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第60話 部下の報告

 千代の部屋に近づくにつれ、碧音の胸の奥では、不安がもやもやとうごめくようになっていた。

 綾女の部屋で目撃した佐祐の不審な行動――あの時の彼の表情は、何を意味しているのだろう。

 同行してくれた龍海も何を考えているのか、口を開こうとはしない。

 碧音も口を開く機会がないまま、千代の部屋の前まで到着していた。


「千代様」


 龍海が静かに声をかけると、静かに部屋の戸が開かれた。


「よく戻った。どうだったか?」


 千代の声は穏やかだったが、その奥にある緊張を敏感に感じ取った碧音は一瞬言葉に詰まる。どこから話せば、あの異様な光景を正確に伝えられるだろう。


「綾女殿の部屋で……橘家の佐祐を見ました。何かを探っているような、そんな様子でした」


 言葉に詰まっていたら、龍海が先に口を開いた。

 碧音の記憶に、あの瞬間が鮮明によみがえる。

 薄暗がりの中で、佐祐が何かを探している姿。

 彼の手が机の引き出しや箪笥を丹念に調べていたこと。

 何かを求めるような、それでいて諦めにも似た表情を浮かべていたこと。

 そして、二人の存在に気づいた時の、あの一瞬の動揺と、すぐに立ち直って見せた冷静さ。


「……佐祐、か。陽花も、彼の者のことは気にしていたようではあったが……では、綾女を探さねばなるまいな。部屋には、いなかったのだろう」


 綾女はどこに行ったのか、王妃の宮でも把握していないそうだ。

 龍海と碧音は、二人そろってうなずく。千代が、次の指示を出そうとした時だった。

 庭から、こちらに近づいてくる足音が聞こえる。その足音は忍びやかなものであったけれど、碧音の耳はきちんとその音をとらえていた。

 千代に目線で指示された碧音は立ち上がり、庭へと続く戸を開く。

 そこに膝をついていたのは、見知らぬ青年だった。落ち着こうとしているようではあるが、彼も興奮を隠すことができていないようだ。


「龍海殿下、ご報告に参りました」

「何事だ?」


 龍海は驚くことなく、青年に対応している。ということは、彼は龍海の部下なのかもしれない。


「橘佐祐が、隠れ家のように使っている場所を発見しました」

「どこだ?」


 龍海が鋭く問いかける。膝をついたままの青年は、言葉を重ねた。


「王宮を出て、東に進んだところにある古い建物です。もう何年も使われていないようなのですが……佐祐は地下に降りていきました。あとを追おうと思ったのですが、妙な気配を感じて戻ってまいりました」


 青年の報告を聞いている間、碧音は胸がざわざわするのを抑えられなかった。

 今、伝えられた場所。そこに何かある。そんな気がしてならない。


「そこに、鏡を穢している原因があるかもしれない。調べみろ」


 千代の視線が碧音に向けられる。碧音を心配しているのと同時に、信じている――そんなまなざし。


「十分に気をつけて。そなた達ならば問題ないだろうが、佐祐はそなた達が考えているよりも、ずっと危険な存在だ」

「……はい」


 碧音も龍海もうなずいた。


「ご案内します」


 青年が先に立って歩いていく。龍海と碧音は、静かに彼についていった。

 人のいない道を選んでいるのだろうか。誰ともすれ違うことなく、王宮の外に出るのに成功する。

 青年が案内してくれたその建物は、まるで時の流れに取り残されたかのようだった。周囲には人の気配もない。

 王宮からそんなに離れていないのに、こんな場所があるなんて。


(……でも、なんでこんなに不気味なのかしら)


 建物の外壁に触れると、指先に冷気が忍び寄ってくる。うかつにここに踏み入るのは危険だ。


「……待ってください、殿下。嫌な気配がするのです」

「わかった。碧音殿に任せよう」


 碧音は、大きく息を吸い込んだ。落ち着いて、吐き出す。

 千代が、碧音に邪気の違いを感じ取らせようとしてきたのは、このためだったのだろう。


(嫌な気配がする。でも、邪気……ではなさそう)


 もやもやとした嫌な気配は感じるが、危機を覚えるほどではない。


「殿下、嫌な気配はありますが……邪気というほどのものではなさそうです。用心して進みましょう」

「わかった。注意して進もう――そなたは、他の者が来ないよう見張っていてくれ」 


 案内してくれた青年にそう命じた龍海は、そっと建物の戸を開いて中の様子を伺う。中に誰もいないのを確認してから、龍海と碧音は、中へと滑り込んだ。


「……地下への入り口はここか」


 低い声でそう言いながら、龍海は床を指さす。床が四角く切り取られていた。

 床に作られた戸に手をかけ、彼はそれを持ち上げた。

 下から上ってきたのは、今まで感じたことのないような冷気だった。冷気だけではない。不穏な気配も立ち上ってくる。


「足元がよく見えない。気を付けて降りろ」


地下の部屋から、わずかな明かりが漏れている。その明かりを頼りに階段を下っていく。石段が足音を響かせてしまわないように、気を付けながら。


(お母様も、こんな恐ろしい経験をしたのかしら)


 下るにつれて、空気はますます重くなり、肌にまとわりついてくるような気がしてならない。ともすれば足が止まってしまいそうで、懸命に龍海の後をついていく。

 龍海が先に立って歩く背中を見つめながら、彼の存在だけが唯一の安心材料だということを改めて実感する。黒い衣に包まれた彼の背を追いかけるだけで、恐怖を忘れることができた。

 階段を下ると、そこにあったのは木製の戸だった。

 その戸の隙間から、光が漏れている。

戸に身を寄せた龍海は、中の様子をうかがっているようだった。碧音に手で合図しておいて、戸を開く。

その向こうに広がっていたのは、想像していたよりもずっと広い空間だった。そして、その中央に鎮座する異様な存在に、心臓が一瞬止まりそうになった。


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