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第63話 手のひら越しの熱

「……おはようございます。」

「ああ、おはよう。よく眠れたかい?」

「ええ、フィーのおかげでグッスリと。」

「それは良かった。」


 フェルディナンドさまが穏やかに微笑む。私たちはテーブルの上に並べられた朝食を挟んで、向かい合わせに椅子に腰掛けた。


 次の日の朝、魔塔の賢者としての仕事に行く前の時間を、私の為に取ってくださったフェルディナンドさまは、私と朝食を一緒に食べて下さることになったのだ。


 もちろん今日も監視役としてエイダさんが一緒にいる。エイダさんは先に朝食を済ませてくれたそうだ。気を使っていたただいてちょっと申し訳ない。


 プレーンオムレツ。エビとブロッコリーとマヨネーズのサラダ。トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ。キャベツとハムとキノコのコンソメスープ。蜂蜜を入れたフワフワもっちりなパン。これが今日のメニュー。


 ……何が嬉しいって、これはフェルディナンドさまが私の好きなものを聞いて、用意するように言って下さったものばかりなのだ。


 ずっとこんな風に、お互いの好きなものを聞いたり、用意したりして、食事がしてみたかったの。ささいなことを話しながら。


 フェルディナンドさまとのおしゃべりはとても楽しかった。朝目覚めた時に鳴き声の聞こえた鳥の名前。フィーの話。料理の感想。優しい時間が流れていくのを感じる。


 あまり日頃必要なこと以外は話さない、笑わない人だと、エイダさんは言っていたけれど、朝食の席のフェルディナンドさまは、少しもそんなことはなかった。


 オムレツはフェルディナンドさまもプレーンのほうが好きだとか。キノコはなんでも好きだとか。フィーがいなくて昨日は少し肌寒かったとか。いろんな話をして下さった。


 私、こんな結婚生活をおくりたかったわ。本当に、こんな些細な、これっぽっちの小さな願いが、今まで叶わなかったのだと、改めて思い知らされた。


 イザーク以外の男性となら、こんなにも簡単に叶うものだったのだ。私の願いなんて。

 それくらい、簡単なことだったのだ。私はとても幸せな気持ちで朝食を終えた。


 きっとイザークと離婚して、誰か他の人と結婚したら、きっとこんな風に毎日、穏やかで幸せな時間が過ごせる気がして、私は未来がとても明るいと感じた。


 フェルディナンドさまは、このまま私の魔力の登録に移ると説明してくれた。昨日も遅くまで、その準備をしてくれていたようだ。


 エイダさんとフェルディナンドさまと共に部屋を移動すると、魔力の波長をはかる魔道具が運ばれてきた。大きな水晶に手を乗せると、水晶が光って色を変える。


 これが私の魔力の波長らしい。それを魔道具が読み取って、管理、登録をするのだそうだ。これをすることで、魔塔の賢者は全員、どこにいるのか把握出来るのだそう。


 続いて防御魔法をかける為、更に別の部屋に案内をされた。広い部屋の床一面に、巨大な魔法陣が描かれている。この中心に立つよう、フェルディナンドさまに言われる。


 魔法陣の周囲に、ローブを身にまとった人たちが集まって来て、フェルディナンドさまを含めた10人もの人たちに囲まれる。


 これだけ大きな魔法陣を動かすとなると、これだけの人数が必要なのだそうだ。ローブを身にまとった人たちのうち、肩にかかる程度の黒髪のくせ毛の男性と目が合った。


 するとその男性は、いたずらっぽくニヤリと笑ってくる。……なんだろうか?初対面の筈なのに、そうではないような……そんな不思議な表情を浮かべていた。


 かなりきれいな見た目の男性だし、こんな方をお見かけしたことがあれば、正直覚えていそうなものだけれど。


 魔法陣の中心にいる私をぐるりと取り囲んで、何かの呪文を唱えだす、ローブを着た人たち。恐らく全員が魔塔の賢者なのだろう。


 呪文の詠唱がすすむにつれ、足元の魔法陣から、上に向けて青白い光が放たれる。これが防御魔法をかけるということなのね。私は少しドキドキしながら、それを見守った。


 最後に魔法陣から放たれた光が、頭上でひとつの線を結び、ドーム状に私を囲った。

 そしてその光が霧散すると、


「防御魔法は完成したよ。これでひと月待てば、君はどこに行ってもある程度無事に過ごすことが出来る。なにせ魔塔主であるこの僕自身がかけた魔法だからね。通常の防御魔法よりも強いと思ってくれていいよ。」


