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15、仮面の医者と悪神の信徒

 ●月△日。

 一難去ってまた一難という言葉があるけど、私が生活していて思うのは「お金を稼いだ端からお金を使う必要が出てくる」ということだ。


 ――ロザリー・サマーワルスの日記より。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 お休みの日は、雨音が屋根を激しく叩く音で目が覚めた。


 私の赤毛は、雨の日はブワブワと広がってしまったり、ぺったんこになってしまったりする性質がある。日に寄って違うのだけど、今日はブワブワの日だった。


 今日はプレドュスの家に行く予定だったのに、窓を開けると視界いっぱいに灰色の雨が降りしきっている。庭の雑草は叩きつけられるように揺れ、石畳の道には小さな水たまりが次々と生まれていく。

 風は強くない様子なので、日傘を差していこうかな?


 外の様子を見ていると、見過ごせない光景が目に入った。

 ピンク色の髪をした少年――弟のエイミールと、黒い飼い犬のバロンだ。エイミールは病弱なのに、傘を持って庭でしゃがみこんでいる。


「エイミール! こんなところで、雨の中なにをしているの? 体調が悪いの?」


 駆け付けると、エイミールはパッと顔を上げた。


「お姉様!」


 大きな水色の瞳がキラキラしている。頬が林檎みたいに赤い。

 熱がないか心配になったけど、手をおでこに当ててみた感じ、平熱だ。よかった。


「お姉様はお出かけするんだよね?」

「えっ、そうよ」 

「僕、バロンと一緒に雨が止むようにおまじないをしてたんだ。この前ね、お姉様がお仕事のときに、仮面のお医者様がいらしてね、いろんなおまじないを教えてくれたんだよ」

「か、仮面のお医者様? なあに、それ。今初めて聞いたんだけど? そんな怪しい人が我が家に来ていたの?」


 エイミールは質問には答えず、ピンク色の髪をふわりと揺らして微笑んだ。足元では、大きな黒犬のバロンが元気に尻尾を振っている。


「バロン、お姉様に見せてあげよう。一緒に!」

「ばうっ」


 見せてくれるらしい。どれどれ?

 首をかしげて見守っていると、エイミールは歌声を響かせた。


「雨よ、雨よ、止みたまえ! この植えたばかりのじゃがいもの芽を捧げます」

「ばう、あう、わふっ!」


 エイミールは、音痴だ。

 そこがチャームポイントだとも思うのだが、姉バカだろうか。

 あと、じゃがいもの芽を捧げるってなに?


「エイミール、そのおまじないってお家の中で歌うのではだめなの? 外は寒いし、濡れてしまうから中に入りましょう。あと、じゃがいもの芽を捧げるってなに?」

「はあい、お姉様。じゃがいもの芽はね、イケニエなんだって」

「ねえエイミール。それ、お医者様が仰ったの? なんだかすごく怪しいわ」


 弟を家の中に戻し、私は家を出た。


 雨はぜんぜん勢いを弱める気配がない。

 弟は可愛いが、病弱なせいで世間知らずな一面がある。悪い人に簡単に騙されてしまいそうで心配だ。

 これは私が姉として責任を持ち、夜な夜な弟の枕元で厳しい現実社会の話をして「世の中って怖いのよ」と刷り込み学習をさせてあげるべきだろうか?


 雨のせいで、道は水たまりだらけだ。

 歩くためにパシャパシャと水が跳ねあがる。

 傘を差しているけど、プレドュスの家に着くころには全身ずぶ濡れになってしまった。


 やがて三角屋根に煙突が付いているプレドュスの家が見えてきた。

 あれ? 『営業していません』の看板が出ている。

 雨が酷くてお客さんが見込めないからお休みにしたのかな?


「プレドュス、こんにちはー」


 プレドュスを呼ぶと、しばらくして彼が出てきた。


 まんまる眼鏡をかけていて、長い赤毛を三つ編みにしているプレドュスは、なんだか顔色が悪い。それに、げっそりとやつれている。

 どうしたの?

