私は魔塔を出て、魔塔が用意してくれた馬車でロイエンタール伯爵家に向かいながら、先程の出来事を思い出していた。
ここ最近、素敵な男性と知り合う機会がとても多かった気がするけれど。……自分からまた会いたいと。そう思わされたのは、フェルディナンドさまが初めてじゃないだろうか。
手のひら越しだったけれど、フェルディナンドさまが私を求めて、口づけしたがっているお気持ちが強く伝わってきて。
そしてそれを、私も受け入れてしまった。
それがとても恥ずかしいわ。……私も、フェルディナンドさまに触れられたいと思った、その事実が。
こんなことを男性に思うのは初めてのことだ。夫婦の義務は貴族としての責務。ただそれだけの為に、子をなす目的だけでイザークとまぐわってきたけれど。
目的を持たず、ただ単純に、異性に触れたいと思う事があるのだということを、私は今日まで知らずに生きてきた。
そう考えると、他の男性に触れられることには抵抗を感じる。特にイザークには。
またロイエンタール伯爵家で暮らすことにはなったけれど、あくまで護衛の為。
夫婦として暮らせるわけでも、私がそう暮らすつもりがないということも、よくわかっているとは思いたいけれど……。
もしも万が一求められた場合、離婚前の私には、夫婦の義務を拒絶したとして、離婚の際に不利になってしまうという問題がある。
そのことに少し戦々恐々としていた。フェルディナンドさまがおっしゃられるように、イザークがただ単純に私を手に入れようと思っているだけだった場合、イザークには私に対して有利に出る為の手段がいくらでもあるのだもの。
この国の法律は、結婚に際しても、離婚に際しても、実に女性に対して不利に出来ている。だからこそ、弁護士が必須なのだ。
そう考えるうちに、ロイエンタール伯爵邸に馬車が到着した。最初に感じた違和感は、私に対して出迎えがあったという点だ。
私が家を出る際も、戻って来る際も、まるで私の存在なんて、はじめからなかったかのように、誰も私を見送らない。出迎えにも来ない。誰も私を伯爵夫人だと認めていない。
だから、大勢の従者が玄関の外で笑顔で出迎えているという光景に、思わずギョッとした私を、誰がいったい責められようか。
そして次に感じた違和感は、見知った顔が1人もないということだ。──従者の総入れ替え。イザークはそれをすると約束してくれたけれど、本当にやってのけたようだ。
つまり、今ここで私を出迎えてくれている従者たちは、本来義母が暮らしていた、領地の屋敷で勤めていた従者たちだということだ。私の顔を知らない、──私に好意的なのかどうか、わからない従者たち。
そして最後に驚いたことは、イザークが自ら出迎えに出て来て、私の手を取ってエスコートし、馬車から降ろしてくれたことだ。
幸せそうにはにかんで、私の手を取るイザークに、違和感が拭えない。私が家に戻って来たことで、これから関係の修復がはかれるとでも思っているのだろうか。
フェルディナンドさまと、手のひら越しの口づけをかわす前であれば、もう少しイザークに対してフラットな気持ちで接することが出来たと思う。だけど今は、少し冷めた気持ちで、微笑むイザークを見ていた。
「おかえりなさいませ!奥さま!」
穏やかな顔の年配の女性が、胸に手を当てて恭しくお辞儀をする。こんな風に礼を取られたのは、この家に来て初めてのことだ。
「従者一同こうして奥さまをお出迎え出来たことを、心より嬉しく思っております。両地には1度もいらしていただけなかったので、お会いできる日を楽しみにしておりました。」
家令に似た老齢の男性がそう言ってくる。この人は、ロイエンタール伯爵邸の家令を息子に譲ったという、元家令かしら?引退せずに領地の仕事をしていたということかしら。
「……みんな君を歓迎している。声をかけてやってはもらえないだろうか。」
心做しかドヤ顔をしているイザーク。
私を歓迎する従者たちを連れてこられたことを、自分の手柄のように思っているのかしら。……そもそもあなたが私を尊重していれば、今までの従者たちだって、そんな態度は取らなかった筈だわ。
彼らが私を尊重してくれているのは、あなたの態度が変わったから。妻を大切に扱うよう、あなたが言ったからにほかならない。
そうでなければ、彼らが今までの従者たちと同じ態度を取っただろうというだけ。
……もっと早くにそうしてくれていれば良かったのにと、思うだけ。
それでも一応、ニコニコと集まってくれた人たちを無碍にする気もない。私は出迎えてくれた従者たちに、出迎えありがとう、感謝するわ、と告げた。
伯爵夫人としてはこれが正解。従者にへりくだりすぎてはいけないから。
……さも、今までそれが当たり前だったかのように、私はイザークにエスコートされながら、家の中へと入った。
「君の部屋、私の隣に移してあるんだ。それと、絵を描く為の道具も用意しておいた。君から奪ってしまった絵の具も戻してある。」
「──は?」
私は理解が追いつかなくて、思わず素っ頓狂な声を上げた。……ここでは駄目だ。さすがに従者たちが見ている。
「……イザーク。このあと時間はあるかしら?私の部屋か、あなたの部屋で、少し話がしたいのだけれど。」
私がそう言うと、イザークは嬉しそうに、ああ、と言って、新しい私の部屋に行こう、ということになった。
いつも仕事で忙しくて、滅多に昼間家にいない人なのに、今日は仕事はだいじょうぶなのかしら?と思いつつ、私とイザークは連れ立って新しい私の部屋へと移動した。
新しい部屋は、窓からの自然光が入り、なおかつ窓から庭が見える位置にあった。絵を描こうと思ったら、窓の外の光景だけでも、色々とモチーフになりそうなものがある。
私の絵のことを考えた上で、この場所にしてくれたのだろうか?それとも、単純に、本来夫婦の寝室は隣り合っているものだということを思い出したから?
