鍛冶場を飛び出し、俺は魔宝石を持って一目散に走り出す。庭や畑には家族がいたが、驚くその顔を後目に温泉へと向かう。
魔宝石は生成されてから時間が経つと崩壊してしまう。なるべく早く実験を始めなければ。
多分、すぐに「エイゾウのすることだからなぁ」と納得してくれていることだろう。
温泉に着くと、湯気の立ち上る水路に近づく。ここは温泉の湯船から出た湯を一旦貯めておく貯水槽にも近い。
貯水槽には大抵この“黒の森”の動物が浸かっている。ここでは互いに手を出さない暗黙の了解があるらしく、普通なら食う食われるの立場である虎と兎が一緒にのんびりと湯を楽しんでいたりする。
そんな雰囲気だからか、俺がバタバタと走ってきたにも関わらず、慌てて逃げ出す動物は一匹もいない。
俺は手に持った魔宝石を水路の湯にそっと漬けた。水路の流れはそれほど速くない。ある程度の重さがある魔宝石は、湯の中でじっと動かず沈んでいる。
「さてさて、またまた観察をしないとな」
俺がそばに腰を下ろすと、ザバッと水の音が聞こえてきた。そちらを見やると、何度か見かけたことのある姿だ。
と言っても、リュイサさんや妖精族ではない。プルプルと身を震わせる狸のような動物で、まぁ、俺は内心ずっと狸と呼んでいる。
ある程度水を飛ばした狸は、少し身体を濡らしながらも、俺のほうに近づいてくる。
狸の見分けはつかないのだが、俺たちの知ってる子かな。
その狸は俺の顔をジッと見つめる。普段はあまりここに来ないからな。
「ちょっとした実験をしようと思ってな」
俺は湯に漬けた魔宝石を指さした。狸は興味深そうに首を傾げる。
「ぷきゅう?」
「ああ、これは魔宝石だ。妖精さんたちの病気を治すのに使うんだ。でも時間が経つと崩れてしまう」
俺がそう言うと、狸も理解したのか俺の隣にしっかり座り、じっと魔宝石を見つめている。
「ナイフの魔力が温泉の湯気で少し回復したんだ。だから、もしかしたらこの魔宝石も……」
俺は湯の中で魔宝石がどうなるか見守った。魔宝石は湯に浸かるのを喜ぶように淡く光り、湯の中に佇んでいる。
「さて、どうなるかな」
狸と二人、黙って魔宝石を見つめる。通常なら、魔宝石は生成してから小半時もしないうちに光が弱まり、やがて崩壊してしまう。今回も同じように光が弱まるのだろうか。
時間がゆっくりと過ぎていく。狸は時折小さな音を立てながら、辛抱強く魔宝石を見守っている。
そうして見つめることしばし。魔宝石の光が全く弱くならない。
「これは……」
俺は目を凝らして確認する。間違いない。魔宝石はずっとそこに残ったままで、どうやら魔力の量も大きく変化はしていないようだ。
それを見て、狸が首を傾げる。
「ぷきゅ?」
「うまくいきそうだぞ、狸さん」
俺が微笑みながら言うと、狸は嬉しそうに鳴いた。
まだ確定的なことは言えないが、少なくとも魔宝石は崩壊せず、魔力を維持しているように見える。
「でも、どのくらい持つかな…」
これが一時的な現象なのか、それとも長期的に魔力を維持できるのか、それを確かめるにはもう少し時間が必要だ。
「一晩様子を見てみるか」
何時間と言うレベルではなく、出来れば最低2~3日はもって欲しいものなので、少なくとも1日は維持してくれないと困るのである。
つまり、明日ここに来て消えていたら、今回の実験としては失敗ということだ。
俺は水路に小さな石を組んで、万が一にも魔宝石が流されないように小さな囲いを作った。狸も器用に石を運んで手伝ってくれたおかげで、囲いはすぐにできあがる。
「ありがとう。また明日来るよ」
狸は「ぷきゅう」と返事をして、尻尾をふりふり、滑ることなく森の中へと消えていった。