目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第65話 サーカスの思い出

 私はイザークに誘われて、サーカスへとやって来ていた。サーカスは街の中心地にあるらしい。王都の外れにある大きな広場に天幕を張って行われる。


 王都に数ある娯楽の中でも1、2を争う人気の催し物らしい。その規模は私の想像を遥かに超えていた。


 テントの前に大きな鳥かごや、入口近くの外の広場には、輪投げや射的などの遊び場があり、子どもたちが声を上げてはしゃいでいた。子どもの頃に来ていたら、きっと私も同じようにはしゃいだでしょうね。


 また、動物のショーを行うステージもあるようで、可愛らしい犬や猫から、獰猛な虎までが檻の中に順番を待っていた。


 それをかなりソワソワとした様子で見ているイザーク。そういえば動物が好きなんだったわね。興味があるのかも知れないわ。


 動物を前にしたイザークは、どこかあの日の少年の面影を思い起こさせる表情で、無邪気で好奇心に満ちていた。すぐに大人の顔でごまかしてしまったけれど。

 その顔なら、いつまでも見ていたいのに。


 まだテントの中にも入っていないのに、客引きの目的があるのか、手に持ったものを投げて簡単なショーを披露している団員がいる。尋ねるとジャグリングと言うらしい。


「わあっ」

 私は思わず感嘆の声を上げていた。イザークが、私の反応に驚いている。

「なんだ? サーカスは初めてか?」


「はい」

 私は頷いた。あまり社交を好まない私を、両親は遊びに連れ出すことはなかった。だから私はサーカスに行ったことがない。


 社交には興味がなくて、サーカスには興味があるとは思わなかったのか、そもそも興味があるか聞かれもしなかった。


 家族がサーカスから戻った話を食卓でしていて、そこで初めて知ったのだ。私も行きたかった、と強く思ったのを覚えている。


 兄は連れて行ってもらっていたらしいが、私にとっては初めての体験だ。

「イザークはサーカスに来たことはあるんですか?初めてじゃないみたいですけど。」


「いや、久しぶりだな。前に来たのは……5年くらい前か? その時は、まだ父が生きてた。」

「……そうですか。」


 やはり仕事優先で、あまり遊ぶという行為をしたことがないらしい。ひょっとしたらその5年前のサーカスすらも、仕事絡みの相手と行ったのかも知れないわね。


 5年前といえば、既に私と結婚していた時期だ。私を誘おうとは、その時は微塵も思わなかったんでしょうね。と、少し複雑な気持ちにもなった。


 イザークは私を連れて、中へと入る。すると、すぐにピエロのような恰好をした男性が現れた。彼は私たちに一礼する。


「ようこそ!我がロッテンサーカスへ!団長のゲインと申します。本日はお越しくださりありがとうございます。」


 彼は大仰な仕草で挨拶をした。そして、私たちは劇場へと案内される。

「さあ、どうぞ座ってください」

 私たちは席に案内された。


 団員に促されて私たちは席に座った。私が辺りを見回すと、そこは大勢のお客さんで賑わっていた。たくさんの人々が楽しそうにステージに視線を集中させている。


 屋根の近くに木の板とロープだけのブランコが並べられている。きっとあれも使って技を披露するんだわ。


 真ん中には大きなステージがあり、その上には団員たちがいた。私は初めて見る光景に目を輝かせていた。


 ステージが始まるようね。お辞儀をする団員たちを、私たちは拍手で迎える。イザークは慣れているのか、堂々としていた。


 私は拍手をしながら、周りを見渡す。大きなステージがあるだけの簡素なテントだ。ステージ以外は特に何も置いていない。


「皆さん!お待たせいたしました。サーカスのはじまりです!」

 ゲインさんが手を広げると、観客が歓声を上げる。私は興奮していた。


 いよいよサーカスが始まるわ!イザークは平然としているけれど、私みたいにワクワクしてないのかしら?


