春の陽気に誘われてか、いつもよりも賑わっているように見える街中を進み、やがてクルルの牽く竜車はカミロの店についた。
到着すると、丁稚くんが今日も元気に駆け寄ってきた。
「おう、今日も頼むな」
「はい! お任せください!!」
彼の朗らかな笑顔に、俺たちの心も緩む。クルルもルーシーも気に入っているようで、すぐに駆け寄って遊ぼうと催促している。
ハヤテはと言うと、いつの間にか現れていたアラシと一緒に、何事かを話しこんでいる……ように、鳴きあっている。
マリベルは既に姿を消している。次の納品くらいでカミロと番頭さん、丁稚くんには話しておこうかな……。
荷車をいつもの倉庫に入れ、俺たちは大事なインクを手に、商談室へと上がっていった。
勝手知ったるカミロの店。俺たちはいつもの通り、自分たちで商談室に入ってカミロを待つ。
しばらくしてドアがノックされ、すぐにカミロと番頭さんが入ってきた。
俺は立ち上がりもせず、手だけをあげて挨拶をする。
「よう。ちょっと時間がかかっ……」
その軽口は途中で中断された。番頭さんの更に後ろに、予想していなかった人がいたからだ。
「ルイ殿下!」
俺は思わず立ち上がってその人物を呼ぶ。家族の皆もつられてか、一斉に立ち上がった。
「その様子を見ると、どうやら不意打ちは成功したようだね」
「そりゃあもう」
俺の背中を冷や汗が伝う。皆、膝をつこうとしたが、ルイ殿下は身振りで止めた。
「ああ、ここで畏まる必要はないよ」
俺たちは戸惑いながらも、殿下の言葉に甘えることにした。
殿下は嬉しくて仕方がない様子で言葉を続ける。
「インクが完成したと聞いて、私が来ないわけがないだろう?」
「言われてみればそうですが……」
インクが完成したとカミロに連絡したのは昨日の昼過ぎくらいだ。そこからマリウスのところへツジカゼをやり、マリウスがルイ殿下に伝える時間は余裕であったはずである。
それで報告を聞いたルイ殿下が今日の朝一、それこそ俺が水を汲みに出ているような時間に都を出立すれば、俺たちに先んじてここに到着することは不可能ではない。
朝一なら目立ちにくいというメリットもあるし。
そして、それが可能となればやって来ない殿下ではない。帝国の皇帝陛下とは違って、表向きの立場は閑職だ。
「これはアンネ殿下。お久しゅうございます」
「ルイ殿下もお変わりないようで」
2人とも微笑んでいるが、あまり目が笑っていない。今現在は特に遺恨があるわけではないだろうが、どうしても身構えてしまうのだろうな。
コホン、とディアナが小さく咳払いをし、その様子をボーッと眺めていた俺は我に返る。
「おっと、殿下。早速ですが、こちらがそうです」
「おっ」
俺がうやうやしく差し出した瓶を、殿下が受け取った。殿下はその栓を開けて匂いを嗅ぐ。
「匂いじゃ分からないね!」
「まあ、匂い自体はただの金物ですからね。条件はご存じですか?」
「ああ、知っているとも。カリオピウムインクでしたためたという文書はまだ預かってないから、実際に目にはしてないけどね」
「なるほど」
殿下は文書の入手も直接したかったのかな。一応機密だからカミロのところからは伝書竜を使わなかったのかも知れない。
「文書はこちらに」
「うん、ありがとう」
俺が昨日書いた文書を番頭さんが差し出し、殿下が受け取った。
サプライズはさておき、インクについてはこれで俺の仕事は終了だ。
「さて、色々話したいところだけど、いくつか仕事が残っていてねえ」
やれやれと、殿下が大きくため息をつく。仕事を放ってくるのは感心はしないが、このインクはインクで機密だし、直接出向く意味合いはある。
とはいえ、半分は趣味に近い部分もあるし、移動距離を考えなければ息抜きにも良かったのかも知れない。
「それじゃ、報酬はカミロくんから受け取ってくれ。私はこれで」
「もうお帰りですか」
シュタッと片手をあげて立ち去ろうとする殿下。カミロも含めた俺達は慌てて見送ろうとするが、さっきのように殿下は手でそれを制した。
「ああ、いいよ。仰々しいと何事かと思われてしまうし」
「それでは、こちらで失礼します」
「うん。それじゃあまた。次はもう少し穏便なお願いにするよ」
そう言うと、殿下はバチンとウインクをして去って行った。
「なあ、さっきのは偉い人なのか?」
サーミャが殿下が去って行った扉を見て言った。殿下の態度を見ていると、当然出てくる疑問ではある。
俺は首を捻りつつ、
「まあ、偉い人ではあるんだが……どうだろうな」
そう言うのが精一杯だった。
殿下の訪問が衝撃だったのはカミロも同じだったようで、その後は殿下のことをあまり話題にするでもなく、いつもの通りの会話をして終わった。
次からは納品もいつも通りで、世間的にも特に何か大きなことが起きているわけではないらしい。
そんなわけなので、いつものように報酬を受け取り(インクの分はしっかり増えていたが)、いつものように買い込んだ品を確認し、いつものように丁稚くんにお礼を言ってから、いくらかを渡してカミロの店を去ることにする。
「それじゃ、自由市に寄ってから帰るか」
『おー』
こうして、俺たちは少しばかり控えめに、〝いつも〟に帰っていくのだった。