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10、若葉騎士隊と座学の時間

 ●月△日。

 お役所仕事は融通が利かないとよく言われるが、上司同士の方針の違いで部下は苦労するのである。


 ――ロザリー・サマーワルスの日記より。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 太陽が青空高くに君臨する午後。

 ランチタイムを終えた私とグレゴールは、教導室に移動した。

 座学の時間だ。


 教本と記録帳ノート、メモ取り用の羽ペン――学習用具を机に並べていると、コソコソとした噂話の声が聞こえてくる。 


「あいつは女の武器でお偉いさんを骨なしにして贔屓してもらってるらしいぜ」

「貴族のお嬢様だしなあ。実力じゃないと思ってたが、色仕掛けかよ」

「金があったら金を使うんだろうけど、金がないみたいだしな」


 誰の話だろう。

 まさか私の噂ではあるまい――と思っていると、隣にいるグレゴールが晴れた夜空に似た藍色の瞳を曇らせた。


「気にすんなよ」


 あ、私?


「あいつら、オレと同じで貴族の次男坊や三男坊……めかけの子もいる。微妙な立場でさ……あとでオレから言っとくよ」


 なるほど。貴族男子には彼ら特有のつらさがあるものだ。

 「はけ口に陰口を叩いちゃったから許してあげてね、仲間の立場のオレが注意しとくから」ってことなのかもしれない。


「別にいいよ。気にしないから。わざわざ言わなくても」


 グレゴールが貴族男子のコミュニティでどういうポジションなのかはわからないけど、注意してイジメの対象にでもされたら可哀想だ。

 私が話題を変えようと「支給された日記帳が書きやすくて……」と日記帳トークをしようとしたとき、騎士教官が教導室にやってきた。


「――よし、静かにせよ」


 教導隊所属のグラハム騎士教官は、藍色の髪をした若い青年だ。

 教室の黒板の前でピンクのチョークを持つ彼は、片足を引きずるようにしていて、杖を持っている。

 前線任務で名誉の負傷をしたらしい。


 彼は、筋肉ばかり鍛えて物を考えない騎士を「野蛮な原始人」と呼び、どんどん辞めさせてしまう――という噂がある。眉間には深い皺が刻まれていて、目付きが悪い。神経質そうな印象だ。ちょっと怖い。


 重厚な鎧の軋む音も、咳払いさえも許されない空気である。

 ランチタイムの後でよかった。

 お腹が鳴ったら目も当てられない!


「貴様らは王国の騎士として式典警備を任される立場となる。その責務の重さを自覚しているか? 答えよ」


 低く響く声が、床に反射して広がった。

 哲学者のような、地獄の門番のような漆黒の瞳に射抜かれて、若葉騎士たちは姿勢を正し、キリッとした顔で口々に返答を返した。


「騎士道!」

「騎士道!」

「騎士道!」

「……よかろう。全員、『猿人えんじん騎士』の称号をくれてやる!」

「ありがとうございます騎士道!」

「訂正だ。お前たちは猿だ!」


 グラハム騎士教官は騎士道の唱和がお気に召さなかったらしい。

 文句はアークレイ騎士教官に言ってほしい。散々叩き込まれた習性みたいなものなんだから。


 お役所仕事は融通が利かないとよく言われるが、上司同士の方針の違いで部下は苦労するのである。

 私は「今夜、必ず日記に書こう」と決意した。


 グラハム騎士教官は凍えるような声で演説している。


「式典警備とは、単なる儀礼ではない。敵は剣を掲げて堂々と攻めてくるとは限らん。毒に仕込まれた杯、群衆に紛れた暗殺者、貴族の軽率な振る舞いが引き起こす混乱……どれもが、我々が対処すべき脅威である」


 騎士教官は歩み寄りながら、鋭い視線を私たちに投げかけた。


「第一に、警備の基本は“目”だ。場にいるすべての者を観察し、異変を見抜け。警戒すべき者は誰か? 不審な動きはないか? 些細な違和感を見逃せば、後には死が待っている」


 さらさら、という執筆の音が室内に響く。若葉騎士たちが支給された記録帳ノートにメモを取っている音だ。私も書こう。きっと試験に出る。


「第二に、動線の確保。貴族や王族の退避経路、警備隊の配置、緊急時の合図――すべてを把握しておけ。混乱の中で迷う者は、騎士ではなく荷物だ。第三に、剣より速く心を動かせ。戦場であれば剣を抜けば済むことも、式典ではそれが許されぬ場面もある。適切な判断と機転が求められる。異変を察知する心の琴線を警備エリアに張り巡らせ観察せよ。自らの頭脳で常に思考せよ。寝るなソコォ!」


 わあ、ピンクチョークが飛んだ。

 「ギャッ」と悲鳴をあげてピンクのチョークに額を打たれたのは、先ほど「あいつは女の武器でお偉いさんを骨なしにして贔屓してもらってるらしいぜ」と噂の種をまいていた貴族令息の若葉騎士だった。


「失礼しました。午前中に体を動かした疲れがあり、食後の眠気もあったものですから……」

「要人警護に失敗した際も同じ言い訳をできるか?」


 グラハム騎士教官は、ナイフのような視線で貴族令息たちを睨んだ。


「マーク、ベルディ、ブライアン! 騎士の品性を落とす悪意的で卑しい言葉を吐いていたな。評価点マイナス、減給だ!」

「も、申し訳ございません……!」

「同僚騎士は国家の命運と国民の安全という重すぎる荷を分かち合い、死地で背中を預け合う仲間だ。ここは貴族の社交場ではない。仲間を傷つけるな」


 グレゴールがほっと息を吐いて私に視線を向けてくる。

 うん、グレゴールが注意する必要、もうないと思うよ。教官が注意してくれてよかったね。


「そこ、噂話の対象となった者も、『火のないところに煙は立たぬ』という言葉を肝に銘じ、陰口をたたかれる隙を作らぬよう心掛けよ! 自分を貶めていた者がとがめられたからと喜ぶな。汝ら、敵をも愛すべし――全員、騎士道を唱和!」


「はっ、グラハム騎士教官殿! 優れた戦闘能力、勇気、正しき者や弱者の守護、高潔さ、誠実さ、忠誠心、寛大さ、博愛精神、信念、礼節正しさ! ――我ら、騎士の道を守るものなり。名誉を重んじ、弱きを守り、正義を貫かん。悪を憎み、己の欲に溺れず、ただ国と民のために剣を振るう!」


 結局、最後に騎士道は唱和する。お約束である。


「……最後に、忘れるな。我々は、この国の“威信”そのものだ。式典においては、我々騎士の姿が民の信頼に直結する。どれほどの脅威があろうと、騎士は騎士らしくあれ」


 グラハム騎士教官は「我々」と言ってくれた。

 確かな仲間意識を感じたのは、きっと私だけではないだろう。

 みんな、座ったまま片手を胸に当て、片手を後ろに回して腰に当てている。敬礼のスタイルだ。


「よし――では、配置ごとの役割を説明する。目を凝らし、耳を澄ませ、脳に刻め」


 そうして、私たち若葉騎士隊の座学は続いた。

 学びの多い時間であった。騎士道。



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