 と、先程目があった黒髪の男性がそう言ってきた。この方が魔塔主さま!?思っていたよりもだいぶお若い方だわ。なんならフェルディナンドさまよりも年下に見える。


 どこか少年ぽく感じるのは、そのいたずらっぽい笑顔のせいもあるけれど、実際かなり見た目が若いのだ。魔塔主ともなると、年を取らない魔法でも使っているのかしら?


 それくらいは出来そうよね、なにせ魔塔の賢者の中でも、トップの力を持つ方だもの。

 というか、この方がエイダさんに、フェルディナンドさまを監視するようおっしゃった方なのね。


 確か王弟の子息であっても、その立場を意に介さず、我が物顔でフェルディナンドさまを振り回してくる唯一の方だとか。


 さもありなん、という気がするわ。イタズラが好きそうな顔をしているもの。真面目なフェルディナンドさまなんて、きっとからかうのが楽しいのでしょうね。


「魔塔主さま自らお力添えをいただき、ありがとうございます。おかげで私の願いである1人暮らしが実現出来そうです。」


「1人暮らし?君はフェルディナンドと一緒に暮らさないの?」

 楽しそうにそう言ってくる魔塔主さま。


「何をおっしゃっているのですか!?そうやって毎度毎度、私をからかうのはやめていただきたい!」

 驚いたのはフェルディナンドさまだ。


「だってそうだろう?君がこんなにも1人の女性を気にするなんて初めてのことだよ?

 それに未来からわざわざやって来た君は、本当に彼女にメロメロだったからね。

 今の君も彼女と暮らしたくて仕方がないんじゃないかって思っているよ。」


「……彼女はまだ既婚者ですよ。」

「まだ、ときたか。相手の旦那から奪う気まんまんに聞こえるよ、僕には。」

 そう言って魔塔主さまは腕組みしながら笑った。頭を抱えるフェルディナンドさま。


「……そういうつもりで言ったのではありません。勘違いしないでいただきたい。」

 フェルディナンドさまは、きっぱりとそう言って魔塔主さまの言葉を否定した。


「そうかなあ?残業の嫌いな君がだよ?魔力の波長の登録と、防御魔法の設置をこんなにも急がせてさ。オマケに僕まで呼び立てておいて、それで彼女のことが特別じゃありませんって、それは通らないと思うなあ。」


「私もそう思います。魔塔主さまとファルケンベルク卿のお力を使った防御魔法なんて、やぶれる人間はいませんからね。」

 エイダさんがウンウンとうなずいている。


 私は聞いていて段々と恥ずかしくなってきてしまった。……つまりフェルディナンドさまは、私の為にわざわざ魔力の波長の登録準備を急いで、魔塔主さまにまで、私の防御魔法をお願いして下さったということなの?


