」


 佐祐の声に、初めて悔しさが滲んだ気がした。


「……なぜ、このようなことを?」


 佐祐が、わざわざ邪道に手を染める理由が、碧音にはわからなかった。

 父の側近として長年父を支えてきたのだ。碧音には軽蔑しているような目を向けることもあったけれど、自分の立場に十分満足しているように、碧音の目には映っていた。


「なぜ? あなたにはわからないかもしれませんね」


こちらを見る佐祐の表情は、何を意味しているのだろう。

「傍系の血筋として生まれ、どれほど才能があろうと、どれほど尽くそうと、決して当主にはなれない。あくまでも、私は使い走りだ」

「そんな……お父様は、あなたを信頼しているのに」


 娘である碧音よりも、佐祐を信頼していたほどだ。常に側に置き、何かと相談を持ちかけていた。重要な使者には、しばしば彼が立てられた。

 だが、碧音の言葉にも、佐祐は鼻を鳴らしただけだった。


「それは、あなたが無能だったからでしょう」


 その言葉を聞いた瞬間、碧音の胸の奥で複雑な感情が渦巻いた。


(私は……たしかに、何もできなかったけれど)


 たしかに生家では、碧音はできそこない、無能として扱われてきた。佐祐だって、碧音をそう扱ってきた――けれど。


「だが、私は違う。私には力がある――」


 佐祐の血筋への恨みが、こんなことをさせたのだろうか。

 龍海が、碧音をかばうように前に出た。


「私は、間違っていませんよ――才能ある者は評価されるべきだ。それが真の秩序というものでしょう」


 佐祐の声に迷いはなかった。自分でもそう信じ込んでいるのだろう。

 彼の周囲に、目に見えない邪気が立ち昇り始める。

 その時、佐祐が手を翻した。

 鬼術の気配が部屋を満たし、空気が重く、粘りつくように感じられる。


「この場で、決着をつけるのがよろしいでしょう」


 龍海が剣を抜く。そうしながら、もう片方の手で碧音に後ろに下がるよう合図してきた。碧音は、そろりと壁の方へと引き下がる。

 いつでも、加勢できるように身構えながら。

 鬼術が放たれた瞬間、世界が変わったような気がした。

 空気がぐんと重くなる。

 龍海がするりと動いた。黒い影のような邪気が佐祐の回りに蠢いているが、舌なめずりするその表情だけは妙に人間的だった。



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