リディが複雑なステップを踏む。その足元で、封印の文様がわずかに脈打つように明滅していた。
最初のステップは軽やかで、まるで風の流れそのもののようだった。彼女の動きに合わせて文様も微かに輝きを強め、まるで応じるように呼吸する。
村の祭りかなんかで踊っていたのだろうか、ステップには澱みが無い。
俺たちは、リディが踊るのを固唾を呑んで見守っていた。こう言うときでなければ、幻想的だと喜ぶ余裕もあるのだろうが、今は少し無理だな。
リディの動きは正確だった。だが、次第に文様の光がばらつき始める。足元の石畳が淡く輝いたかと思えば、唐突にそれが沈んでいくような錯覚を起こさせる暗がりへと変わる。
「……っ!」
リディが小さく呻いた。動きが乱れたのではなく、何かに抗っているようだった。
「リディ!」
俺が思わず声をあげようとしたその瞬間、ジゼルさんがスッと前に出た。
「エイゾウさん、止めないでください。今、彼女は思い出そうとしているんです」
ジゼルさんは空中でふわりと舞い、リディの真横まで飛ぶと、その耳に耳打ちをする。
「――」
すると、リディの動きが一瞬止まり、彼女の瞳が見開かれる。
それから――静かに、けれど確かに、彼女のステップが変わった。
最初よりもさらに流れるようで、優雅な舞いになっていた。
まるでリディの中に何かが灯ったかのように、彼女の全身からは魔力ではなく、意思のようなものが立ち上っていた。
それに従い、封印の文様も安定した光を取り戻す。
そればかりか、神殿の壁面や天井に浮かんでいた模様まで、まるで応えるように光を返す。
リディの舞いは、まるでこの空間そのものと対話しているかのようだった。
封印の文様は静かに収束し、脈動を弱めていく。そして最後、リディがそっと両手を広げ、胸元に引き寄せる動きと共に、すべての光が穏やかに収まりを見せた。
〝神殿〟に静けさが戻る。
リディはふぅっと大きく息をつき、少しふらつきながらも笑った。
「終わりました……」
皆がどっと安堵の息を漏らした。
「すごかったよ、リディ!」
マリベルが真っ先に飛びつきそうになったのを、ルーシーが尾で押し止めた。
リディは振り返り、ジゼルさんに向かって深く頭を下げる。
「……あの言葉、ありがとうございます。思い出しました。昔、里の祭壇で見た儀式で聞いた詩……きっとそれと同じです」
「いえ、私も思い出せてよかった。あの言葉は、妖精たちの古い誓いの言葉なんです。きっとエルフと妖精、どちらにも共通する記憶だったのでしょうね」
ジゼルさんの声は、どこか感慨に満ちていた。
そのやり取りを聞きながら、俺は一つの考えにたどり着く。
(……もしかすると、元々この儀式って、エルフだけでやるもんじゃなかったんじゃないか?)
世界がまだ安定していなかった頃、〝大地の竜〟の力を鎮めるために、エルフと妖精が手を携えていた。そんな絵が頭に浮かぶ。
契約、誓い、そして儀式。それは一族だけのものではなく、種族の壁を超えた「世界を守るための意志」だったのかもしれない。
「エイゾウさん?」
リディがこちらを見て、小さく首を傾げた。
「ああ、いや。……ただ、今のは、すごかった。ありがとう、リディ。ジゼルさんも」
「私は少しお手伝いしただけです」
ジゼルさんは頬に手を当てて笑う。
そのとき、ルーシーがぴくりと耳を動かした。洞窟の奥で、わずかな振動が続いている。
小さな揺れだが、徐々にそれが遠のいていくのが分かった。
「魔力が、落ち着いてきています……」
リディが呟く。
確かに、空気の重さが抜けたように感じる。
これでもう、〝大地の竜〟が目を覚ましかけることはないだろう。俺たちはひとまず、その静けさを胸いっぱいに吸い込んだ。
「さて、あとは戻るだけか」
「ええ。でも……」
リディは壁に浮かぶ封印文様を見上げる。
「今度この場所に来る時は、きっと――もっと違う意味を持つのでしょうね」
「だな」
俺も同じように、壁を見た。
今ここに刻まれた光は、かつての儀式の再演ではなく、今の俺たちが「世界に刻んだ証」なのだと、そう思いたかった。