 魔塔主さまのお力をお借りするだなんて、例え魔塔の賢者といえども、簡単にお願い出来ることではきっとない筈よ。だって1番偉い方なのだもの。


 王宮で言うのなら、国王さまに助力をお願いするようなものだわ。

 いくらフェルディナンドさまが王弟の子息だからとはいえ、魔塔でそれがどこまで力を発揮出来るものかはわからない。


 魔塔主さまだけが気にしないとおっしゃっていたから、他の方は多少は気にして接していらっしゃるようだけれど。


 魔塔主さまはそれを気にせず接していらっしゃるという点から見ても、それを許されるお立場の方だということだわ。


 それを改めさせられないということは、フェルディナンドさまの王弟の子息という立場よりも、魔塔のトップである、魔塔主さまのお立場のほうが上だということよ。


 そんな立場の方を引っ張り出してまで、私の防御魔法を最も強いものにしようとして下さったということだ。


 ……それほどまでに、フェルディナンドさまは私を心配してくれていた、ということでもある。そこに男性としての好意がまったく働いていないかと言われれば……。


 私でも、特別な好意のもとに行動してくれたことだと、邪推せずにはいられない。

 ……頬が熱いわ。未来からやって来て、私を抱きしめてくれた、あのフェルディナンドさまの眼差しを思い出してしまう。


 自分は将来私を思う男性の1人になるとおっしゃって下さった、未来のフェルディナンドさま。イザークに私を譲るつもりがないとおっしゃった、今のフェルディナンドさま。


 その心は、今、どこまで気持ちが重なっているのだろうか。私はまだ、今のフェルディナンドさまには、未来のフェルディナンドさまが向けて下さったような、熱くて甘い眼差しで見つめられたことはないけれど。


 今のフェルディナンドさまも、じゅうぶん私を思って、心配して下さっているのがわかる。少なくとも、かつてのフェルディナンドさまを知る同僚たちに、こんな風にからかわれる程度には、フェルディナンドさまは変わりつつあるのだろうと思う。


 なら、私は?フェルディナンドさまに対する気持ちに、変化はあるのだろうか。

 もともと学生時代の憧れだった方。女学生全員がフェルディナンドさまと呼んでいて、私もご多分に漏れずそう呼んでいた。


 その気持ちは今も変わらないし、とても尊敬出来る方だと思っている。ただそれが男性としての好意なのかと言われると……、正直まだよくわからない気もする。


 私を助ける為に必死になってくれた、未来のフェルディナンドさまには正直ときめいてしまったし、私の理想の結婚生活が実現出来そうな、食事時の今のフェルディナンドさまにも好意は感じていると思う。


 まだ既婚者だという思いが、自分の気持ちを押さえているという意識はある。……離婚したら、この気持ちは走り出すのだろうか?


 素敵だと思う男性はたくさんいる。正直、複数の男性を素敵だと感じている。離婚をしたら。なんの障害もなくなったら。

 私の気持ちはどこに行くのだろうか。


 今はまだ、魔塔主さまにからかわれているフェルディナンドさまの様子も、どこか他人事のように感じる。私とは別のことでからかわれているような、そんな気持ち。


 だから今はそこまで動揺しないでいられるけれど。離婚をして、既婚者だからという言い訳ができなくなったら。剥き出しの心に同じことをされたら、私はその恥ずかしさに耐えられるだろうか?


 ……正直、恋愛ごとには慣れてない。

 イザークとは結局愛を育めなかった。

 初恋は、恋と呼ぶには淡すぎた。

 私はまだひょっとしたら、誰にも恋はしていないのかも知れない。


 からかわれて恥ずかしそうにしているフェルディナンドさまと私とでは、心の温度差があるような、そんな気がしていた。


「……すまなかったな、エイダも魔塔主さまも、なんだか妙に君のことで盛り上がってしまって……。悪い人たちじゃあないんだが、この手のことで人をからかうのが好きなようなんだ。どうにも止め方がわからなかった。」


「いえ、お気になさらないでください。フェルディナンドさまが私のことを本当に心配してくださって、魔塔主さまにまでお願いしてくださったこと、とても嬉しく思っておりますわ。おかげで不安が少し薄まりました。」


 ようやく魔塔主さまから解放されたフェルディナンドさまは、エイダさんも引き連れてではあるが、私をご自身の研究している植物を育てている温室に連れて来てくださった。


 魔塔は各自が研究室を持っていて、そこは基本立ち入り禁止なので、案内出来る場所が少なく、退屈だろうから、と言う理由だったのだけれど、私からすれば研究室など見てもよくわからないし、様々な草花が見られる温室の方が、見ていて正直楽しかった。


