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第58話 佐祐の行動

 本殿を飛び出した碧音は、龍海が日頃剣を練習している場所へと走った。何もなければ、彼はたいていそこで剣を振っている。


「どうした?」


 息を切らせて駆け込んできた碧音を見て、龍海が剣を下ろした。


「千代様が、千代様が……!」


 走ってきたことで息は乱れている。両手を膝に置き、呼吸を整えようとしている碧音の背に、そっと彼の手が添えられた。


「千代殿の身に何があったのだ?」


 龍海の声が、緊張で強張っている。なんとか呼吸を整え、碧音は顔を上げた。


「本殿に祀られている神具が邪気に穢されていて……千代様は、邪気を封じるために本殿に残ったんです」

「本殿が?」


 その重要性に、龍海はすぐに気づいたようだった。本殿は、もっとも神聖な場所である。そこまで邪気に侵されている。


「だが、俺に何ができる?」

「千代様は、誰が鏡を穢したのか知る必要がある、と……」

「わかった。手を貸そう」


 龍海に協力を依頼してあるという千代の言葉は、嘘ではなかったようだ。彼はすぐに剣を収めた。


「でも、どこから探したらいいのか……」

「碧音殿。昨夜のこともある。兄上、佐祐、綾女殿……まずはこのあたりから調べてはどうだ?」

「……そうですね」


 彼の言う通り、まずはそこから調べていくのが一番よさそうだ。


「綾女の部屋に案内します。今なら、王妃様のお側でお勤めしている頃ですから」


 昨日は建志の屋敷にいた綾女だったが、王妃の侍女を辞めたという話は聞いていない。昨日は、あの場に招かれていたのだろう。

 綾女の部屋は、侍女たちの居住区域にある。少し前までは、碧音もここで生活していた。

 他の人の目に触れないように進み、綾女の部屋へと到着する。念のため、戸を細く引き開けて中を見てみたが、誰もいないようだ。

 他の人の居室を勝手に調べる罪悪感からか、戸を引く手が震える。


(でも、証拠を見つけないとだし……)


 意を決して室内に入る。

 部屋の中は、思いのほか整然としていた。寝台も机も、塵一つない。綾女はきちんと室内を整理しているようだ。


「手分けして探そう」


 龍海が低い声で言う。頷いた碧音は、音を立てないようにしながら静かに部屋の中を動き始めた。

 引き出しを開け、寝台の下を覗き、棚もすべて確認する。しかし、特に怪しいものは見つからい。棚の箱の中にあったのは、美しい装身具だった。


 髪飾りや首飾りに耳飾り。侍女が身に着けるには少々豪華すぎるようで、王宮で使っているのを見たことはない。


 壁際に押し付けるように置かれている木箱の蓋を開いてみる。中には、衣がぎっしりと収められていた。いずれも手の込んだ美しい品だ。


(……証拠なんて、ないのかもしれない)


 諦めかけた時、碧音は鏡台の前で足を止めた。


「どうした?」

「この鏡台……何か気になるんです」

「そこは、何もなかったぞ」


 鏡台に置かれているのは、銅の鏡と櫛。それに、紅や黛などの化粧品に化粧筆等。

 碧音の目から見ても、おかしな点はない。

 それでも、吸い寄せられるように手が伸び、引き出しを引く。


「これ、私のです。いつの間に……」


 碧音は櫛を手に取る。間違いない。これは先日、部屋から消えた母の櫛だ。螺鈿細工の美しい櫛。なぜ綾女の部屋に。


(お母様の形見が、なぜここに)


 手に取ると、ほんのりと温かい感覚が伝わってくる気がした。


「すまない。鏡台に櫛があるのはおかしいとは思わなかった」

「いいえ、私のだと殿下は知らなくて当然ですし」

「碧音殿。ちょっといいか……奥に何かあるようだ」


 龍海がいきなり今碧音が引いた引き出しを完全に引き抜いた。そして、開いた空洞に腕を入れたかと思うと、その腕を引き出す。出てきた時には、指の間に折りたたまれた紙が挟まれていた。


「これは、呪符か?」


 碧音は紙を受け取り、慎重に開く。そこには複雑な文様が描かれていた。


「……たしかに呪符ですが……我が家の使っているものとは違います」


 橘家の呪符は、碧音も見慣れている。しかし、これは基本的な構造は似ているものの、異質な要素が混じっていた。


「まさか!」


 母の手記に書かれていたことを思い出した。

 橘家の呪符に不満を覚えた者が、様々な術を取り入れようとしていたことを。母が父に嫁いだことで、その活動はなりを潜めたはずだった。


(だったら、綾女は彼らの研究の成果を受け継いだというの?)


「この呪符が何を目的としているのかさえわかれば……」


 碧音は、呪符を読み解こうとした。だが、見たことのない術式で、解読には時間がかかりそうだ。

 その時、廊下から足音が聞こえてきた。


「誰か来る」


 龍海は素早く碧音を窓から外に出すと、続いて外に出てきた。

 それだけではなく、そのまま中の様子を伺い始める。碧音も彼にならい、少しでも室内の気配を探ろうとした。


(……佐祐?)


 入ってきたのは、佐祐だった。彼は、迷うことなく鏡台に歩みを進める。そして、引き出しを引いた。


「……ない?」


 彼は何かを探しているようだ。櫛だろうか、それとも呪符だろうか。

 龍海が碧音の腕を引く。

 そのまま庭に下り、神殿に戻るのかと思ったら、彼はまた別の場所に身を潜めた。侍女たちの生活区域に出入りする者を見張れる場所だ。

 すぐに佐祐が出てきた。その表情は、困惑と焦りが入り混じっている。


「佐祐、侍女達の生活している空間にこそこそ出入りするとは……何が目的だ?」


 龍海は身を潜めていた場所から外に出て、佐祐に声をかける。

 佐祐は一瞬驚いたようだったが、すぐに平静を装った。


「私は、ただ当主様のご命令で」

「お父様の?」


 碧音も姿を現す。佐祐の目が、一瞬鋭くなった。


「おや、碧音様。あなたもおられたのですか。これはこれは仲のよろしいことで」


 自分の立場をわかっているのかいないのか、当て擦るような目をこちらに向ける。かっとなった碧音が口を開こうとするのを、龍海は手を振って押しとどめた。


「何を命じられた?」

「何、王宮も神殿も騒がしい様子。橘家が何かお力添えできないか、綾女様にご相談に伺っただけですよ」


 にやにやとしているが、その笑みの裏に別の意図が隠されているのは明らかだった。


「そうか。では、戻るがいい」


 龍海は意外にも、佐祐を解放した。


「……殿下?」


 佐祐が立ち去った後、碧音は疑問の声を上げる。


「迷わず、碧音殿の櫛が置かれていた引き出しを開いたな」


 龍海は低い声で言った。


「ええ。まるで、そこに何があるか知っていたように」

「佐祐はもう少し泳がせておいた方がいいだろう。今、橘家とことを構えるのは得策ではないし」


 確かに、父が関わっている可能性がある以上、慎重に行動すべきだ。


「この呪符、千代様に見ていただきましょう。きっと、何か分かるはずです」

「そうだな。それから、今夜また調べに戻ってこよう。佐祐の動きも気になる」


 二人は神殿へと戻ることにした。

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