 どちらかというと、私の反応が気になるみたいで、さっきから何度もチラチラとこちらの様子を伺っているのが視界の端に入る。


 ステージの上でピエロが1人ずつ団員を紹介すると、お客さんたちは拍手をしている。私も精一杯拍手をした。


 まずは空中ブランコだ。2人の団員がロープを腕に巻きつけて舞台に降り立った。そして、その団員たちを複数の団員たちがキャッチして、空中に投げ飛ばす。


 彼らは空中を舞って、華麗に着地した。会場からは拍手が起こる。次に大きな鳥かごがステージに運ばれる。


「さあ!皆さん!ご覧ください!」

 ゲインさんが手を広げると、鳥かごが開いて、中からは美しい白い羽を持つ小鳥が出てきた。その小鳥は羽ばたいて、舞台へと飛び立つ。とても美しい光景だった。


 そして、そのままテントの上空へと飛んでいった。観客たちは歓声を上げる。私はこのシーンを絵に描いてみたいと思った。


 ダンスをするみたいに、ゲインさんが手に持った棒の指示に合わせて飛び回る鳥たち。その可愛らしさに私は見とれていた。


 ショーは続いていく。ステージが回転したり、団員たちが火の輪をくぐり抜けたり。団員たちの芸を私たちは楽しんでいた。そしてついにクライマックスがやってきた。


 最後に行われたのは、動物を使ったパフォーマンスだった。大きな檻の中に虎がいた。その虎に向かってピエロたちが火のついた棒を振り回して威嚇する。


 しかし虎は怯むことなく檻の中で暴れている。観客たちはハラハラしながらその様子を見守っていた。


「さあ!皆さん!この虎が火の輪をくぐりますよ!ご覧あれ!」

 ゲインさんが声を上げると、虎は檻から飛び出してきて火の輪をくぐる。


 観客たちから拍手喝采が起こる。私も夢中で手を叩いた。ステージの上で繰り広げられる派手な演出の数々に、私はすっかり夢中になっていたのだった。


「サーカスは楽しかったか?」

 サーカスが終わり、イザークが感想を尋ねてくる。楽しかった、と言って欲しそうなのが顔に現れている。


「ええ、楽しかったわ。あんなショーを見るのは初めてだったから。」

 私は笑顔で答えた。イザークはそれを聞いて嬉しそうに笑う。


 子どもみたいね。母親に見てて見てて、をしているみたいな。私の反応が気になって仕方がない様子を、私はそんな風に感じた。


 イザークが手を差し出して来る。その手を取ってエスコートされ、私たちは並んで歩き始めるのだった。


 サーカスに合わせてたくさんの出店が出ていて、さながら小さなお祭りのようだった。そこで砂糖のまぶされたイチゴを発見する。


 これはアンの村で作られているイチゴかしら?かなり大ぶりだし、そうかも知れない。砂糖をまぶしたら、また違った美味しさになるのかしら。私は興味津々だった。


「……食べてみたいのか?」

 イザークが尋ねてくる。

「はい、そうですね。砂糖をまぶしたイチゴというのははじめてなので……。」


「ならひとつもらおう。」

「あいよ!」

 イザークがお金を払い、串にさして砂糖がまぶされたイチゴを手渡してくれる。


「ほら。お目当てのものだ。」

「……ありがとうございます。」

 イザークに物を買ってもらうのって、欲しくもなかった宝石以外では初めてのことね。


 でもこれは食べたかったから素直に嬉しいわ。私はひと口パクリと食べてみた。そのまま食べるのとはまた違った美味しさで、イチゴの酸味が強調されて、砂糖の甘みが際立たされている。うん、たくさん食べたいかと言ったら違うけど、悪くない味だわ。


