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【12巻発売記念特別編】黒の"海"

今回は特別編となります。内容は今現在の本編とは関係のない”IF”になりますので、ご注意ください。

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「おー! これが海ってやつかー!」


 砂浜の先に広がる紺碧の大海原を前に、サーミャが子どものような声を上げた。

 空は雲ひとつない快晴。照りつける太陽の下、波は穏やかに打ち寄せている。


「……話には聞いてたけど、こうして見るとやっぱり感動するわね」


 ディアナが柔らかく微笑みながら、潮の香りに満ちた風を胸いっぱいに吸い込んでいる。

 俺たちエイゾウ一家は、少しの間の移住先で、知人に勧められた海辺の小さな村を訪れていた。

 場所的には王国の南の方にあたるのだが、南だからとんでもなく暑いかと言えばそうでもなく、夏ならこれくらいは暑いものだろう、という程度だ。


「海ってしょっぱいんだよね?」

「ルーシー、父上が水を飲むのはやめておけと」


 ルーシーと呼ばれた黒髪の少女が小さな手で波打ち際の水をすくい、ペロリと舐めようとしたところで、リザードマンの少女が止めに入った。


「はーい。ハヤテおねえちゃん」

「あ、ルーシー、あっちいこ!!」

「うん、クルルお姉ちゃん!」


 ルーシーからクルルと呼ばれた緑の髪の少女が、2人一緒に水際で裸足になり、キャッキャと追いかけっこを始める。


「クルル! あんまり沖には行くなよ!」


 俺が注意の声を飛ばすと、クルルは「はーい!」と元気よく返事しつつ、波の合間を縫うように駆けていった。

 その後を追うルーシーも、普段の落ち着いた様子が嘘のように笑顔を見せている。

 様子を見てくれるのだろう、リディが


「あまりはしゃいで転ぶと危ないですよ」


 と言いながら、ルーシーの後を更についていった。


「ハヤテは行かなくていいのか?」

「……私は大丈夫です」


 俺が聞くと、ハヤテは木陰に引っ込んだ。水が得意なのかと思っていたが、もしかすると苦手なのかも知れない。口には出さないけど。


「アンネー! 見てー! 貝殻!」


 アンネがしゃがんで砂を掘っていた赤髪の少女に呼ばれている。


「これは立派な戦利品だな! 勇者マリベルよ、これで悪い国を滅ぼせるかもしれんぞ!」


 背丈の半分くらいある大きな貝殻を手にし、アンネに満面の笑みを向けていたマリベルが目を大きく見開いた。


「えー! ほんとに!?」

「ふふっ、冗談よ」


 アンネは大げさに胸を張った後、優しくマリベルの頭を撫でた。海風に揺れる長い髪が陽光にきらめく。

 サーミャはと見てみると、彼女は海鳥の群れを目で追っていた。今にも飛びかかって行きそうにも見える。


「なあ、サーミャ。今日は狩りじゃなくて遊びに来たんだぞ」


 俺が苦笑しながら声をかけると、サーミャは口を尖らせた。


「……分かってるけど、あの鳥、羽根が良さそうだったから」

「たまには羽根のことは忘れてもいいだろ?」

「んー……じゃあ、貝拾ってくる」


 そのままサーミャもマリベルたちの輪に加わった。海辺を舞台にした即席の〝お宝探しゲーム〟が始まり、波打ち際はにぎやかな笑い声で満ちていく。


 日が中天にさしかかる頃、俺たちは浜辺に布を敷いて、持参した昼食を広げた。

 いつもの無発酵パン、干し肉、野菜を酢漬けにしたもの、そして果実酒が並ぶ。


「この葉っぱ、いい感じですね」

「うん。香りが強すぎないのが、逆に合うんだ」

「夜は魚でも焼きますか?」


 リケの提案に、皆が歓声を上げる。釣り竿は持ってきていたので、食後は小さな漁に出かける予定だ。

 潮風に吹かれながら、俺は家族の笑い声を聞いていた。なにもない一日。波の音がまるで心の錆を洗い流してくれるようだった。


「……こういうのも、悪くないな」

「エイゾウ?」


 俺の隣に座ったディアナが、不思議そうに見上げてくる。俺は肩をすくめて笑った。


「なんでもない。来てよかったと思ってさ」


 ディアナは小さくうなずいた。


「そうね。そう思うわ」


 そして、また波が打ち寄せる。今日という日が、ささやかでも確かな幸せとして、皆の心に残っていくのだった。

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