 寝食を忘れて研究に打ち込みすぎた?

 それとも、花屋のお姉さんと破局した?


「ロ、ロザリーお嬢様……っ、申し訳ございません。私はもう、だめです。研究も何もする気になりません」

「どうしたのプレドュス? 落ち着いて」

「悪神バナスパティ・ラージャの信徒に騙されてしまったのです。け、け、結婚詐欺です」

「えっ」


 悪神バナスパティ・ラージャは、慈愛の女神ランダと対立する神だ。

 ウィンズストン王国は慈愛の女神ランダ信仰の国なので、信徒は少ない。時折、反体制派のテロリストが悪さをして民を困らせている印象。

 王国騎士の私にとって、悪神バナスパティ・ラージャの信徒は要注意対象だ。


「どうして騙されてしまったの、プレドュス?」


 プレドュスは涙目で詐欺被害を報告した。


 ――『プレドュスのお話』


 私は、お嬢様から受けた依頼を実に取り組み甲斐のある内容だと思い、あれからずっと不眠不休で励んでおりました。

 すると、最近想いが通じたばかりの恋人が来たのです。


 ええ、ええ、花屋の彼女ですよ。


 彼女、なんと聖職者になりたいと言うのです。


「神殿に所属する聖職者になるには、洗礼を受けないといけない。しかし、今までコツコツと貯めていたお金が、ワケあって足りなくなってしまった。必ず返すので、神殿に奉納する洗礼費用を貸してほしい。聖職者の職に就いても結婚はできるので、安心してほしい」


 彼女は、そう言いました。


 私は彼女が好きでしたし、自分を頼ってくれたのが嬉しかったですし、「花屋さんな彼女もいいけど聖職者な彼女もいいな」とか「結婚できるとわざわざ言うということは、結婚したいと言われたようなものではないか!」なんて寝不足の頭で考え、鼻の下を伸ばしてお金を渡しました。

 研究費用です。

 てっきり、この王都で生活しつつ、職業を神殿勤めに変えるのだと思っていたのです。


 しかし、その後で知ったのです。

 彼女が王都を出て行ったこと。

 そして、王都を出て向かった場所が外国のバナスパティ・ラージャ神殿であることを。


「私は悪神の信徒に貢いで捨てられたんです……」


 プレドュスって知的な人だと思ってたけど、「恋は盲目」ってやつね。可哀想に。


「プレドュス。元気出して……」

「研究器具や調合に使う材料を買うお金の余裕もなくなってしまいました。私はもう自分が情けなくて……」

「プレドュス。一回寝て、まずは休息を取りましょう? お金は私がなんとかするわ。その研究器具や調合に使う材料を買うお金って、どれくらい必要なの?」


 ああ、また出費が増えてしまう。

 でも、プレドュスに依頼しているのは、未来を変えるための大切な薬の開発だ。


「ロザリーお嬢様は女神の化身のようなお方でいらっしゃる。本当にお優しい……」


 プレドュスは目を潤ませ、抱き着いてきた。


「プレドュス。訂正するわ。お風呂に入ってから寝てね」


 その日、私はプレドュスに資金援助を約束した。

 お金、お金、お金。

 世の中って、本当にお金が次々と入用になるのね。困っちゃう。


「ロザリーお嬢様。調合一回分に必要な費用は、そこの机の上のメモに試算結果を書いております」

「どれどれ?」


 私はメモを手に取った。

 そこには、几帳面な文字で細かく計算された材料と費用が記されている。


「……えっ?」


 思わずメモを持つ手が震えた。


「ええと、プレドュス。これは一回の調合だけに必要な金額よね?」

「はい。研究を進めるには最低でも十回は試作が必要かと」


 ……プレドュスの研究費は、めちゃくちゃ高額だった。

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