「……イザークは食べないんですか?」

「ああ、考えていなかったな。君が喜ぶ顔ばかり想像していた。」


 真面目な顔をして、かなり恥ずかしいことを言われた気がする。だけどイザークは少しも自分が恥ずかしいことを言ったという意識はしていなくて、物凄く真剣な表情だ。


「たくさんありますから、良かったらひとつどうぞ。」

「ああ、じゃあもらおう。」


 私の手に手を添えて、イザークがイチゴを1つ齧った。……なんだろう。妙に落ち着かないわ。イチゴを咀嚼して、うん、悪くないな、と、私と同じ感想を言うイザーク。


 自分からおすすめしておきながら、イザークが食べた残りのイチゴを食べるのが、妙に恥ずかしくなってくる私だった。


 それから少し屋台を回って、一緒に買い食いをした。学生時代に令嬢たちと、貴族であることを隠してお忍びでお祭りに来て以来だわ。あの頃の感覚が蘇ってくる。


 今度は素敵な男性と恋人同士になって、2人きりで来たいわね、なんて話していたけれど、そのままみんな政略結婚してしまって、誰一人その夢を叶えることがなかった。


 ……貴族の令嬢なんて、そんなものだ。もてはやされるのは令嬢の間だけ。学生を卒業すれば、政略結婚の道具にされるだけだ。


 そんな中で少しでも相手と思いをかわせたり、夫婦として互いに信頼関係を築いていけたら、マシなほう、なのだ。


 互いに愛人を持っている貴族も少なくないし、当然家になんて寄り付かない。貴族の結婚は王家に害を与えるほど力を持たず、勢力図を変えないように結ばれるもの。


 私のように相手とせめてまともに話がしたいなんて夢も、少女の妄想と片付けられてしまう世界だ。貴族の結婚てなんなのだろう。


 明日をも知れぬ生活にはならない代わりに、果たさなくてはならないことがたくさんあって。自由というものがなく、虚構に彩られた人間関係の中で息をする。


 そんな世界とは、ずっと縁を切って生きていたい。魔法の使用料が入るおかげで、私はそうした世俗と縁を切ることが出来た。


 それなのに、魔塔の賢者になったことで、義母から執拗に付け回される可能性が浮上して、それから逃げる為に、また貴族の世界へ──ロイエンタール伯爵家へ戻って来た。


 振り回されている、と思う。でもあとひと月。ひと月の信望よ。イザークともこのひと月を終えたら、きっと正式に離婚出来るわ。そして私は、私だけの人生を生きるの。


「……つまらないか?」

 イザークが、考え事をして押し黙ってしまった私を、心配そうに覗き込んでくる。


 これも、今までなら決してなかった出来事だ。私がどれだけ体調を崩して彼を見送っても、まるで気にしたことがない人だから。


 離婚を切り出して、初めて私という人間を見ようとしている、と感じる。そのたびに、もっと早くそうする為の手段は、私のほうにもなかったのかと考えてしまう。


 考えて。──考えて。

 そしてやはりどうしようもなかったのだと結論づける。きっと人生をやり直せたとしても、私たちは同じことをするだろうと。離婚に向かうのは必然なのだと。


 それでも。私が、少し疲れただけです、と微笑んで首を振ったのを見て、ホッとしたように微笑むイザークを見ると、何か手段はなかったのかと考える。堂々巡りだ。


 イザークと関わっている限り、この想像は続くのだろう。だから、一刻も早く離れなければ。目の前にイザークがいなければ、私は彼に悩まされることもないのだから。


 そう悩んでしまうくらい、イザークと屋台を巡るのは、思いの他楽しかったのだ。

 ……つまらなくなんかないわ。

 むしろその逆よ。


 今更だとわかっているのに、私はずっと、あなたとこうして歩きたかった。

 あの日の自分が報われた気がして、なんだかとても泣きたくなるの。


 もっと早くこうしたかったって。そう出来ていたら何かが変わった?って。あなたは私を愛してくれてた?って。思ってしまうの。


 私が求めているのは過去のイザークで。それは最早形骸化した思いだけれど。それでも確かにまだ私の中でくすぶっているのだ。


 イザークに愛されたくて泣いていた過去の私が、心の内側から傷を引っ掻いてくる。

 あなたに愛されたかったわ、イザーク。


 屋台の散策を終えて、さっそく自宅に戻って絵を描きたいのだと帰りの馬車の中で告げる。わかった、とうなずくイザーク。


