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薬の用意

 翌朝、俺は娘たちと共に湖へ水を汲みに行った。空気に少し湿った気配がある。

〝黒の森〟に明確な雨季や、前の世界で言う梅雨にあたるような時期はないが、初夏くらいに3日か4日、それくらいの雨がくることがある。この感じからいうと、おそらくそれが近づいているのだろう。


 水汲みはいつもの通り、朗らかにつつがなく完了し、娘達ははしゃぎながら家に戻る。

 いつもならこの後朝飯を食べて、いつもどおりに作業をするのだが、今日は魔宝石の実験の結果を見る日だ。

 妖精族の奇病を治すのに必要な石を、温泉の魔力で維持できないかと少し試してから1日が経過した。上手くいっているのか不安で少し胸の奥がザワつく感じがある。


 朝食を終え、家族に「ちょっと行ってくる」と声をかけてから、俺は温泉のほとりに向かった。皆で行かないのは上手くいってなかったとき対策である。


 しかし、俺の不安は的中しなかった。

 昨日設置した石の囲いに魔宝石がきちんと収まっており、朝日を浴びてキラキラと光っている。魔宝石は崩壊するどころか、まだしっかりと魔力を保っているようだ。


「ぷきゅう」


 昨日の狸もやってきて、ぽむぽむと身体を揺らしながら駆け寄ってくると、俺の傍らに座った。


「おう、おはよう。見てくれ、まだ輝いているぞ」

「ぷきゅ」


 狸は目を丸くして魔宝石を見つめたあと、あたりをクルクルと駆け回りはじめた。喜んでくれているらしい。

 俺は一旦魔宝石を家に持ち帰ることにした。家族全員に報告しておきたい。


「付き合ってくれてありがとな。とりあえず皆にこれを見せてくるよ。一緒に来るか?」


 俺はそう狸に聞いたが、


「ぷきゅう」


 明るい声で一声鳴くと、立ち去っていく。本当に付き合ってくれるだけだったらしい。


「またな」


 俺がそう声をかけると、一度だけ振り返り、森のほうへと姿を消していった。


「リディ、この魔宝石の魔力はどうだろう?」


 魔宝石を摘まみあげ、慌てて家に戻った俺は魔宝石を、作業の準備中だったリディに一言謝ってから手渡した。彼女は目を細めて魔宝石を観察する。


「まだ魔力を保っていますね。ただ、ここだとやはり減っていくようです」

「温泉の魔力が補充してくれたのは間違いなさそうだな」

「そうですね」


 リディが頷いた。俺とリディのやり取りを見ていたサーミャが言う。


「妖精族を直接温泉に入れるんじゃダメなのか?」

「む、それは確かに」


 魔宝石を維持出来るなら、それなりの魔力が供給されるはずで、それなら魔力が抜けていく病気に罹った妖精さんを温泉に入れれば治りそうな気はするな。


「今度来たら温泉を案内してみるか?」

「いえ」


 俺の言葉にリディが首を横に振った。


「魔宝石は維持出来るかも知れませんが、そうやって供給するのではダメなのかも知れません。この森で魔力を補給できる場所はそれなりにあるはずですし、それをリュイサさんが知らないわけはないです」

「お、なるほど」


 サーミャがポンと手を打ち、俺も頷く。ふむ、確かにこれで治るならとっくに治療法としてリュイサさんが用意しててもおかしくないな。


「とすると、魔宝石が必要なのは何が条件だろうなぁ」

「一気に魔力を補給しないとダメとかですかね……あっ」


 俺とリディが考え込んでいると、手に置いていた魔宝石が雲散霧消してしまった。

 しかし、リディが今言っていた条件はあり得そうだな。

 例えば妖精族の体内魔力は150が満タンで、50以下になると例の病気が発症するとする。

 ここで治療には100以上にせねばならないと仮定すれば、温泉では抜けていく速度と供給速度が合致していつまでも死なない代わりに治らないか、良くても僅かにしか回復しないので、かなりの時間を要してしまう。

 魔宝石なら100の魔力を一気に回復出来るため、必ず治せるのだ、としたら……。


 この仮定はあまり間違っていないような気がする。が、気がする、止まりなのも確かだ。


「とりあえずジゼルさんに聞いてみるか。ちょっと伝言板に書いてくる」

「おう、準備は進めとく」


 サーミャに言われて、俺は片手を上げて返事を返し、再び鍛冶場を後にした。


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