「うーん、状態が入れ替わる、というわけではないみたいだな」
食事を終え、ゆっくりと茶を啜りながら、魔法の灯りに照らされた2枚の羊皮紙。そこには何も書かれていない。もちろん、この2枚は文字が書かれていたものだ。
カリオピウム製のインクによって書かれた文字が、月明かりによって消えることは分かった。
だが、消えていたものがそのまま月明かりで戻るわけではないようで、その結果が何も書かれていない2枚というわけである。
「他にどんな条件があるんでしょうねえ」
「うーむ」
リケ(彼女は食事中から引き続き火酒を嗜んでいる)に聞かれて、俺は腕を組んだ。
色々試して消えなかった文字が、月明かりを鍵として消えたのだから、現れるときも月明かりが鍵だとは思うんだがな……。
前の世界で言えば、擦って消せるボールペンの文字が、冷やせばまた現れる、つまり、熱を鍵として消えたり現れたりするように、である。
「普通、こういう場合のきっかけは同じものと相場が決まってるもんなんだがなぁ」
腕を組んだまま俺は言って、空を見上げる。綺麗な月と星々が俺たちを見下ろしていて、今のような気持ちでなければ、ただただ純粋に綺麗だなと思えるところだが、そういう気分でもないのが正直なところだな。
「でもまだ時間はあるんでしょ?」
アンネが言って、俺は頷く。
「まあね。今でも早いっちゃ早いくらいだ」
期限はあるが、それにはまだまだ遠い。むしろ、今完成したのなら相当に早くできたことになってしまうほどである。
「ならゆっくりやればいいじゃない」
呆れたようにアンネが続ける。彼女の言うことは正しい。時間があり、今すぐに打つ手がないのなら、時間いっぱいまで考えればいい。
文字が消える条件が分かっただけでも、「文字が消えるインク」としてなら役に立てるわけだし。
とは言え、である。
「ここまで分かったのに、もう一歩が届かないのがなんだか悔しくてな」
それが俺の正直な気持ちである。ここまでできたのなら、もういっそ素直に文字が現れてくれれば良いのに。
まだ見ぬこの世界の月の女神を恨んでしまいそうである。口に出したらギリシャ神話もビックリの報復が待っているかも知れないので、口が裂けても口には出さないが。
「ま、エイゾウは今できることをやってるんだから、あんまり気にしすぎんなよ」
俺の近くに座っていたヘレンがそう言って、バシンと俺の背中を叩く。
少し緩んでいた俺の心に、気合いが入る。同時に手にしたカップから茶がこぼれてしまったのはご愛敬と言うやつだな。
「そうだな、明日できることは、また明日頑張って考えよう」
いつまでもウジウジしていても仕方がない。ここは気持ちを切り替えて、明日頑張っていくしかないな。
気持ちを切り替えるのに、さしあたって俺ができることはしっかりと寝て、明日のエネルギーを回復することだ。
そうと決まればと、俺は片付けて先に寝る準備を始め……ようとした。
片付けには当然、今回の羊皮紙も含まれている。それを回収しようと思って手に取ると、
「文字が出てる……」
そう、ついさっきまで出ないと悩んでいた、カリオピウムインクの文字が、再び羊皮紙に現れていたのだ。
「ちょ、ちょっと待てよ」
俺はそう言って、さっきから今までの出来事を必死に思い返すのだった。