私はそのどちらなのかわからず、まずはイザークが何か言い出すのを待った。あれだけドヤ顔をしていたのだから、何か特別な意図があって部屋を移動させた筈。
それを話したい筈だわ、と思ったのだ。
「部屋は気に入って貰えただろうか?この部屋なら絵も描きやすいだろうと、絵師に相談して決めたのだ。もう、君から絵を取り上げようとは思わない。私は絵を描いている君が好きだからな。ここにいる間、ぞんぶんに絵を楽しんで欲しい。元の部屋のほうがよければ、すぐに家具を移動させよう。」
「……いえ、この部屋で結構です。どうせひと月しかおりませんから、どちらでも。
というかわかっていらしたのですね。」
「ん?なにがだろうか?」
「私がひと月でいなくなるつもりだということを、きちんとわかっていらしたのだなと。てっきり夫婦の寝室は隣り合わせが基本であることを、今更思い出されたのかしらと思いましたの。その可能性もありましたから。」
イザークは困ったように、悲しげに眉を下げて微笑んだ。
「意地悪を言わないでくれ。……わかっているさ。君が私と別れたがっているというのは、痛いほどに理解しているつもりだ。」
「そうですか。」
「……そのことだが、先代の家令に言われてハッとしたよ。夫婦の寝室は隣り合わせが基本だと。私は貴族の女性を遠ざけようとするあまり、そんな基本的なことでも、夫として必要最低限のことが出来ていなかった。君にとって最悪な夫だっただろう。……今更ながらに、済まなかった。ここにいる間はそれを忘れて、心穏やかに過ごして欲しい。」
──それを忘れて、というのが正直引っかかったが、イザークの言う通り、心穏やかに過ごせたほうがいいに決まっている。ただでさえ2度と戻りたくなかった家に帰るはめになったのだ。余計なことは考えたくない。
「ただ……。ひとつだけ、君がこの家で過ごすにあたって、お願いがあるんだ。」
「なんでしょうか?」
「……私と話をして欲しい。今までのような義務ではなく、ただ私の話を聞くだけでなく、君の話も聞かせて欲しい。用事がない時は一緒に出かけて欲しい。君と過ごす時間を意味のあるものにするには、私はあまりに今まで努力を怠った。それを今、させて欲しいと思っているんだ。……駄目だろうか?」
私はそれを聞いて目を丸くした。今までどれだけそれを望んでも、してくれなかったというのに、離婚したいと言ったら、今更それをしたいと言う。今更それをすることに、なんの意味があるのだろうか?
別れる2人が親しく話をして、2人で出かけるだなんて、ただ気まずいだけじゃないのかしら。イザークはそれが楽しいの?それとも罪滅ぼしのつもりなのだろうか?
私が答えずにいると、
「……君が意味のないことだと思っているのはわかるよ。ただ、見て欲しいんだ。これからの私を。努力の出来る人間だったのだと、君の記憶に残りたいんだ。君をないがしろにしてきただけの夫としてではなく。」
……イザークが何をしたくて、それを提案してきているのかが、正直掴めない。だけど少なくとも、ひと月という短くもない期間を、夫婦として再び過ごすことになるのだ。
その間は、夫婦として互いに歩み寄ったほうが、過ごしやすい時間になるのは間違いなかった。そう思えば、それはそれほど悪い提案とも、おかしな話だとも言えなかった。
「……わかったわ。そうしましょう。どうせ顔を突き合わせずに過ごすわけにもいかないもの。まだ夫婦である限り、私たちには努力義務というものがあるから。」
「──!そうか!そう言ってくれて嬉しい。
それじゃあ早速なんだが、君は、動物の絵を描くことに興味はないか?」
「……動物の絵、ですか?まあ、嫌いではないです。積極的に動物の絵ばかり描くかと言えば違いますが、この先動物の絵を頼まれる機会は多くなると思いますから、いろんな動物を描くことに、慣れておきたいとは思っています。それが、なにか?」
アデリナ嬢やヴィリが頼んでくれたみたいに、ペットを旅行に連れて行く為に、魔法絵を描いて欲しいという人が増えると思うわ。
だからその為に、動物を描く練習はしておきたいとは思ってたのだ。そのことをイザークが知っているわけはないから、なぜそのような質問をしてくるのかには首を傾げた。
「実は今隣町にサーカスが来ているのだ!それを2人で見にいかないか?色んな珍しい動物や、アクロバットショーが見られるぞ。」
「サーカス……?サーカスって、あのサーカスですか?大道芸人や、動物が芸をするという……。連れて行ってくださるんですか?」
「ああ、もちろんだ。実はもう切符を手配してあるのだ。演劇の舞台と悩んだのだが、君はこちらのほうが興味があるんじゃないかと思ってな。……違ったらすまない。」
「いえ……演劇よりは、サーカスのほうが、興味があります……。ありがとうございます。ぜひ、行きたいと思います。」
イザークが、私の好きなものを考えてくれたの?……あのイザークが?単純に私と出かけたいということじゃなく、私が喜びそうなことを考えてくれたなんて。
私が演劇よりはサーカスのほうが興味があると言った時の、何より嬉しそうな微笑みを、私は初めて素直に、かわいいと思った。
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