 アンとも久しぶりにお茶がしたいわ。イザークにモヤモヤさせられる気持ちを晴らしてくれるのは、アンの笑顔だけね。


 ……それに、他の人に、変わりつつあるイザークに対する疑問や愚痴を言うことは出来ないもの。アデリナ嬢にだって、こんな愚痴は話せない。結局自分の問題だから。


「それと、明日からは依頼された絵を描きにまた村に行く必要があります。」

「わかっている。君専用の馬車を用意したから、それを使って行くといい。」


「私専用……ですか?今更?私はひと月しかおりませんよ?」

 本当に今更だ。専用の馬車も、専任の侍女もつけてもらえなかったというのに。


「本来君が受けられる筈の恩恵だったのだ。本当に今更だと思うが、ここにいるからには伯爵夫人として過不足なく過ごせるようにしたい。専任の侍女も選んでおいたから、これからはその者に申し付けるといい。」

 とイザークは言った。


「ひと月で任を解かれたら、その侍女も困惑するのではないですか?私には、今更そんなもの必要ありません。」


「だが私は仕事で常に家にいない。君の求めるものに対処するには、男性の家令では無理があるだろう。専属はどうしても必要だ。君は先のことは考えず過ごしてくれたらいい。それに馬車だって護衛と隠密行動を考えたら御者を騎士にするしかない。狙われているというのに、毎回辻馬車をひろうつもりか?」


「それはそうですが……。」

「今まで遠慮をさせてきてしまったから、従者にまで気を使ってくれているのかも知れないが、それは本来伯爵夫人が心配することではない。君が気にすることではないんだ。」


 もう伯爵夫人のつもりがないから、遠慮してしまっている、というのもあると思うわ。

 ただでさえ護衛してもらっているというのに、ロイエンタール伯爵家のお金を、これ以上今更私に使われたくはないと思う。


 伯爵夫人としての品質維持費を削られて生きてきたのに、あとひと月の間、自由に使えと言われても、困惑してしまうのだ。


 イザークとしては、お金以外で私に対する誠意の示し方がないと思っているのかも知れないけれど。それより私に対して時間を取ってくれることのほうがよほど嬉しいもの。


「……本当なら、私が一緒に直接馬車で送っていきたいのを我慢しているのだ。出来れば私が安心出来る方法で生活して欲しい。」

「……は?イザークが、私を?」


「……ああ見えて、つての広い母のことだ。どこで何をしかけてくるかわかったものじゃない。私がそばにいない時に、何をされるか、不安で仕方がないんだ。」


「イザーク……。」

「両親とのことがあったから、私は君をないがしろにしてきた。……だが母とのことがあったから、君がどれだけ大切な存在かということを思い知らされたんだ。」


 なんて答えるべきなのだろうか。だけど私はそれに対する答えを持ってはいなかった。イザークと頑なに別れようとしている私には、彼の気持ちをおもんばかることも、寄り添った言葉をかけることも出来ない。


「私と別れたがっているのは知っている。だがそれでも、あとひと月、私に君を守らせてくれるのだろう?だったら、確実に君が安心だと思える方法を取らせて欲しいんだ。」


 確かに村に戻るまでの間に何があるかわからないから、馬車の御者は護衛を兼ねてくれていたほうがいい。


 義母が息がかかった人間を紛れ込ませても対処出来るように、信用のおける専属の侍女はいたほうがいい。何より私のロイエンタール伯爵家での安心感が大きく異なるわ。


「わかりました。あなたの提案通りにしたいと思います。私もそのほうが安心なので。」

 私がそう言うと、イザークは心からホッとした表情で微笑んだ。


 私は部屋に戻ると、早速サーカスの絵を描き始めた。あの鳥が一斉に羽ばたいているシーンを、出来るだけ細密に思い出しながら。


「……うん、やっぱりこうしましょう。」

 私は観客席を描いて、そこにサーカスを一緒に見ている、私とイザークを描きこんだ。


────────────────────


X(旧Twitter)始めてみました。

よろしければアカウントフォローお願いします。

@YinYang2145675


少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。

ランキングには反映しませんが、作者のモチベーションが上がります。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?