 研究に使っている草花だけでなく、単純に観賞用や、お茶にする為に育てている植物もたくさんあるとのことで、温室はとても美しくて、たくさんのいい香りが広がっていた。


 花を愛でる気持ちのある男性は素敵だと思う。行く先々で花に目をとめて、あれは何かしらと話しかけた時に、わからないまでも興味のない態度を取られてしまうのは悲しい。


 その点フェルディナンドさまとは、小さなことで色々と話が出来るというのがとても楽しかった。私が興味のあることが、フェルディナンドさまにとっても興味のあることだというのが、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。穏やかな時間が流れてゆく。


 もっと早くに知り合って、もっとたくさん色んな話をしてみたかった、と思った。

 時間がたりないとすら感じる。フェルディナンドさまと話す時間は、本当にあっという間だ。思い返せば、なんの話をしていたかしら?と思う。それくらい他愛もない話を、いつまでも永遠にしていられる気がする。


「こんなに女性と、色んな話をするのは初めてのことだ。君と話していると、時間がいつの間にか過ぎているのを感じる。……恥ずかしい話、何を話したのか、具体的なことは何ひとつ覚えていないのに、とても楽しかったということだけは覚えているんだ。こんな私を、おかしいと君は笑うだろうか。」


「……いいえ、フェルディナンドさま。私も今、同じことを思っておりました。フェルディナンドさまとお話していると、時間があっという間に過ぎていくのを感じます。些細なことをお話するのが、とても楽しいのです。」


「フィリーネ嬢……。」

 フェルディナンドさまが、思わず私のことを名前で呼んでしまう。今までずっと、ロイエンタール伯爵夫人、だったのに。


「ああ、すまない、既婚女性を名前で呼んでしまうなど、無礼極まりないな。

 ……だが、早く正式にそう呼びたいと思っているのも、正直な気持ちだ。」


「フェルディナンドさま……。」

 フェルディナンドさまが、初対面の時の、未来のフェルディナンドさまと同じ眼差しで私を見つめてくる。


 ああ。これはあの日の彼だ。切なげで、愛おしげに、私を見つめてきた眼差し。

 私を激しく抱きしめてくれた、あの日の彼の体温が蘇ってくるような気持ちになる。


「……もう、行かねばならないのだろう?」

 さみしげな、あの日と同じ眼差し。

 フェルディナンドさまは今、未来の彼と同じ気持ちなのだろうか。


 少し伸ばされて、途中で引っ込められた手は、あの日のように私を抱きしめたがっているように思えた。だけど今の私に触れることは許されないと、その熱い気持ちを押さえているかのように感じた。


 彼に抱きしめて貰えないのをさみしいと感じた。あの日のように、彼に抱きしめられたいと思った。……もしも許されるのなら。


 エイダさんがスッと席を外してくれるのが視界のはしに見えた。しばらく会えなくなる私たちに、気を使ってくれたのだろうか。


「ひと月です。ひと月だけ、イザークのもとで過ごします。防御魔法が完成するまで。

 それが終わったら、また会って下さいますか?またフェルディナンドさまと、もっとたくさんのお話がしたいです。」


「……ああ。その時は、もっとたくさんの時間を、君と過ごしたい。私に君の時間をくれるだろうか。君に触れられずとも、少しでも君を近くに感じていたい。もどかしくてたまらない。君に触れられない私の立場が。」


 ああ。心臓の鼓動が早いわ。私も、フェルディナンドさまに近付きたくてたまらない。

 私は……フェルディナンドさまに触れて欲しいと思っているの?


 思わず。本当に思わず、といった風に、フェルディナンドさまの指先が、私の唇に触れた。ハッとした表情のフェルディナンドさまが、瞬きもせずに私を見つめていた。


 指先が触れている唇が熱い。フェルディナンドさまの視線が、唇に集中しているのを感じる。息が苦しい。


「許されない……こんなことは……。」

 フェルディナンドさまが呟く。

「直接は触れない。だからどうか、私のすることを許して欲しい。」


 フェルディナンドさまの大きな手のひらが優しく私の唇を覆って。私の唇を求めるように、ご自分の手の甲に口付けた。


 私は近付いてくるフェルディナンドさまの顔に、思わず目を閉じてしまった。

 フェルディナンドさまの手の熱が、まるで唇の熱さのように感じた。


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