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第59話 告白

 二人は人目を避けて裏の小径を歩いていた。

 懐にしまってある母の櫛と呪符を痛いほどに意識しながら、碧音は隣を歩く龍海を見上げた。


「殿下」

「どうした?」

「建志殿下のことですが……」


 建志の宴での出来事が、まだ忘れられない。深紅の衣装で建志に寄り添う綾女の姿。そして、あの不自然な雰囲気。

 龍海は一瞬歩みを止めかけたが、すぐに歩き始めた。


「あの宴は、俺も気になっている」


 その声には、苦い響きが含まれていた。珍しい響きに、碧音はまた彼の顔を見上げる。


「兄上は最近、様子がおかしい。以前なら、あんな……」


 言葉を切り、龍海は眉をひそめる。何か、気になることを思い出したらしい。


「あんな?」

「いや、なんでもない」


 龍海は首を振ったが、碧音には彼が何か重要なことを隠しているように思えた。

 不思議なものだ。並んで歩きながら、不意にそう思う。彼から逃げ出したいと思っていたはずなのに、彼が困っているように見えると碧音も気になってしかたないのだ。


(龍海殿下も、何か抱えているのかしら)


 それきり、二人は無言のまま歩き続ける。

 やがて、神殿の境内に入る。皆、それぞれの仕事や修業に忙しいようで、あたりに人気はない。


「少し、話をできないか」


 龍海の提案は突然のものだったけれど、碧音は頷いた。

 道端に岩が三つ並んでいる。二人は、なんとなく、両端にわかれて岩に腰かけた。


「碧音殿」


 その声は、いつもより真剣だった。


「はい」

「……話をすべきかどうか、今でも迷っている」


 龍海は空を見上げる。その横顔には、苦悩の色が浮かんでいた。ただならぬ雰囲気に、碧音もまた緊張し始めた。


「……話して、くださいませんか?」


 今、聞いておかなかったら後悔するような気がしてならない。小さな声で、うながした。


「夢を見るんだ」

「夢……ですか?」

「ああ。何度も、同じような夢を」


 龍海は視線を落とし、地面を見つめる。


「その夢の中で、俺はいつも誰かを守ろうとしている。大切な人を、必死に」


 碧音の心臓が、どくりと跳ねた。


(もしかして……)


 彼も、碧音と同じような夢を見ているのだろうか。生々しい、生と死の夢を。

 自分ではない自分の人生。


「でも、いつも失敗する。その人は俺の目の前で……」


 龍海の声が震える。碧音は息を呑んだ。


「その人の顔は、はっきりとは見えなかった。でも」


 龍海がついに碧音を見つめた。彼の目には、深い悲しみが宿っている。


「君に初めて会った時、既視感に襲われた。まるで、ずっと前から知っているような」


 それは、碧音も同じだった。

 初めて龍海に会った時の、あの不思議な感覚。恐怖と懐かしさが入り混じった、説明のつかない感情。


「それ以来、夢はより鮮明になった。夢に見たどの人生でも、守りたい相手が、君に見えるようになった」


 碧音は言葉を失った。それは、碧音と同じ前世の夢ではないか。


「馬鹿げていると思うだろう? 夢と現実を同一視するのはおかしい。でも、君を見る度、守らなければという気持ちに駆られる。理由もわからないのに」


 龍海は自嘲的に笑ったが、碧音はそっと息を吐き出した。

 彼もまた、碧音と同じように人生を繰り返していたというのか。だが、彼の話は碧音の記憶とは矛盾している。


(夢の中で、私を守ろうとしていた……?)


 碧音は困惑していた。彼女の記憶では、前世で自分を殺したのは龍海だったはずだ。

 冷たい水の中で息ができなくなる恐怖。胸を貫く刃の痛み。そして、朦朧とする意識の中で見た彼の姿。それは間違いなく、龍海だったと思っていた。


(でも、殿下は「守ろうとしていた」と言った)


 どちらが本当なのだろう。碧音の記憶が間違っているのか、それとも龍海が何か勘違いしているのか。

 前世の記憶は、断片的で曖昧だ。

死の瞬間の記憶など、なおさらはっきりしない。恐怖と苦痛で歪められた記憶が、真実を映しているとは限らない。


「碧音殿、大丈夫か?」


 龍海の心配そうな声に、碧音は我に返った。


「あ、すみません。少し考え事を」

「俺の話が、君を困らせたか」


 その声には、後悔の色が滲んでいる。碧音は振り返り、龍海の顔をじっと見つめた。


(この人が、私を害そうとするはずがない)


 心の奥で、静かな確信が生まれた。

 過去の人生でも、今の人生でも、龍海は真摯な人であった。

 初めて王宮で出会った時、彼は逃げようとする碧音を追いかけはしなかった。それどころか、心配そうな眼差しを向けていた。

 建志の宴では、碧音を危険から遠ざけようとしてくれた。

そして今日も、綾女の部屋を調べる時、真っ先に碧音の安全を確保してくれた。

 死の瞬間など、正確に覚えているはずもない。恐怖で歪められた記憶が、別の誰かを龍海だと思い込んでいたのかもしれない。

 あるいは――そこまで考えて首を振る。


「私も……似たような夢を見ます」

「本当か?」

「様々な人生の夢を見ます。夢の中の私は……毎回……」


 言葉が詰まって、口を閉じた。

死ぬとは言えなかった。毎回殺されるとは、なおさら。


「でも、今回は違うと思うんです……今度こそ、運命を変えられる気がして」


 今回は、自分が殺される運命を繰り返してきたことを知っている。

それに、もう一つ。

 今回の人生では龍海もまた前世の記憶を持っていると知った。

――ならば。

今度こそ、不本意な死から逃れられるかもしれない。


「俺も、そう願っている」


 二人の間の空気が、今までのものと大きく変化した気がする。

 今度こそ、大丈夫だ――龍海と話をできた今回の人生では。

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